現代版 日本神話 神々の言葉

 古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず史実を伝えてきた。

 

大東亜戦争が一時中断してから、早くも、70年以上が経っていた。
日本の神様は、気まぐれに、下界にある日本の国を、見下ろされた。
すると、
日本列島を舞台に、怪物が、凶悪な悪党が、
日本の平和を、人々の平穏な生活を、
日本国家の歴史と伝統を、国益と日本人の人権を、
日本の存在、そのものを、おびやかしていた。

日本人の自信と誇りが、世界に誇るべき日本人の尊厳が、
先人が残した貴重な遺産が、次から次へと危機に瀕していた。
日本民族が奴隷になることを、
国土を失い、孤立した、流浪の民に貶めようと、
怪物と悪党は、用意周到に仕掛けていた。

海の向こうからも、列島内でも、
怪物が、悪党が立ちはだかっていた。
無数の凶暴な連中と連れ立って。

日本の神様は、日本国の遠い昔へ、思いを馳せた。
紀元前15000年以上前の日本では、
日の出を最も早く迎える、北海道や東日本を中心に、
定住した、豊かな漁労・採集・農耕型の経済を営み、
人類に先駆けて、縄文文化を開花させていた。
それは、人類史の先頭を行く、文明であった。

縄(なわ)は力の象徴であった。
縄の存在そのものが、日本人が賢明であったことを立証していた。
注連縄(しめなわ)は、縄文時代から現在までを、しっかりと結びつけてきた。
それは、植物の繊維を綯(な)い合わせることで、引っ張りに強い、
細い紐から太い綱(つな)を作る知識と技能を持っていたことを示している。
紀元前2500年ころのエジプトで、巨大なピラミッドを建造するときに、縄が使われた。
何トンもの重量がある石材を積み上げるときには、梃子(てこ)と滑車が使われた。
木材で櫓(やぐら)を作り、滑車は、その高見に取り付けられた。
木材は、移動も、組み立ても、解体も、自在にした。
台車に乗せられた、積み上げる石材を、綱(つな)で縛(しば)った。
滑車の反対側には、重石(おもし)となる石材を綱で縛った。
ピラミッドの石材を積み上げるには、人力はさして要らなかった。
それは、縄を作る知識と技術があったからこそ、可能であった。

しかし、縄文文明には、人を殺傷する、武器は発見されていない。
製作工程が複雑な、漆を施した作品も作られ、
その技術は、高度な文明の存在を、示した。
それは、神業であった。協同と分業の所産であった。
匠が誕生した。集落には、一体となった住民を導く指導者がいた。
芸術性の高さは、芸術家の岡本太郎をびっくりさせた。
まるで燃え盛る火のように、水が渦巻く様をかたどった縄文土器は、実用品であった。
魂をかたどる翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)などを製作した。
翡翠は、鉄より硬く、加工に高度な知識と技術を必要とする。
当時の日本では、まだ鉄は使用されていなかった。
北海道から沖縄まで、幅広く、交易を行った。

日本の神様は、思い出そうとしたが、よく思い出せなかった。
勾玉は、日本の通貨だったような、そんな気がしていた。
アクセサリーになる勾玉が、通貨であるはずがない、と思うかもしれない。
すぐに奪われてしまうではないか、と。
しかし、それは杞憂というものだ。その心配がないほどに、
平穏な生活を送っていた。それが縄文の時代だからだ。
現に、今の日本でさえ、落としたお金のほとんどが戻ってくる。
これは縄文時代から現在にまで通じる、同じ精神が生きている証拠だ。
勾玉には、取扱いが便利なように、紐に通せる、穴を穿(うが)った、

朝鮮半島支那大陸へも出かけた。
船が数多く作られ、遠洋にも漁に出かけるほど、航海術にも長(た)けていた。
障害のある者は大事にされ、高齢者は尊敬された。
旧約聖書の世界より、数千年以上も前に、日本には縄文の文明があった。

日本神話の、神々の世界観では、まず宇宙と自然があった。
そこに、人間が誕生した。
人間は、体と魂との、二つで成り立っていた。
知恵が働くようになると、人間はありて、在るものとなった。
星々と月にも、自然界と太陽にも、体と命の魂が宿っていた。
森羅万象に、体と魂(いのち)があった。
全てのものは、体と魂との、二つのものからできていた。
全てのものは、体と魂を持ったものとして、同等であった。
この世界観は、万物同等主義であり、人類同等主義の、日本主義であった。

人が死ねば、魂は、あの世の、根の堅洲国(かたすくに)へ行き、
肉体は、あの世の、黄泉(よみ)の国へ行った。
あの世には、根の堅洲国と、黄泉の国との、二つがあった。
魂は、根の堅洲国とこの世とを、自由に往来できた。
輪廻転生は、これであった。
世界は、この世と、あの世、とからできていた。
死ぬと体は、黄泉の国へ行き、滅び、この世に戻ることができなかった。
世界は多次元であった。

食事は、水や火、動物や植物、海産物に宿る、魂、
その命を、有難く頂くことであり、この上ない、ご馳走であった。
調理に使用する土器などの器具にも、魂が宿っていた。
陸稲(おかぼ)、栗の実、魚、貝、海藻など、
全てのものに、魂が宿っていたので、大切にされた。
食べ物は、災害や異常気象などの非常事態のために、備蓄される以外には、
無駄にすることは無かった。命がもったいないからだ。

村落、集団の、基になったのは、家族であった。
国家も、一つの大きな家族を構成するもの、と考えられた。
首長は、神であり、親であり、人々は、その子供であった。
神は、同等な人々の中の指導者であった。
技能や体力、狩猟や漁猟、航海術に優れたものも、皆、神であった。
和やかな家族の在り方が、集団、村落、国家の、運営指針とされた。
平穏を乱すものは、追いやられ、排除された。
人々は、祖先を神として崇め、感謝を捧げ、神の子供であることを、誇りとした。
人々は、魂を持つものとして、同等であり、
子供は、神々の魂を受け継ぐもの、として祝福された。
年長者は、歴史と伝統を語り継ぐものとして、
また神々の子孫を守護してきたものとして、尊敬され大切にされた。

対比して、聖書の世界観によれば、
神は、宇宙と自然界に超越する存在であった。
そして、人間と世界を、創造した。神と人との間には、越えられない壁があった。
神はイスラムの将来を予言する存在であった。
人々は、神に服従するように、脅された。
イスラムの神に従わないものは、呪われ、末代まで罰せられたりもした。
神は、預言者であり、絶対者であった。
女性は、男性の体の一部から作られたので、男性より劣ったもので、穢れたものとされた。
人間の傍には、悪意を持って甘い罠を仕掛ける、蛇の姿をした、悪魔がいた。

しかし、イスラムの世界に君臨する、この神によって作られていないが、
悪魔や、異なった神々や、他の神を信じる人々が、存在していた。
イスラムと違う世界には、外の神があった。
イスラムと違う神々を崇拝する人々がいた。
イスラムの人々でさえも、他の神を信仰することがあった。
モーセが脱出した時、エジプトは、多神教であった。エジプトには多数の神々があった。
悪魔は、単独で存在するか、神を作り上げた張本人か、
それとも人間に災いをもたらす、神の化身であった。
人々は悪魔と闘うことが宿命づけられた。
そして、神によって選ばれた者が、神に代わって、
この神を信仰する人々を付き従わせた。
イスラムの社会では、人間に階層があり、奴隷もあった。

その後、イスラムの神と直接、言葉を交わすことができる、司祭職が誕生した。
司祭は、人々に、神の言葉を伝える者であった。この司祭の職は、世襲であった。
司祭と選民を頂点に、ピラミッド型の社会が構成されていった。
他の神々を信仰する者は、呪われ、略奪や凌辱、殺戮の対象になった。
暴虐な神は、自分を信仰しない人々に対する、
略奪も凌辱も、殺人行為までも正当化した。
エジプトでは奴隷であったイスラエルの民は、独立すると、
その下に奴隷を作った。イスラム優越思想であった。
専制的な神は、精神世界ばかりでなく、物欲の世界にも、その威力を発揮した。
神は他にも多数あったので、イスラム神は、けっして、唯一の神ではなかった。
この神は、人々を支配する、絶対的な存在であった。
聖書の世界観は、イスラム至上主義であった。

選民、選良は、神のしもべであり、人々は、選民に従うべき存在であった。
人々は生まれながらに選別され、そこには、越えられない、壁があった。
階級制度の社会ができた。
信教の自由も男女平等も差別の撤廃も、神と選良による束縛からの解放を意味した。

キリスト教を信奉した、欧米人の世界観では、
神によって創造されたのは、白人であった。白人優越思想であった。
自然や動物、有色人種は、神が、白人に与えたものであった。
白人は、選良か、悪魔になった。
非白人は、けっして同じ人間ではなく、何をしても許される、ただの動物でしかなかった。
ここに白人至上主義が誕生した。
白人は他のすべての人種に優越した。人種差別主義であった。

植民地が形成された時代には、
アメリカ大陸に上陸した欧米人は、原住民を悪魔とみなし、
高度に発展した文明を、残虐の限りを尽くして、滅ぼした。
貧弱な武器しか持たず、のどかに暮らしてきた人々は、
その多くが逃げ惑うばかりで、凶暴な白人の前で、無力に斃(たお)れる外なかった。
アメリカも白人至上主義であった。

また奴隷制度があった時代のポルトガルは、
キリスト教徒に改宗した、日本人の選良と結託して、
大勢の日本人を、奴隷として海外に売り飛ばし、また本国へ持ち帰った。
日本のキリスト教徒は白人至上主義の選良か下僕であった。

奴隷解放を行ったとされる、アメリカのリンカーン大統領は、
その後も、使用人を奴隷として使い続け、
アメリカ・インディアンの頭から剥ぎ取られた皮に賞金を懸けていた。
このように白人至上主義は、悪魔か、神の裏の顔である、
残虐な悪魔的部分をいかんなく表現してきた。

西欧に生まれた自由と民主主義の思想は、
悪魔や神とその代理人の軛(くびき)から、人々を解放するために生まれた。
ところが、日本では、縄文文化の時代から、
人々は、生まれながらに魂を持つものとして、同等であり、
個性を持った存在として、尊重され、
自己と家族、集団の和やかな暮らしを乱すことだけが、戒められた。
一部の者が、絶対者として、専権を握ることはなかった。
村落の平穏を乱すものは、村八分にされ、村落から追放された。
村八分にされた者は、ある者は改心して、村人として復帰し、
また外の者は、似た者同士が集い、別に部落を作って生活した。
村人と部落民はそれぞれ別の領分で生活した。
村人が部落民を殲滅することはなかった。

日本と欧米諸国とでは、全く異質の文化と思想が形成された。
部族や民族間の対立が絶えなかった、欧米諸国では、
一握りの強者が、悪魔か神の使いとして、君臨した。
勝者は、財産を奪い、敗者の血統を根絶やしにすることを常とした。
一方で、肥沃な大地と自然に恵まれた、日の出る国、日本では、
他部族や民族、多様な文化を受け入れながらも、
対立を昇華し、共生することで、長い歴史を紡ぎあげ、
万民が一つの家族のように、和やかに生活することが、当たり前とされた。
国民は国の宝とされた。

日本の神様は知っていた。
人間そのものが、多数の生命体の共生体である、ことを。
人の魂は、多数の生命体の魂の塊(かたまり)であった。
共生を促したのは、バクテリアであった。
日本人は、生海苔(なまのり)を消化できる希有(けう)な生命体である。
それは、バクテリアを体内に取り込んだから、可能となった。

縄文の職人は、種々のアクセサリーを手作りし、
織物の衣服はもちろんのこと、色鮮やかなものであった。
女性は、豊かな色彩で着飾った。
日本人の、世界に例を見ない、この豊かで、平和な時代は、一万年以上も続いた。

日本が騒がしく、また貧しくなったのは、
弥生文化と言われる時代の頃からであった。
海外から武器を持ち、異なった習慣や文化を持った人々が、
紛争が頻発する近隣地域から、争乱を逃れて移動してきた。
文化の中心は、次第に、西日本へ移っていった。
人々は、質素な生活を始めた。
衣服は白くなり、装飾品も、簡素なものに変わった。
渡来人と日本人は、共生の道を模索した。

古事記日本書紀が編纂された時代には、
度重なる戦乱や国土の疲弊などに見舞われた、海外の近隣地域から
やすらぎの地を求めて、日本に、多数の渡来人がやってきた。
キリスト教の分派である、一神教景教が、秦氏が、大きな集団でやってきた。
異質な宗教や生活習慣の違いは、日本人の生活を掻き回し、
不穏な環境をもたらす恐れがあった。
国内が危険になった。海外からの危険も迫っていた。
これまで通りの生活が、平穏を維持することが、危うくなった。

海外諸国の紛争から治安、秩序を、維持することが緊要になった。
朝鮮半島に近い九州の地域へ、防衛のために、防人が派遣された。
九州の北部や瀬戸内海沿岸の山々には、城が築かれた。
その山城には、朝鮮半島で作られていたものと同じ様式で作られたものが在った。
朝鮮半島にある国家と交流があった日本海側には、鉄製の武器を持つ、強力な部族も台頭した。
国内では、領地と領民の把握が、急がれた。
そのため領地と領民の確定が行われ、土地台帳が、戸籍が整備された。
政権の中枢を構成した、部族や豪族以外の土地や領民は、公地、公民となった。
部族間、豪族間の勢力争いは、是が非でも、鎮静しなければならなかった。
海外の支援を受けた部族による内乱もあったが、
統一は、ほとんどが話し合いで行われ、平和的になされた。
相撲で決着をつけることもあった。
しかしそれは、競技ではなく、生死をかけた戦いとなった。

日本人の生活や独自の文化を守るために、
統治を安定させるために、英知が結集された。
平穏な時代には、国政の中枢や地方の役所などで、
あるいは海外との交渉では、文字が使われたが、
こと国内の生活では、言葉だけでも事足りていた。
しかし、膨大な資料を作成するためには、
口伝だけでなく、文字の使用が不可欠となった。
歴史と伝統を守り維持するために、
それを国内外に示すとともに、後世に残すための事業が開始された。
庶民の生活やそれぞれの部族に残された風習や行事も書き残された。
記紀の制作は、こうして、進められた。大化の改新と言われる時代であった。

国内各地には、神社が建てられた。
神社は、景教の色合いを持ったが、一神教は、日本の風土に馴染まなかった。
景教では、神は国家と国民の上に君臨するものであったが、
日本では、神は人々と同等な指導者であり、国民は宝、とされたからである。
神社は、統治機関の一端を担った。神社は役所でもあった。
また、神社は、古代岩刻文字やシュメール文化の名残を保存し、後世に伝えてきた。
その後、神社も寺院も国民に受け入れられることを競いあった。
神社も寺社も、国民に君臨するのではなく、国民と同等な指導者であることを目指した。
仏教寺院には、神道を取り入れた建造物や仏像が作られた。
また無料で貧困者を救済する悲田院や治療所の施薬院も作られた。

公の記紀とは別に、地域の風俗や村落の行事等々を、
より詳細に書き留めた、貴重な文書も多数作成された。
それまでの村落、部族意識から、国家、国民の意識が強く形成されていった。
渡来人には、帰化政策がとられた。
平穏を乱すものは、排除されたが、自由な意思が尊重された。
帰化の条件は、日本に貢献することを、承認することであった。
優秀な技能を持つ帰化人は重用され、それ以外は農民となった。

食料が不足し、開拓が必要となった。
各地に水田が作られ、それによって出た大量の土砂で、大きな盛り土ができた。
この盛り土は、墳墓としても利用された。こうして前方後円墳ができた。
後には、朝鮮半島の南部にあった、日本支配下の領地にも、前方後円墳が作られた。
さらに出た土砂は、埋め立てに使われた。
水田耕作の普及に伴い、次第に、各地には、有力な豪族が誕生していった。

日本国内には、いくつかの特殊な部落が存在した。
それは部族の集落で、ある部族は、河原乞食と呼ばれた。
彼らの歌舞く姿は、人々に感動を呼び起こした。
その後、歌舞伎や演芸として興隆した。

ある部族は、動物を殺傷し、その毛皮を加工することに優れ、それを主な生業とした。
毛皮の加工を行うと、悪臭が立ち込め、あたりに浸み付き、
不快な臭いは容易にとれなかった。彼らは、穢多と呼ばれた。
大きな部落には、自治権があり、毛皮を取り扱う特権を持ち、また刑罰権を持ち、
その首長は、大きな屋敷を構え、広大な山林を保有するものもあった。
大きな部落を取り仕切る首長には、天皇に直接、拝謁することも許された。
森鴎外が描写した「山椒大夫」の世界は実在した。
戦国時代には、皮革は鎧や馬具の材料であったから、穢多は保護された。
東国の大名には、西国から穢多に従事する者を呼び寄せ、領国に定住させ、
皮革生産に当たらせた例がある。
非人には「物乞い」があった。警備や刑死者の埋葬、病気になった入牢者や
少年囚人の世話などにも従事した。
飢饉に見舞われた時代には、往来は乞食で溢れた。
部落外の人々の間では、特殊な部落民について語ることはタブーとされた。
それは、部落外の人々は、穢多と非人を、同じ人間と思ったからであった。
外にも、海外から移動してきたが、日本人と共生できない部族など、様々あった。

江戸時代に入ると、食い扶持のなかった、武士の次男や三男などに、
職を与えるために、皮革を加工する技術の習得が奨励された。
国内での技術研鑽が進み、また海外から優れた皮革加工の技術が取り入れられると、
毛皮の加工は、穢多と言われた部落民の特権ではなくなった。
明治時代に四民平等政策がとられると、徐々に、穢多と非人は、同じ人間として、
部落外の人々と融和していった。

かつて日本各地には、地域によっては現在も、入会地というものがあった。
これは、村落が共同して所有する、山林等の土地のことだが、
たとえ個人が所有する山林でも、乱獲しない限りで、あるいは範囲を絞って、
栗やクルミアケビやキノコ、蕨やぜんまい、家庭で煮炊きに使う薪、竹などを
採集するために、また兎や猪や熊などの動物を捕獲するためにも、
村落住民の立ち入りが、認められている事があった。
漁業についても、同様な制度がとられていた。

日本の神様は、世の移り変わりを思った。
村八分と入会地の存在とその精神は、国家と国土の分断を避けながら、
防御と共生を調和させるものであった。
しかし、大東亜戦争後、欧米が日本より優れているとする、
偏った白人至上主義思想が入ってくると、所有権の考えが支配的になった。
次第に、土地の所有者は、他の人々の立ち入りを、締め出すようになった。
日本に根付いていた、優れた伝統や精神、制度を、蔑ろにするようになった。

これまで、部落問題と言われるものが、差別の問題として取り扱われた。
しかし、差別政策で特殊な部落が誕生した訳ではない。
差別政策は無かった。特殊な部落民に自活する努力と能力が欠けていた。
意欲があり、努力し、能力を身に着けたものは、どんどん自立していった。
これまで、長期にわたって、国民の税金で特殊な部落出身者の生活向上を図ってきた。
生活水準が一定に達すれば、税金が支出されないのは,当然である。
さらに交付金を求めるのは、国民の税金を、不労所得のように考えるものだ。
これは、怠け者の傲慢か、詐欺か、税金泥棒でしかない。
湯水のように注ぎ込まれた、税金の総額とその流れを、詳細に点検しなければならない。
そして、税金が使われても一向に改善しなかった原因を、究明しなければならない。

アイヌの問題も同様だ。アイヌは先住民ではない。
日本列島に移動してきた部族だ。逆差別が作られている。特権が生まれている。
これらは、国民に差別意識を起こさせ、国内を分断するものだ。
長い間、ずるずると、曖昧な対処をして来たところに問題がある。
特殊な部落という集団の問題としてではなく、
個々の人権や生活環境の問題として処理すべきだ。
元来、日本には、部族を排外する思想など存在しなかった。
共生してきた。それが逆用されている。
タブーは打破しなければならない。これらは、オレオレ詐欺の手口だ。
本当に保護する価値があるなら、部族の文化とされるものや部族民の出自を、
学術的にも、学際的にも、調査しなければならない。
そして税金がどのように使われているか精査しなければならない。
それがアイヌ問題と言われるものに真剣に取り組むことの証だ。
虐げられてきたと主張するものは、実態の調査に、積極的に協力しなければならない。
白日の下に晒すことこそ、人権の保障につながり、部族民の保護になる。

よこしまな怪物は、悪党は、これまで、
巧みにその姿を覆い隠そうとしてきた。

戦争、災害、事件等々の、
どさくさに紛れては、戸籍や身分を乗っ取る、背乗りや
通名を使って、犯罪や悪事を引き起こし、またそれ以前の、汚名を隠ぺいするために、
日本人になりすます者がいる。

平和と友好そして人権の看板を掲げて綺麗に着飾り、
裏には悪だくみを巧みに隠しながら、人当たりの良い恰好をして、
混乱と内紛そして日本の分断と破壊を引き起こす者がいる。

利権を求めて、国の内外を徘徊し、
日本人の優しい気持ち、人間同等主義に付け込む、悪党がいる。

出入国・審査の甘さ、生活保護や健康保険制度などの、
本人確認の制度的な脆弱性に付け込んでは、
日本国民の虎の子を掠め取る、小賢しい悪党がいる。

怪物が、悪党が、入れ替わり立ち代わりしながら、
優しい日本人の隙を狙っては潜り込み、内部から、じわじわと侵食してきた。

今、事態は一変した。
怪物は、悪党は、次第次第に、その本性を現し始めた。
国の内外から呼応し合い、利権を主張しながら、
自分たちの力を誇示し始めた。我が物顔で堂々と。

日本列島の外を遠く眺めれば、
アメリカには、連邦準備制度理事会FRB)が存在し、財政金融を握っている。
それを実質的に所有しているのは国際金融資本だ。
またスイスには、各国にある中央銀行の本店である国際決済銀行(BIS)がある。
中央銀行も、連邦準備制度理事会も、国際決済銀行も、利益を追求する民間企業である。
これらの銀行は、全て国際金融資本に保有されている。
国際金融資本家は、地球上にある全ての、国家財政と金融を、悉く掌握する。
今や、ベニスの商人の後裔は、世界一の大富豪となった。

歴代の世界的指導者たちの回顧録や回想録は教えてくれる。
各国は、武器商人たちの懐を肥やすために、血を流してきた。
戦争、内紛や暗殺さえ、その背後には、国際金融資本の影が見え隠れすると。
ソ連や中国、ベトナムなどの社会主義諸国の建設を、攻撃しながらも、
裏で支えたのは、敵対すると思われた、資本主義国のアメリカであった。
グローバリズムを推し進めるアメリカは、共産主義を、容認し、背後から支援してきた。
朝鮮半島の38度線の幕引きは、紛争の火種を残すために、
国際金融資本と連携した、アメリカが行った。
当時のアメリカを牛耳っていたのは、白人至上主義の共産主義者であった。
数えきれないほどの若く尊い人命は、金儲けの、生贄にされた。兵器産業は大いに繁盛した。
戦争や紛争の火種は、実に効果的に金を生み出す、埋火となった。

日本も例外ではない。
国際金融資本と手を結んだ日本の政治家は、自国の紙幣の、
通貨発行権を、国立銀行から、民間企業である、日本銀行へ譲り渡した。
何処も相手にしなかった、資金繰りに苦しむ日本に、日露戦争の戦費を支援したのは、
アメリカの金融街で力のある財閥であった。
この借金の返済は、大東亜戦争中も継続し、そして完済された。
日本国家と国民は、文字通り痛い思いをしながら、
多量の血税によって借金を支払い続けた。

国有地の払い下げ、国有鉄道の民営化、郵政民営化、水道事業の民営化、エネルギーの民営化等々。
国家の分割、分断、弱体化が、
それと気づかれずに、着々と推し進められてきた。
こうして、国民の大事な財産は、吸い上げられた。
国家生命を滋養する血液の循環は、
国際金融資本の見えない手によって、機能不全を引き起こしかねない程の、
危険な状況に追い込まれている。一握りの拝金主義者とその仲間達によって。

ほとんどの国家は、国民の生活向上のために、国家事業を大きく展開しようとすれば、
民間企業である中央銀行に、利子を払って、借金するしかない。
その銀行は、利益を追求する、国際決済銀行の支店だ。
今や国家には、独立した経済主権など、存在しないに等しい程だ。
各国の命運は、各国の国民の生活は、それぞれの国の中央銀行とその背後にある、
国際決済銀行に左右されるのだ。
国民の自由と民主主義は、財政と金融を掌握している、
国際金融資本の掌の上で踊るしかない。
軍事資金がなければ、大きな紛争を引き起こすことはできない。
内紛でさえ、資金がなければ続かないのだ。
十分な国家予算がなければ、
防衛力を充実させ、また民生の安定を図ることもできない。

近隣諸国に目をやれば、日本国民の生活を脅かす、不安の種は尽きない。
日本国の税金を収奪し、枯渇させ、国民生活を脅かす、近隣諸国の対日政策は、
長い期間をかけて、次第にその効果を上げてきた。

4世紀から7世紀にかけて、朝鮮半島には、百済新羅任那という邦があり、
日本と政治的にも文化的にも交流があった。
新羅の王朝成立には倭人が関与していると言われる。
百済の王様は日本から派遣された。
王族の子供は日本に預けられ、王位を世襲するときには帰国が許された。
支那と日本は半島を通じて文物の交流があった。
任那は日本の領土であった。

日韓併合から大東亜戦争が終了して各国が独立するまでの間は、
朝鮮半島は、植民地ではなく、日本国の領土であった。朝鮮人は日本人になった。
創氏改名は、朝鮮人の要望で行われ、強制されることはなく、
日本人として改名することが自由になった。
生まれながらの氏名を、堂々と、名乗り続けた方々も多数いた。
日韓併合は、朝鮮側からの懇願によって行われた、
合法的なもので、世界の諸国に承認されたものであった。
これが後世に禍根を残した。この時、日本人の一体性が大きく損なわれた。
共生を拒む、異質なものが、日本人を名乗り始めたからである。

この時、アメリカのルーズベルトは、
日本が朝鮮という厄介者を背負い込んで苦労するところが見たい、
と話したといわれている。朝鮮の無茶ぶりにはアメリカも手を焼いていた。
朝鮮人には、日本人に対する優越主義が根強くあった。
それは、白人至上主義の亜種である、中華思想であった。
支那大陸の国家は、宗主として、朝鮮を属国としてきた。
朝鮮は小宗主として、支那の選良としてのプライドを抱き続けた。

それでも日本は、朝鮮のインフラを整備し、教育環境や医療施設などを整えた。
ハングルを普及させたのも、学校を拡大したのも、日本であり、
そこには、日本人の膨大な血税がつぎ込まれた。識字率が急増し、人口も格段に増えた。
それは、白人至上主義による、
虐殺と略奪、見るに堪えない拷問を繰り返し、文化を破壊し尽くした、
欧米諸国の植民地政策とは、異次元、異質のものであった。
しかし、それが理解されることはなかった。
朝鮮人には、自立するより、支那の属国であることが、性(しょう)に合っていた。

日本の神様は、ハタと思い至った。
聖徳太子が目指した、日本で古くから行ってきた、「知らす」統治の仕方だ。
それは、小国を連合して大国を形成する統治の方法だ。
小国と国民に広く「知らす」ことで、理解を高め、国民を一体化する政策だ。
日本は、大東亜戦争時まで、基本的に、「知らす」政治を貫いてきた。
しかし、これを異国の地で実施するのは、無理があったのではないか。
確かに、古(いにしえ)の時代には、朝鮮半島から優れた文化や制度がもたらされた。
それは、朝鮮半島には日本の領土があり、日本人の王様が統治していて、安全だったからだ。
だが、それは既に過去のことだ。もはや精神的、文化的な一体性はなかった。

決定的になったのは、白村江の戦で唐と新羅の連合軍に負けたことだ。
任那は滅ぼされ、百済を復興することが出来なかった。
これを境に、朝鮮半島の情勢は大きく変わった。日本との一体性は失われた。
そしてこの時期を境に、小国の連合体であった、700年頃の大和(やまと)の国は、
それまでの名称であった倭国を改めて、日本国と名乗り始めた。
朝鮮半島には独立した国家は存在しなくなった。あったのは支那の属国だった。
この決定的な差異を、その後の日本は、理解しなかった。
日本人が「人類は同等」だと思っても、異国人は必ずしもそうと考えない。
「長い物には巻かれろ」が真っ当な処世訓とされる国だってあるのだ。
豊臣秀吉が冒(おか)した過ちを、再び、繰り返したのではないか。
「正義」も、人によって、また受け取り方次第でも、「不義」になる。
歴史と伝統を大事にする国と、そうでない国とでは、価値観の違いが大きすぎた。
強者の優越主義と、自立したものが共生を目指す同等主義では、格段に違いがあった。
それは、滅ぼすか、生かすか、の違いがあった。生と死の瀬戸際があった。
同等主義は、膨大な時間と血税、そして夥(おびただ)しい貴重な魂を費やした。

朝鮮人に徴用工問題はそもそも存在しない。
徴用されたのは、朝鮮半島を出身地とする日本人であって、朝鮮人ではなかった。
日本人が、戦時中、長期に徴用されたのに対して、
朝鮮半島からの徴用期間は、長くて7か月程度のものであった。

日本人の働き手の多くが、兵役に服した結果、労働人口が減少した。
その穴を埋めたのが、朝鮮半島の出身者であった。
朝鮮系日本人への就労斡旋は、官・民の二つの方法が採られた。
当初は民間の斡旋で、炭坑夫の募集が多かった。
戦争が拡大すると、民間だけでは足りず、朝鮮総督府の、官による斡旋があった。
給与や待遇が良かったので、希望者が押し寄せた。
「徴用令」には強制力を伴うが、国が必要とする労働に服する事は、
「強制」ではなく、国民の「義務」であった。
やはり一体性はなかった。日本国民には自ら進んで行う「権利」的な「義務」でも、
朝鮮系日本人には、「強制」的な「義務」となった。

大東亜戦争の終了と各国の独立によって、
日本と韓国、朝鮮は、別の国となり、それぞれの国の国民になった。
そして連合体を構成することはなかった。
日韓請求権協定は、日本人の漁民4000人ほどを人質にとった、
大韓民国の李承晩政権による強請(ゆすり)であった。
不法を働いたのは、韓国側であり、損害賠償請求権は日本側にこそある。

戦後の北朝鮮は、核兵器弾道ミサイル保有して驕(おご)り、
領空を侵犯しては日本国民を脅し、領海を犯しては日本人漁民を脅かしてきた。
これに対して日本政府は、無税の特権さえ与え、日本人を逆に差別し、
重要な技術や製品の流出を見逃したばかりでなく、
数々の違法行為を放置するとともに、チュチェ思想などの洗脳工作を黙認してきた。

反日を国是とする韓国は、アメリカの傀儡政権である、李承晩政権に始まる。
日本がアメリカの占領下にあって、身動きできないのをみた韓国は、
4000人もの日本漁民を人質に取り、日本領土の竹島を強奪した。
さらに日本へ侵略しようとしたときに、背後から北朝鮮が侵攻して朝鮮戦争が勃発した。
韓国は、アメリカの占領下にあった日本への、侵略国である。

韓国は、竹島に飽き足らず、対馬や九州への侵攻を企てた。
アメリカは、これを止めようとしたが、李承晩はこれを拒否した。
怒ったアメリカは、在韓米軍を韓国から撤退させ、
アメリカは韓国の防衛線の外だ、と宣言した。
これを聞いた、北朝鮮金日成は韓国軍の背後を突いた。朝鮮戦争が勃発した。
朝鮮戦争の切っ掛けは、竹島の略奪にあった。上手く行ったからだ。
更に日本へ侵略しようと、欲をかいた韓国の野望にあった。
日本の共産党はこの時、戦争を内乱に変えようと、国内外で攪乱(かくらん)工作を展開した。
この戦争で米ソの軍需産業は莫大な利益を上げた。
国際紛争は、国際金融資本家に大きな収益をもたらす、必要不可欠なイベントであった。
アメリカは、敢えて38度線で休戦に持ち込んだ。朝鮮半島の不安定化を望んだからであった。
朝鮮戦争で、国連軍を派遣したのは、アメリカが日本で推し進める植民地政策を、
邪魔されないようにするための演出であった。

韓国人の民族性を示す、いくつかの事例がある。
かつて、自分の妻や娘を夜伽に出す、風習があった。
聖書にも同じような事例を記述しているが、これが韓国にもあった。
この悪習を禁止したのは、併合時代の日本であった。
かつて韓国政府の女性家族部は、自国民の売春婦は全世界に10万人余りいる、
と明かしたことがあった。
またベトナム戦争に参戦した韓国軍は、暴虐の限りを尽くした。
それを記事にしたのは、韓国人ジャーナリストであった。
アメリカの議会で、日本軍慰安婦問題・非難決議案が出された際、資料の報告書には、
日本軍による女性の強制徴用について、
『日本は恐らく殆んどの徴募を直接に実行はしなかっただろう。特に朝鮮半島ではそうだった』とあった。

大東亜戦争前の支那大陸は、西欧列強が推し進める植民地政策の餌食にされていた。
アヘンに蝕まれ、領土は割譲され、不平等な条約が締結された。
欧米列強は、アヘンと奴隷売買で、莫大な利益を獲得した。
欧米諸国は、日本へも、その食指を伸ばそうとしていた。
アメリカは、日清戦争後には、日本との戦争を想定して、戦略を練っていた。
日本は、自国への植民地政策の波及を恐れ、事態を放置すべきでないと判断し、
西欧諸国を東アジアから追放することを決断した。こうして大東亜戦争が始まった。

大東亜戦争は、日本が欧米の植民地主義に対抗し、
アジア諸国を、白人至上主義による搾取から解放することを目的にした。
それは弱小国の日本が、負けを覚悟しながらも、一人で挑んだ、
植民地主義、反白人至上主義との戦いであった。
日本が攻略したのは、東アジア諸国ではなく、白人至上主義の国々であった。

奇しくも、大東亜戦争後の支那大陸には、
日本語訳で資本論を学んだ毛沢東によって、中華人民共和国が建国された。
支那大陸には、古くから、中華思想があった。
自分たちは宗主であり、世界の中心を占めるのは、自分たちであると考えた。
それは、白人至上主義の支那版であった。
朝鮮はその属国であったが、他国に対しては、小宗主として振舞おうとした。
南京大虐殺は、日本を貶めるための、プロパガンダであった。
1987年当時の、中国の公式の文書には、全く記述がなかった。
戦後、中国共産党は、国家組織の上に君臨した。
その中国共産党は、日本を属国とみなして、莫大な経済援助を引き出し続けてきた。

日本が台湾を支配下に置いた時、インフラ整備や医療、教育に力を入れ、
日本人の血税をつぎ込み、日本国以上に優れた設備を作り上げた。
その後、台湾島には、日本の軍部で学んだことのある、
蒋介石によって、中華民国が建てられた。
日本軍が南京に入城する直前、蒋介石は、城内から逃れる時に、
「ここで日本軍による大虐殺があった事にせよ」と指示した。
嘗て、元首相・岸信介に代わって台湾使節団が蒋介石と面談した。
その面談の折り、その中にいた田中正明氏に対して、蒋介石は、
「南京に虐殺などなかった。松井閣下には誠に申し訳ない事をした」と告白した。
田中氏は、かつて松井大将の秘書であった。
南京は中華民国の首都であり、蒋介石は、総統であった。

こうして、植民地にされた東アジアの国々は、次々と欧米から、独立して行った。
欧米列強は、植民地政策をそのまま維持、継続することが、困難になった。
日本は、大東亜戦争で敗れたが、東アジア諸国の尊厳を取り戻すという、
日本の戦争目的は、戦後になって少しずつ達成された。

その一方で、戦後の日本は、
GHQアメリカが強力に推し進める、白人至上主義による植民地政策の虜となった。
日本の列島は檻(おり)にされ、日本国民はその檻の中に捕らわれた。
アメリカによる、日本捕囚である。
日本の尊厳は貶められたままで、今や齢も70歳を越えた。
いつしか日本人は、同じ国民としての一体性を欠いたまま、捕囚生活に慣れすぎた。

日本列島の内側を見下ろせば、
敗戦直後、日本には250万人以上の朝鮮半島の出身者が滞在していた。
一方、日本人の若者は、その多くが兵役に服し、戦死・傷病のために、少数となった。

朝日新聞記者の証言-戦後混乱期の目撃者-】(菅野長吉・朝日ソノラマ、要約抜粋)
第三国人は、その立場を利用して、あらゆる物資を動かした。
場所には困らなかった。大都市の要所は、殆んど焼け野原となっていたから、
集団のカによれば、簡単に占有できた。
こうして東京では、上野、新橋、新宿、池袋、渋谷などに急造の「闇市」ができた。
ここには、配給では手に入らない、あらゆる物資が公然と氾濫した。
第三国人とは、日本の帰属から離れる事になる朝鮮、台湾などの出身者で、
戦前から日本に居住していた人達、に使っていた、非公式な呼称であった。
彼らは、日本人ではないが、外国人でもないという特殊な立場にあった。
これら第三国人に対しては、日本の裁判権行使も曖昧だった。
彼らの一部は、治外法権があるかのように、優越感を抱いた。
社会の混乱に乗じて、徒党を組み、統制物資のヤミ売買、強・窃盗、
土地建物の不法占拠などの、不法行為を欲しいままにし、戦後の混乱を拡大した。

【一億人の昭和史-日本占領 ゼロからの出発】(毎日新聞社、要約抜粋)
当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で行なわれていた。
神戸が、第三国人の、根拠地となっていた。東京、横浜に比べ旧外地に近く、
密輸量は日本一だった。国際密輸組織の中核は、一貫して、第三国人だった。
朝鮮は戦勝国ではなかったが、「朝鮮進駐軍」などの腕章をつけ、
日本の警察権を一切認めようとしなかった。

【元首相・吉田茂マッカーサーに宛てた文書(1949年)、要約抜粋】
彼らの半数は、不法入国、です。 
すべての朝鮮人が、その母国たる半島に帰還するよう期待する。 
その理由は、
現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能です。 
日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用します。
この輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている、対米負債の部分を、
将来の世代に負わせることは不公平である。
大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません 。
さらに悪いことには、朝鮮人の中で、犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者です。
彼らの多くは、共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、
常時7000名以上が獄中にいる、という状態です。
日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は、日本の経済復興に貢献する能力を有すると思われる、朝鮮人に与えられる。 

帰国事業が行なわれたにも関わらず、
当時295万人の内100万人もの朝鮮人が日本に居座っていた。
その後も、日本に密航して来る者が後を絶たなかった。
彼等は、「朝鮮進駐軍」を名乗り、蛮行の限りを尽くした。
「在日・大韓民国・民団」と「在日本・朝鮮人・総聯合会」(朝鮮総連)は、
「在日・朝鮮人連盟・中央総本部」から出発した。
この「在日・朝鮮人連盟・中央総本部」の別名が「朝鮮進駐軍」であった。
そして日本の共産党は、朝鮮人の密航を手助けし、朝鮮総連と強く結びついてきた。

彼らは、面従腹背してきた。
名前を日本人にしても、その本性は、朝鮮人のままであった。
日本人には何をしても許されるという、
中華思想の選良であるという意識が生き続けていた。白人至上主義そのものであった。
疎開中の空き家に侵入し、当然のように居住し、そのまま居座った者たちは数知れない。
朝鮮人が経営するパチンコ店・金貸し・風俗店・焼肉屋の多くが、駅前一等地に在るが、
敗戦後、「朝鮮人が、どさくさに紛れて駅前一等地を、不法に奪った」という噂が流布した。

韓国政府は、頑として自国民の帰国を受け入れず、
国籍に無頓着であった日本政府は、日本国籍を有していた外国人に、在留資格を認めた。

日本の神様は、ふと思った。
「助け合い」の精神も「人は同等である」という考えも、
災害や自然の脅威、外敵に立ち向かうための、根幹となる精神的な支柱だった。
その背後には「村八分」の制度があり、これによって下支えされていた。
共生を乱すもの、平穏を乱すものは排除した。これが村八分であった。
「助け合い」と「村八分」、「人は同等」と「村八分」とは、正と反の関係にあった。
村八分の精神は、防御であり、日本人の強さを示すものでもあった。
問題を明確にし、それに対する態度を明確に決めた。
この時代の日本人は、けっして優柔不断ではなかった。覚悟があった。
この精神が壊された時、日本人は精神的に弱体化した。防御力を失った。
村八分」の存在意義を見失い、この精神をなくした日本人には、
「助け合い」の精神も「人は同等である」という考えも、あまり機能しなくなった。
異国人たちも、自分たちと同じように考えるだろうと、
安易に、一方的に考えてきたのではないか。

村八分の精神を失った日本人は無防備になった。
狭い塀に囲まれ続けた日本人は、奴隷根性で一体になった。
そして、他の人々も同様に、村八分の精神を持っていないと、単純に考えたのかもしれない。
それが様々な問題の解決を拗(こじ)らせ、長期化させてきた。
金で解決しよう、などといった陳腐な考えが、蔓延してきた。
異国人は、彼らなりの、日本人とは違う、別の考えを持っている。
異国の人々は、日本人よりも、はるかに強い「村八分」の意識を持っていた。
それは、共生を排除するほどに、攻撃的なものであった。
そこには日本人が目指す一体性の基盤は存在しなかった。

機械的進歩史観で、幻想を抱かせる、
実際には国際金融資本と共通する思想の、共産主義がある。
共産主義思想は、共産主義者に選良としての意識を掻き立てる、
白人至上主義の変形であった。グローバリズムの餌に過ぎなかった。

マルクスエンゲルスも、そしてレーニンでさえも、
彼らが生きた時代にも、彼らが原始的と定義した時代に築かれた世界観が、
現在に至るまで、脈々と生き続けた国家が存在することを知らなかった。
社会発展の法則という一方通行の、進歩主義歴史観にたち、
共産主義者という選良になることを誇りとし、
科学的という言葉にただ酔いしれただけであった。
それは、彼らが空想的と貶めた社会主義より質が悪かった。

共産主義者社会主義者は、選良として、国家や国民の上に君臨しようとした。
そのために、世界政府の樹立を目指した。
目的のためには、戦争や内乱を企て、自国民を犠牲にすることも、当たり前と考えた。
そこには人々の自立と共生の関係はなく、独裁があった。
これは、世界の富の80%以上を占めるまでになっている、
100人ほどの国際金融資本家と共通するグローバリズムである。
敵対したのは、労働者と資本家だけではなかった。
国家間でも、民族間でも、宗教者間でも、国民の間でも、
様々なところに紛争の種が溢れていた。
そして、搾取されたのは、99%の、人々であった。
利益は、たったの1%に集中した。

大東亜戦争の方向を決めた、綜合国策基本要綱や基本国策要綱等は、
アメリカに組み込まれる前の、ハワイの国王も共感できるものだった。
そこには、原始的な時代に築かれた世界観をしっかりと受け継ぐ、
人類の歴史に誇るべき、日本主義が、人間同等主義が、優れた思想と理念があった。
日本には、他国民を収奪の対象とする、植民地政策などなかった。
主軸は「人間は同等」「各国の独立」そして「共生」であった。
そこには、大東亜に国家の連合体を作ろうとする広大な企画があった。
それは、まるでアジア版の国際連合であった。
しかし、アジア諸国はそこまで目覚めていなかった。
人間同等主義の観点から、世界の歴史と日本史を再点検すれば、
本当の歴史が見えてくる。実相が分かる。

日本に住みつき、集団を作り、それを徐々に拡大させ、
地域に自治を敷き、国家に対する政治力を徐々に高め、行使し、
ついには、日本国の内部に独立国家を築くことを目論む、植民地主義の動きがある。
海外から移動してきた少数の民族が、日本の国土を大掛かりに買い上げ、
自分たちの地域、街を作り上げ、日本人の近寄りがたい地帯を築き、
犯罪や争乱の温床となる危険性を高めている。
日本国内に、新たに特殊な部落を作り、差別と対立を作ろうとしている。
国家間における相互主義の貫徹が急務となっている。

自己の信ずる神が唯一最高だと洗脳して、
他宗教に対して優位性を主張しようとする、一神教絶対主義も蠢いている。
金儲けのためなら、何でも平気で行う、非情な、拝金主義もうろついている。
間違った歴史認識で洗脳し、国民を惑わせようとする動きが、
教育界やメディア界、ネットの世界その他に見られる。

自らを少数者と名乗り、国民の税金を巻き上げることを目論む、
利権主義が蔓延(はびこ)っている。
陳情を鵜呑みにする国際機関を、まるで世界政府の一機関のように操り、
利用して、その無責任な権威を借りて、
特定の集団や団体に有利な状況を築く動きがある。

逆差別が拡大している。
苦学する日本人の学生は、奨学金を返済しなければならない。
ところが、海外からの留学生は返済する必要がなく、しかも様々に優遇されている。
外国人の居住者についても、助成金などの、様々な優遇措置が取られている。
納税者である日本人には恩恵が少ない一方で、血税は、外国人の優遇政策に使われている。

現在、日本には20を超える国連諸機関の事務所がある。
国際連合/UNは、サンフランシスコ会議で設立された。
「連合国」の構想は、大東亜戦争中に始まり、終戦前に発足が決まった。
当初は、文字通り、 The United Nations であり、「連合国」であった。
それは、白人至上主義に基づくものであった。
そこには「国際」という意味はなく、日本と敵対し、戦った、
大東亜戦争での「連合国」(United nations)そのものであった。
主要機関は、安全保障理事会であった。
安全保障理事会は、「国際平和の維持」に特化した役割を持った。
5大国一致が原則であった。本部は、ニューヨークに置かれた。
最初から、資本主義国のアメリカと社会主義国ソ連が同席し、共同した。

いわゆる敵国条項がある。
敵国とは、第二次世界大戦に「連合国」の敵であった国、
つまり日本、ドイツ、ルーマニアブルガリアハンガリーフィンランドのことである。
敵国に対しては、加盟国は「連合国」決議が無くても行動できる、と規定している。
この条文は、まだ生きている。
紛争解決のために、「連合国」の加盟国は、日本に、武力行使できる。

しかし、その後、「連合国」の編成が変わった。
中華民国」から「中華人民共和国」に、「ソ連」から「ロシア」に交替した。
米ソの冷戦が終結すると、地域紛争が発生し、「連合国」の平和維持活動が増えた。
また加盟国が増加した。敵国であった日本もドイツも加盟した。
反面、アメリカの「国連」離れが起こり、単独行動に走る傾向が強まった。
その結果、旧来の「連合国」主導の運営はできなくなり、
アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの諸国家の動向が、重要な意味を持つようになった。

次第に、「連合国」は変容・拡大していった。
そのために「現連合国」と「旧連合国」の世界戦略が必ずしも一致しなくなった。
アメリカの「現連合国」離れ、「現連合国」批判の強まりが見られる。
先進国首脳会談(サミット)は、「連合国」を多数の途上国が占めたことに対する、
「旧連合国」側の巻き返しと考えられる。「旧連合国」中心主義が揺らいでいる。
「現連合国」の課題は、平和維持だけでなく、
人権、民族対立、人口、資源、環境と幅広くなっている。
しかし、いわゆる敵国条項は、生きたままで、残されている。
つまり、紛争解決のために、加盟国と「安全保障理事会」は日本に対して、
決議が無くても武力行使できる。
大東亜戦争時の世界の対立構図は、依然として継続している。

宇宙衛星や通信手段、電子機器の高度化は、
膨大な個人情報の集積と結び付くとき、
便利さと快適さをもたらす一方で、情報が漏洩した時の損害は大きい。
また人々の管理・監視を可能にする。
電子的な携帯機器の高度化は、それが乗っ取られるならば、
あるいは作動不良にされるなら、
人々の生活を容易に混乱させる。
また小型機器の普及と拡大は、利用者を的にした、武器や兵器に転嫁する可能性がある。
便利さ、快適さだけに目を奪われると、
国家と国民の安全確保が疎かになる危険性を秘めている。
便利さや快適さは、それを使った犯罪行為をも、便利で快適なものにする。
防御プログラムは、防御者を攻撃するプログラムへ、切り替わる。
不便で、多少不満が残る程度の方が、安全なのだ。

怪物や悪党は、力を強め範囲を拡大しながら、
国民の日常生活の安寧を密かに脅(おびや)かしている。

大東亜戦争、この名称は、戦後、GHQによって禁止され、
「太平洋戦争」とすることが強制された。
大東亜とは、インドから東南アジア、支那大陸、そして日本列島に至る、
東アジアを指した。

大東亜戦争が起きた時、
東南アジア諸国やインドは、悉く欧米諸国の植民地にされ、
一方的に収奪され、苦しめられていた。
これに危機感を抱いた日本は、大東亜から欧米諸国の植民地主義を追い出し、
日本を中心とする、各国の共同体である「大東亜共栄圏」を築くために動いた。
日本が侵攻した東アジアにあったのは、英・米・仏・葡などの国であった。

この戦争中に、日本は、欧米諸国の植民地政府を追い出し、
それぞれの地域の住民による政府と軍隊の創設を支援した。
こうして、戦後、東アジア各国は、徐々に、独立を勝ち取って行った。
これが、大東亜戦争が持つ世界史的な意義であり、史実であった。

また日本にとっては、ÅBCDの経済封鎖網に対抗しての自衛戦争であった。
それは、マッカーサーが上院で証言しており、アメリカも認めていた。
真珠湾攻撃を奇襲、とする非難は、ハワイ王国を占領したアメリカが、
ハワイ国民を犠牲にして、自国への攻撃と認めたものだ。
事前に情報を知っていた、非情なアメリカの、巧妙な戦略的プロパガンダであった。

戦後、日本は、事実上、アメリカの属国になり、
その綿密な植民地政策に拘束されてきた。
そのため種々のいびつな事態が生じた。

GHQアメリカは、
日本と日本人の精神を養い、高める、知的財産である文献を焼き払った。
それを迅速に可能としたのは、日本の最高学府で教鞭に立つ左翼的な知識人たちで、
人の目に触れない旧帝国図書館内で、蝙蝠(こうもり)のように飛び交い、
せっせと手助けに励んだ。
彼らは、後に、日を浴びて教授になり、学長になり、最高裁判所の長官になり、
そして勲章を授与された者もいた。
アメリカが行う焚書を手伝ったのは、日本人のエリート達であった。

何より日本国と日本人を不幸にしたのは、東京裁判極東国際軍事裁判)であった。
それは、欧米諸国が大東亜戦争に負けた日本に、
白人至上主義による侵略と略奪、植民地支配で行った数々の残虐な行為の罪を、
全て、日本国とその軍人及びその協力者に転嫁するものであった。

しかし大東亜戦争は、総じて、日本が国を挙げて行った。
それは欧米諸国の残虐な植民地政策との戦いであり、
日本国民は、欧米人による惨殺、凌辱、略奪から逃れるために、必死となった。

いわゆる東京裁判は、公正を装って、
欧米列強の白人至上主義と戦った、勇敢な指導者達を、戦争犯罪人に仕立て上げた。
裁かれたのは、日本の軍国主義であった。
それは、欧米の白人至上主義者たちが、寄り集まって行った、非白人に対する、
有色人種である日本人に対する、リンチ、私刑であった。

戦争犯罪人として巣鴨拘置所に収監されたが、早々に釈放された人々がいた。
彼らは、ほとんどが朝鮮系日本人で、戦中に膨大な財産を築いた者たちであった。
莫大な財産はヘロインによって作られ、その一部は、自民党の設立に使われた。
その後、彼らは、政界やメディア界に進出し、首相になり、新聞社の社主になった。
外の者は、右翼の大物となり、また特権を得て、私営ギャンブルで膨大な財を成した。
彼らの共通点は、朝鮮と強く結びつき、またアメリカに裏から協力し続けたことである。
また、支那大陸で生体実験を行った731部隊を主導した者たちは、責任を問われることなく、
その後、病院長となり、あるいは大学の医学部で教授となった。

大東亜戦争の前から、日本は一貫して、「人種差別撤廃」を主張してきた。
領土獲得を求めず、略奪せず、真正面から堂々と理念を掲げて、
欧米の白人至上主義と戦った、非白人の国家は、それまで存在しなかった。
欧米こそが最高の存在と信じてやまない、自分たちの行いが正義であると信ずる、
欧米の白人至上主義にとって、これは脅威であった。

軍国主義、という決めつけは、
彼らが野蛮な存在と思い込んできた、有色人種である日本人を、
事実上、自分たち白人を脅かす存在、と認めるものであった。

軍国主義という用語は、
これまで否定的なイメージを作り上げるために、使用されてきた。
しかし、日本の国家と国民に投げつけられた、この蔑称は、実は、名誉なことであった。
この軍国主義は、
白人至上主義に対峙するもの、に授けられた、称号であった。
それは、日本の軍国主義が、欧米人に恐怖感を抱かせたことの表現であった。

日本の国家と国民には、その軍国主義には、人は同等であるという精神が、
息づいていた。また、そこには、侍の精神が貫かれていた。
日本の軍国主義の実態は、これであった。
日本軍ほど、信義を重んじ規律正しい軍隊は、世界にも稀であった。
サムライ魂の根底には、人は同等である、とする、日本思想があった。
それは、先人達から引き継いだ、日本人が誇りとすべき、神髄であった。

日本を弱体化させるには、武装を解除する必要があった。
傀儡政権を作る必要があった。
侍の精神に溢れた、軍国主義の指導者たちを、排除する必要があった。
人は同等であると語り伝える、歴史と伝統をなくす必要があった。
日本国家の一体性を粉々に突き崩す必要性があった。
そのために焚書を行い、公職を追放し、
代替として、左翼的な知識人と在日の韓国人、朝鮮人を、取り立て、優遇した。
それまでの日本人とは異質な人々が、日本の国家を操り始めた。

こうして、アメリカの、新たな覇権主義が動き出した。
東京裁判は、その転機、であった。
東京裁判は、質的に変化した、新たな覇権主義の始まりを、告げるものであった。
それは、アメリカによって、巧妙に仕掛けられた。
それまでの植民地政策を質的に変容する、高度な植民地政策の始まりであった。

アメリカの占領政策は、日本国の中枢にあった軍人と、その他の国民とを、
巧妙に、意図的に、分断する作戦であった。
悪いのは、戦争を煽った軍人とその協力者であり、
それ以外の人々は、巻き添えを食ったのだから、責任がないのだ、と。
この、国民を二つに分断する、作戦は、
戦中、日本の共産党のリーダーが、支那大陸で、
中国共産党の下で、日本兵に行っていた方法を、取り入れたものであった。

その結果、多くの日本人は、
処刑された軍人とその家族の方々に、顔向けできない心理状態に陥った。
また、国民のために戦地と内地で奮闘し、死傷していった、
兄弟や親類縁者、そして友人や知人に対して、申し訳が立たないものとなった。
何もかも日本が悪かった、という犯罪意識を刷り込まれ、
意図的に仕組まれた、日本が悪かった、という自虐史観に導かれた。
小事があたかも大事であるかのように洗脳され、
当時の日本が置かれた世界的な状況を、国民が置かれた危機的な状況を、
客観的に把握することができなくなった。

それでも大東亜戦争は、総じて、世界中に蔓延していた、
非白人、有色人種を人間として扱わない、白人至上主義による植民地主義に、
一矢を報いるものであった。

大東亜戦争、この戦いは、二個の原子爆弾が投下されるまで続いた。
原子爆弾の投下は、日本に戦闘能力が既に無いのを、承知で行った。
それは、有色人種を試験用のマウスに見立てた、情け容赦のない、非人道的な実験であり、
かつ、新たな覇権争いで優位に立つための、手段でもあった。

大東亜戦争後の、欧米の覇権争いは、すでに始まっていた。
アメリカは新たな覇権争いの先陣を切った。アメリカは巧者だった。
日本で進んでいた核兵器開発の器具や関連する資料等を直ちに没収した。
また731部隊化学兵器の開発は、アメリカ本土へ引き継がれた。
それでも大東亜戦争は、大きな犠牲の上に建てられた、
地球を覆った巨大な、人種差別の、壁に切り込んだ、
小さいが、大きく拡散する、光の通り道を作るものであった。
それは、日本で縄文時代から連綿と続く、
世界が一つの家族のように生活するという、自立した国家の連合体を作るという、
崇高な、八紘一宇の、理想を掲げた戦いであった。

日本は、大きな危険の渦に、飲み込まれそうな状況になっていた。
その状況下で、反戦を唱えることは、耳障りは良いが、
欧米列強に無防備に屈服することであり、それは略奪、凌辱、残虐な行為を招き入れ、
奴隷として、大切な国家の利益と国民の財産や身体・生命までも、
差し出すことを意味した。

戦後の歴史教育は、戦争の史実を覆い隠してきた。
日本の歴史を、世界史の中で、的確に位置付けることをせず、
戦争は悪いものだ、という心情に訴えることを主眼とした、
戦争で覇権を握った白人至上主義を一方的に利するものであった。
それは「人種差別撤廃」を主張し続けた、先人達の偉大さに、
まともに焦点を当てない、先祖を貶める、ものであった。
こうして戦後の日本では、大東亜戦争について語ることがタブーとなった。

だが、世界的に、覇権主義はそのまま温存されてきた。
東京裁判で、白人至上主義が、その植民地主義が、人種差別が
罰せられることはなかった。戦争犯罪人は、真犯人は、別にいた。
それは、日本にお仕着せた犯罪は、冤罪、であったことを意味する。
白人至上主義に基づく覇権主義に突き動かされる、
国家間の勢力争いは、現在に至るまで、止むことはなかった。
冷戦として、熱い紛争として、間然として継続してきた。
アメリカに、事実上、支配され続けた日本の現実としても。

GHQアメリカは、日本人の公職追放を行った。
教育界、政界、司法、行政等から日本人を締め出し、
開いた席には、左翼的な日本人や在日韓国・朝鮮人を据えた。
アメリカを実際に代表したのは、マッカーサーではなく、情報参謀のウイロビーであった。
そのウイロビーの上司は、ロックフェラーだった。
GHQアメリカは、韓国と朝鮮を上手に使い始めた。
強制的に追放されたのは、いわゆる軍国主義の思想を持ったもの20万人以上。
密告の危険を察して自ら身を引いたものは数十万人。
有能な人材が、表舞台から引きずり降ろされた。
戦後復興の中軸となる要職は、GHQに擦り寄った者と在日韓国・朝鮮人が占めた。
公職追放は、日本の戦後復興を、精神的にも人的にも、大きく阻害する政策であった。

覇権主義者にとっては、
国境も、自分たちとは違う思想も、歴史や伝統、そして文化も言葉も、
ただ邪魔なだけの障害物でしかない。

大東亜戦争は、アメリカが主導した東京裁判で、
決着がついたように思われたが、実際には、何も解決していなかった。
領土の確定も不透明なままで残され、
戦争の火種は、そこ、ここに、残されたままであった。
ただ、一時休戦した状態に過ぎなかった。

新たな覇権主義の争いは、この日本を舞台に、開始した。
アメリカは、日本を核の傘で守ると、甘い言葉で誘い、軍隊を要所に配置した。
中国共産党は、在日中国人や、日本国籍を取得した中国人や留学生等を足場に使い、
また日本の土地を買い占めることで。
韓国や朝鮮は、日本人の財産を奪いながら、公職追放時に国家の要職に潜り込んだ。
また中華思想の選良意識を抱き続けた、面従腹背の在日韓国・朝鮮人を使って。
そのため、官僚は、日本国民よりも、外国人に対して配慮するようになった。
ロシアは、シベリアに抑留した補償をすることなく、北方領土を切り札にして。

旧ソ連が盗み取った日本の領土は、北方四島だけではない。
南樺太占守島(しゅむしゅとう)から得撫島(うるっぷとう)に至る千島列島は、
勿論、日本の領土である。
サンフランシスコ講和條約で、日本は、南樺太・千島列島・北方四島、を放棄させられたが、
その講和会議には、旧ソ連は参加していない。
従って、「北方領土」と言うのは、本来、南樺太・千島列島・北方四島、を指す。

日本が大東亜戦争で敗戦した理由には様々あった。
戦線の拡大は、戦力を拡散させ、弱体化させた。
特に海外への進出は、支援物資の搬送が重い負担となった。
不慣れな戦地には兵隊を苦しめた病原が潜んでいた。
「知らす」統治の仕方は、統治下の国民にその意欲がなければ、効果的でなく、
資金面、人力面、物資面でも、軍人と銃後の国民をいたずらに疲弊させた。
独自の武器開発が十分でなかった。資源も外部から調達するしかなかった。
情報収集力が不足していた。等々。

豊臣秀吉は、日本を統一して、刀狩りを行い、庶民から武器を取り上げた。
それまでの日本人は、百姓に至るまで闘争心を持っていた。
江戸幕府になると、参勤交代など、諸藩の財政を苦しめる方策をとった。
また鎖国政策によって、海外情報の収集が狭く偏ったものになった。
武士階級の所得は米であり、貨幣経済の海外諸国とは、違いが大きすぎた。
そのため、貨幣経済の理解が不十分で、大量の金銀が海外へ流出した。
さらに、諸藩の武力が強化されることを恐れるあまり、
江戸幕府には、国家としての対外的な国防力を強化する政策がなかった。
幕藩体制は、諸藩の連合体であった。そして国防力は諸藩の裁量に任された。
したがって、連合体の統一した国防力は存在しなかった。
そのため、海外の武器商人は日本の弱点を容易に突くことができた。
個々の藩と幕府に働きかけた。各個に撃破する政策は容易であった。
明治維新を決定づけた「戊辰戦争」は、双方の背後にいた海外の金融資本に煽られた。
この時代の「知らす」統治は、国家を疲弊させる力として強力に作用したが、
対外的に纏(まと)まりのある防衛力を成長させることはなかった。

今、日本人には、国防の義務がない。兵役の義務がない。
日本国籍を取得した外国人には、日本を守る義務がない。
スパイでなくても、日本から、逃げ出すことが可能だ。日本を裏切ることができる。
日本国憲法の最大の欠陥は、ここにある。憲法第9条の改正ではカバーできない。
縄文以来の日本国民の比重が下がれば、一層、危険に晒されることになる。

国籍は、その全員を、潜在的な兵士にする。
ある国に国籍を有すると、その国の「国防の義務」を負う。
国籍を日本に移しても、心情的に、母国の「潜在的兵士」であることも可能だ。
他国の国籍を、意図的に、取得することもある。
日本を滅ぼし、あるいは日本国内に独立国を立ち上げ、
その後で、その国へ国籍を移せば良い、だけのことだ。
それは、日本の分断、壊滅を、意味する。日本への裏切り行為だ。
金や土地だけ、ちゃっかり、頂けばいいのだ。
仮に日本が小国として残ったとしても、
常に紛争と侵攻の脅威にさらされ、打ち震え、疲弊しなければならない。
二重国籍者が国民を代表する政治家になる。
海外から渡来した者が日本国内で反日の政治活動をする。等々。
もはや日本は法治国家ではない。一体の国民意識も失われてきた。

だからこそ、力をつけた怪物は、その巨大に膨らんだ姿を現し始めた。
身動きできる範囲を拡張するために。
抑えきれないほど内部に蓄積したストレスを発散するために。
そして、かつての覇権国に代わって出現した新たな覇権主義国は、大東亜に進出して、
巧妙で狡猾に、騙し討ち、居座り続ける戦術で、植民地政策を取り始めた。
血を流さない代わりに、国力を削ぎ、国民の血税を大量に流させて。
また他国の領土を、事実上も、実質的にも、手中に収めて。
金や色仕掛け、手練手管を駆使して、罠にかけて。
教育やメディア等、官僚、国や地方の議員を操って。
日本に対しても、国内を分断する、その準備が整い始めた、と判断した。

今、日本を消滅させかねない、深刻な事態が起きている。
「移民受け入れ」だ。紛争の種となる、特殊な部落を新たに作るようなものだ。
血税を、国民ではなく外国人に、長期的に、大量に、注ぎ込もうとしている。
国内を細分化し、治安を悪化させ、国家を滅ぼそうとしている。
また、日本人から最小限の武器である、言論の自由を取り上げるのは、
ヘイトスピーチ対策法」だ。
日本はまだ、戦後の混沌を引きずったままで、脱出できずに、蠢いている。
日本国家の要職は、まだ、国益と国民を第一に考えるものの手に、取り戻されてはいない。
度重なる震災の復興だけでなく、戦後の復興も、まだまだ不十分だ。
先人たちに比べて、日本主義とサムライの精神は、まだ未成熟だ。

労働力の不足など、問題ではない。安易な手段に飛びついたら危険が待っている。
むしろ絶好の機会が到来した、と考えるべきだ。
苦しい時ほど、じっと耐え、知恵を絞れば、きっと良い考えも生まれる。
今こそ「助け合い」の精神が必要だ。それを先人たちに学ばなければならない。
問題の解決は、個人で抱え込まずに、同じような状況にある方々や見識のある方々、
そして若く柔軟な思考を持つ後進の知恵を生かすことだ。
打てば必ずや響いてくれる。日本人の若いエネルギーの可能性に賭けることだ。
老いた者も、年長者も、これに負けてはいけない。
外国人の受け入れは、単に就労の問題にとどまらない。
国民の安全、地域の安定、教育や社会保障、国籍の付与、政治参加の問題等を含めた、
日本を根幹から揺るがす、日本の財産と税金を食いつぶす、多次元の問題である。
移民受け入れは、欧米ですでに失敗した、白人至上主義の政策を導入するものだ。
外国人は、良い人ばかりではない。価値観、人間性も宗教も、生活習慣や思考も全く違う。
平穏な国家の中に不穏な部落を創生するに等しい。
今や、日本人が、主役から降ろされ、「村八分」にされ始めた。

今、怪物や悪党の退治が、必要となっている。
まず目覚めることだ。
指導者であった神の末裔を、
サムライの末裔とその仲間たちを、復活させなければならない。
しかし、勇猛果敢であったサムライの子孫は、70数年の間、
先人たちを踏みつけにして得られた、儚(はかな)い平和の夢に酔いしれるばかりで、
恐ろしい脅威が、すぐ間近に迫っていることに気づいていない。
いまだに、怪物の実体や悪党の本性がしっかりと認識されずにいる。

考古学の深化と学際的な研究が進むにつれて、
日本の歴史が、これまでの定説が、覆されている。
これまで教科書では、あらゆるものが、西方から日本へ、伝播して来たとされた。
しかし、実際には、稲の栽培も、漆器も、土器も、
日本から支那大陸へ、日本から西方へ、伝播していったことが判明した。
日本文明が、世界の最先端を行くものであったことが、判ってきた。
人類の女性の発祥が、アフリカにあることは、ほぼ証明されたが、
人類の男性の発祥がアフリカにあることは、証明されていない。
また、このことと、文明が、日本から西方へ伝わることとは、矛盾しない。
時に、日本では、漢字以前の古代文字の存在が、取り沙汰されている。
漢字より先にカタカナが使われていたかもしれないのだ。
今、中国人が使っている漢字の元でさえ、八割は明治時代に日本人が作り出したものだ。
ハングルも、ほぼ日本語の文章をそのまま発音しているにすぎない。
支那大陸の古代国家や文明さえ、日本人が関与している可能性が出てきた。
日本人は、一体となって、歴史と伝統を進化させてきた。

これまで欧米諸国は、歴史と伝統を書き換えてきた。
それは、勝者が、敗者が持っていた過去の歴史と伝統を、ほとんど抹殺したからである。
だからこそ、聖書に、出来合いの歴史と伝統を、正当性を、求めた。
これに対して、日本は、歴史と伝統のページを増やしてきた。
日本主義は、異なる者が共生することで、歴史と伝統を書き足したからである。
大東亜共栄圏の構想は、一見するとファンタジーに見えるが、
古来から続く、日本の歩みの深層を流れる、水脈そのものを表現していた。
そこには、人は魂を持つものとして大切にしなければならない、
人は同等である、という思想があった。

世界には、広く国民を豊かにするか、少数者が富を独占するか、
の2種類の違った世界があった。
富を独占するためには、相手より強力な武器を必要とした。
多くの国民が豊かな生活を享受することと強力な武器の開発とは相反してきた。
最先端の武器を開発した国家は、国民の生活を大切にする文化国家を滅ぼしてきた。
勝者、権力を握った少数者が、財産を手中に収め、多数者を滅ぼした。
一面的で形式的な階級対立の社会観や進歩史観、選良優越主義に立脚したマルクス主義
鉄と武器を物差しにする欧米の白人至上主義に立つ歴史観だけでは、
日本も世界も、その本当の姿を、認識することはできなかった。
国家と国民を守ることは、歴史と伝統、独自の文化を守ることと同義であった。
独自の文化・文明を持ち、命を大切にする国家が生き残るためには、防衛力が不可欠だった。
命をぞんざいに扱い専権を掌握しようとする敵に勝る、武器を開発する必要があった。

確かに人間同等主義は弱さを抱えている。
共生するためには、一体性を築く必要があるが、現実の人間は同等ではない。
同等である人の範囲を拡げるとき、その脆さは一層際立つ。
それは無防備にする範囲を拡げることでもある。
安易に同等とみなす人間の範囲を拡大したために、日本人は不幸になってきた。
人間の輪を広げるためには、それを妨害する者への、対抗手段を必要とした。
それは自衛力であり、伝家の宝刀である、最先端の武器と軍隊であった。
排他的で強力な優越主義に染まった人間を相手にするとき、それは決定的になった。
日本人は、今一度、人間は同等であるという思想の原初に、立ち返るべきだ。
同等な人間の範囲を、先ずは、日本の国家と国民を第一に考える者に、絞るべきだ。
そして、日本人としての尊厳を取り戻すことだ。より強くなるために。
同等と認める人の範囲は、徐々に、焦らずに拡張すれば良い。全てはそこから始まる。

日本の神様は、信じていた。
日本は今や「小国」になった。些細な成果に一喜一憂している。
電子機器や宇宙開発では中国に、食やドラマなどの人気では韓国に負け始めた。
先の大東亜戦争では、日本一国が、死に物狂いで、世界列強を相手に戦った。
日本は勇敢な「大国」であった。しかし、それはアジアにおける「大国」であった。
世界の列強を相手にする時、日本は弱小であった。余りにも力不足だった。
それなら、強くなればいい。弱点を見直し、もっと賢くなればいい。
自分たちの末裔は、日本人の誇りを、きっと取り戻す。
不屈に、真摯に課題と向き合い、必ずや解決する。
そのためには、国民と国家が一体性を取り戻さねばならない。
競い合いながらも、助け合うことが大事だ。分散していては強くなれない。
今はまだ、目まぐるしく展開する、虚像に惑わされているが、
取り組むべき実像は、意外にも足元に、目の前にある。
確かに物事には潮時がある。時機を逃したら手遅れになる。
それでも、祖先の神々は信じていた。その時はきっと来る。

海外との関係では「国益」第一主義で、国内では「国民」第一主義で。
グローバリズム」第一主義でなく「ナショナリズム」の国民第一主義への転換を。
今、東アジアで、日本で、「覇権主義」が、「植民地分断主義」が活発化している。

八百万の神々は、子々孫々に向かって、お言葉をかけられた。
われ等は、在りて、在るものである。
いつまで惰眠を貪るのか。
日本は今、建国以来の、存亡の危機に直面している。
神々の魂を受け継ぐ者たちよ、
サムライの魂を受け継いだものたちよ、目覚めよ。
そして、立ち上がり、しっかりと在れ。
先人たちの貴重な遺産を、偉業を、決して、無駄にするな。

 

平成31年3月17日(2019.03.17)
不二原 岳
(2019.04.13更新)

(注意)この文書は、ファンタジーですが、史実に基づくことを心掛けています。史実に誤りがあると判断した場合は、随時、訂正します。