あいまいな日本人

問題に向き合わない?

 

日本の神様は、ふと思った。
「助け合い」の精神も「人は同等である」という考えも、
災害や自然の脅威、外敵に立ち向かうための、根幹となる精神的な支柱だった。
その背後には「村八分」の制度があり、これによって下支えされていた。
共生を乱すもの、平穏を乱すものは排除した。これが村八分であった。
「助け合い」と「村八分」、「人は同等」と「村八分」とは、正と反の関係にあった。
村八分の精神は、防御であり、日本人の強さを示すものでもあった。
問題を明確にし、それに対する態度を明確に決めた。
この時代の日本人は、けっして優柔不断ではなかった。覚悟があった。
この精神が壊された時、日本人は精神的に弱体化した。防御力を失った。
村八分」の存在意義を見失い、この精神をなくした日本人は、
「助け合い」の精神も「人は同等である」という考えも、
異国人たちも、自分たちと同じように考えるだろうと、
安易に、一方的に考えてきたのではないか。
村八分の精神を失った日本人は無防備になった。
そして、他の人々も同様に、村八分の精神を持っていないと単純に考えたのかもしれない。
それが様々な問題の解決を拗(こじ)らせ、長期化させてきた。
異国人は、異国人なりの、日本人とは違う、別の考えを持っている。
異国人たちは、日本人よりも、はるかに強い「村八分」の意識を持っていた。
それは、攻撃的なものであった。