捕囚生活に慣れた日本人

 

現代版 日本神話 神々の言葉

古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず神話は史実を伝えてきた。
伝承にもその基になった史実がある。


***日本人は、今、共通の観念、共通の常識がない時代を生きている。

食わず嫌いはよせ!
嫌うなら嫌え、だが、それは、本当のことを知ってからにしろ。
君は知っているのか。
日本の軍隊がしたことを。
中国や朝鮮は、嘘をつく。
焼きもち焼きだから。
中国や朝鮮は、本当のことを知られたくないのだ。
嘘や誤魔化しなど相手にするな。
いま私たちがあるのは、日本の兵隊様のお蔭だ。

日本に自信を持とう!
先人たちを、祖先を誇りに思おう!
必要なことは、ただ一つ。
それは、真実の歴史を知るだけのこと。
大東亜戦争の真実を知ること。
軍人が、兵隊が、何を思い、何をしたのか。
たったそれだけのこと。
本当のことを知ること。
たったそれだけのことだ。
日本を悪者と思い込む必要など、どこにもないのだ。

日本には、本当は、自由がない。
自衛権があると言われるが、自衛力を行使できない。
表現の自由があると言われても、表現方法が厳しく制限されている。
真実の描写が、残酷な表現だと規制される。
言論の自由があると言われても、ヘイトスピーチとして、規制される。
的確な表現が、作品でも、日常会話でも使えない。
庶民的な、気軽で闊達な表現まで、気を使い、自粛しなければならない。
神経が磨り減る。
これでは、在るようで、無いのだ。
在るのは、自由ではなく、束縛だ。

制度や構造にだけ、目が向けられている。
争点がずれている。論理が逆転している。
国体が大事だという。
しかし、国家が無く、国民の存在しない処に、国体は存在しない。
このままでは、文字通り、裸の王様になる。
日本国民の精神がないところに、国体を保持できないのだ。
国体が大事だというなら、なぜ大事か、説明しなければならない。
国民を納得させなければならない。
最早、戦前の、門切り型の思考も文句も、通用しないのだ。
それが、一般の常識ではない、からだ。

何故、国体が大事なのか。
何故、皇室は、男性の系統が大事なのか。
それは、日本では、建国当初は、実は、多民族が勢力を争っていたからだ。
海外から異民族が大勢でやって来た。
だから、当初からの、縄文時代からの、日本民族の系統を保持する必要があったのだ。
日本の民族同士が、国譲りするのは、当たり前なのだ。
戦いを恐れたからではない。
それは、日本人の血統を維持するための知恵だったのだ。
日本は、決して、平穏な時代ばかりではなかった。
阿毎字多利思比孤(あめのたりしひこ)天子=聖徳太子
和を重んじたのには、深刻な事情があった。
結局、その天子も殺されてしまったのだから。

万葉集・研究家の福永晋三氏によれば、
枕詞の「ちはやぶる」は、壮絶な戦いによって、血の雨が降ることであり、
真っ赤な「ダルマ」は、戦いで四肢を、両上下肢を切り落とされた、神々の姿を描写している。
日本神話や万葉集などは、目の前の戦いを描写し、史実を伝えてきた。
日本の神々は、全て、実在していたのだ。
日本列島では、平和な状態を築くために、血みどろの世界が展開されてきたのだ。
目を覚ますために、史実を知らなければならない。
そのためには、血生臭い戦場を直視することも必要だ。
平和は、天変地異の休止期間のようなものだ。
穀物や鉱物資源など、豊かな国は、常に、略奪の対象になる。

今、皇統を断絶させようとする人たちがいる。
住所を住民票などに記載させない、という運動も起きている。
これは、犯罪を蔓延らせる、だけではない。
無国籍、無住所を求めるのは、単なるグローバリズムではない。
それだけなら、彼ら自身が、海外に移住すればよいからだ。
彼らの目的は、真の狙いは、日本人の拠り所を、略奪することにある。
彼らは、日本列島を、自分たちの支配下に置きたいのだ。
日本列島を乗っ取りたいのだ。


***戦前には、日本人には常識があった。

戦前には、日本人ならば誰もが知る、福沢諭吉も引用した、常識があった。
『実語教』と『童子教』である。
ともに、鎌倉時代から明治の中頃まで、初等教育から、教育の柱とされてきた。


【新釈実語教】(富士川 游、述より抜粋。)
 
山(やま)高(たか)きが故(ゆえ)に貴(たっと)からず
樹(き)あるを以(もつ)て貴(たっと)しとなす

人(ひと)肥(こえ)たるが故(ゆえ)に貴(たっと)からず
智(ち)あるを以(もっ)て貴(たっと)しとなす

富(とみ)はこれ一生(いっしょう)の財(たから)
身(み)滅(めっ)すれば即(すなわち)ち共(とも)に滅(めっ)す

智(ち)はこれ万代(ばんだい)の財(たから)
命(いのち)終(おは)れは即(すなわち)ち随(したが)つて行(ゆ)く

玉(たま)磨(みが)かざれば光(ひかり)なし
光(ひかり)なきを石瓦(いしかわら)となす

人(ひと)学(まな)ばざれば智(ち)なし
智(ち)なきを愚人(ぐにん)となす

倉(くら)の内(うち)の財(ざい)は朽(くち)ることあり
身(み)の内(うち)の才(さい)は朽(くち)ることなし

財物(ざいもつ)は永(なが)く存(ぞん)せず
才智(さいち)を財物(ざいもつ)となす

君子(くんし)は智者(ちしゃ)を愛(あい)し
小人(しょうじん)は福人(ふくじん)を愛(あい)す

貧賤(ひんせん)の門(もん)に出(い)づと雖(いえど)も
智(ち)ある人(ひと)のためには
あたかも泥中(でいちゅう)の蓮(はちす)の如(ごと)し

友(とも)に交(まじわ)りて諍(あらそ)ふことなかれ
己(おのれ)より兄(あに)には礼敬(れいけい)を尽(つく)し
己(おのれ)より弟(おとうと)には愛顧(あいこ)をいたせ

人(ひと)として智(ち)なきものは
木石(ぼくせき)に異(こと)ならず

人(ひと)として孝(こう)なきものは
畜生(ちくしょう)に異(こと)ならず

己(おのれ)が身(み)を達(たっ)せんと欲(ほっ)するものは
先(ま)づ他人(たにん)を達(たっ)せしめよ

他人(たにん)の愁(うれい)を見(み)ては
すなはち自(みずか)ら共(とも)に患(うれ)ふべし

善(ぜん)を見(み)ては速(すみや)かに行(おこな)ひ
悪(あく)を見(み)てはたちまちに避(さ)けよ

悪(あく)を好(この)む者(もの)は禍(わざわい)をまねく
あたかも身(み)にしたがふ影(かげ)の如(ごと)し

富(と)むといへども貧(まず)しきを忘(わす)ることなかれ
貴(たっと)しといへども賤(いや)しきを忘(わす)ることなかれ

或(あるい)は始(はじめ)は富みて終(おわ)りに貧(まずし)しく
或(あるい)は先(さき)に貴(たっと)くして終(のち)に賤(いや)し

故(ゆえ)に末代(まつだい)の学者(がくしゃ)
先(ま)づこの書(しょ)を案(あん)ずべし

是(こ)れ学問(がくもん)のはじめなり
身(み)をはつるまで忘失(ぼうしつ)することなかれ
 
 
童子教(どうじきょう)』(『実語教 童子教』文化十一年、鶴屋〈仙鶴堂〉板より抜粋)

堂塔の前に向かつて  
不浄を行ふべからず
聖教(しょうきょう)の上に向かつて  
無礼を致すべからず

人倫礼有れば  
朝廷に必ず法在り
人として礼無きは  
衆中(しゅちゅう)又過(あやま)ち有り

衆に交はりて雑言(ざうごん)せざれ  
言語(げんご)離すことを得ざれ
勇む者は必ず危(あやう)き有り  
夏の虫の火に入(い)るが如し

鈍(にぶ)き者は又過(あやま)ち無し  
春の鳥の林に遊ぶが如し
人の耳は壁に付く  
密(かく)して讒言(ざんげん)すること勿(なか)れ

人の眼(め)は天に懸(かゝ)る  
隠して犯し用ゆること勿れ
人は三寸の舌を以つて  
五尺の身を破損す

口は是(これ)禍(わざはひ)の門(もん)  
舌は是(これ)禍(わざわひ)の根
口をして鼻の如くならしめば  
身終るまで敢へて事無し

禍福は門に無し  
唯(ただ)人の招く所に在り
天の作(つく)る災は避(さ)くべし  
自(みずか)ら作(つく)る災は逃(のが)れ難し

人として陰徳有れば  
必ず陽報有り
前車の覆(くつがえ)るを見ては  
後車の誡(いましめ)とす

前事の忘れざるは  
後事(ごじ)の師とす
人は死して名を留(とど)め  
虎は死して皮を留む

境(きょう)に入(い)つては禁(いましめ)を問へ  
国に入(い)つては国を問へ
郷(ごう)に入(い)つては郷に随(したが)ひ  
俗に入つては俗に随へ

門(もん)に入(い)つては先(ま)づ諱(いみな)を問へ  
主人を敬(うやま)ふ為なり
君の所(ところ)に私(わたくし)の諱(いみな)無し  
尊号二つ無ければなり

生れながらにして貴(たっと)き者無し  
習ひ修(しゅう)して智徳とは成る
貴(たっと)き者は必ず冨まず  
冨める者は未(いま)だ必ず貴からず

冨めりと雖(いえど)も心に欲多ければ  
是(これ)を名づけて貧人(ひんじん)とす
貧なりと雖(いえど)も心に足(た)れりと欲(ほっ)せば  
是(これ)を名づけて冨人(ふじん)とす

悪人に順(したが)ひて避(さ)けざれば  
緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
善人に馴(な)れて離れざるは  
大船の海に浮かめるが如し

善き友に随順すれば  
麻の中の蓬(よもぎ)の直(なを)きが如し
悪しき友に親近すれば  
藪(やぶ)の中の荊(いばら)の曲(まが)るが如し

酒に酔(よ)ふて心狂乱す
食過ぐれば学文に倦(う)む  
身温(あたた)まれば睡眠(すいめん)を増す
身安ければ懈怠(けたい)起る  

恩を戴(いただ)ひて恩を知らざるは
樹の鳥の枝を枯らすが如し  
徳を蒙(こうむ)つて徳を思はざるは
野の鹿の草を損ずるが如し  

以上


***戦後の常識は、戦前の常識とは違う。

戦後は、実語教や童子教は、教えられていない。
確かに、これらには、時代遅れのものがある。
しかし、物事の本質を追求する精神に満ちている。
戦後、教育制度はあっても、教育内容が劣化した。
日本人の常識として、誇れないものがある。
義務教育は、日本人を愚かで骨抜きにするための、洗脳手段になった。
自虐史観がその例だ。
日本人を精神的に破壊する内容になっている。
教育内容を操作する者たちによって、日本の国家も国民もその意識は消される。

実際、戦前の常識は、大通りでの流通量を、極端に減らされた。
欧米流の大きくて派手なものは目に留まる。
政治も同じだ。
金融制度や財政制度はあるが、金融内容や財政内容は、軽んじられる。
箱や包装の見栄えだけが問題にされ、大事な中身は二の次だ。
あんこは、量ばかりでなく、その質が大事であるにも拘わらず。
知識量が増えても、残念なことに、知恵や知力にならない。
知識に拘り、そのために自由な発想を殺し始めている。
知識の質を不問にしてきたからだ。
欧米から輸入した知識を、すべて正しいものとして、検証しなかったからだ。
医学や経済学はその典型的な例だ。
知識を疑え。それが知力だ。

医は仁術ではない。
治療でなく、医的行為が、収入源だ。
病気を直しては、収入減になる。
医的行為を増やすには、早期の健診や定期の健診を繰り返すことだ。
投薬も同様だ。
金のない患者は、仁徳のある医者や薬剤師を探すしかない。
その他の医療行為も同様だ。
今の主流は、医学でなく、経営医学だ。
経営医学が、保険制度を食い物にしている。

経済学は、経世済民の学とは限らない。
日本では、欧米の学問が中心となるまでは、経世済民が本流とされた。
しかし、欧米から導入した、主流とされる経済学は、机上の空論を得意とする。
彼らは、お金の本質も、資産や利権の略奪の仕組みも、明らかにしなかった。
ほとんどが、現実の経済状況を隠蔽する、誤魔化しの、修辞学に終始した。
彼らが考え出した実務的なことは、株式や制度を利用して、企業や財産を収奪する方法である。
経世済民となる実務的なケインズなどは、主流派の経済学にとって、邪魔な存在となった。
庶民のための学問と資産家のための学問は、内容が違うのだ。
協和のための学問と金権独占に奉仕する学問では、思考方向が、まるで逆なのである。
明らかにするか、隠すか、それ程の違いだ。

善人は、悪いことを明らかにして、改心しようとする。
反対に、悪人は、悪いことまで良いこととして宣伝するが、
都合の悪いことは、徹底的に、隠し通そうとする。
悪人のための知識と善人のための知識では、質が全く違うのだ。
学ぶことが単純に奨励される時代は既に終わった。
学と付くものを、鵜呑みにするのは、もう止めよう。
学問や知識の内容が問題なのだから。

誤魔化しを見抜く力。それが本当の知力だ。
知識量を自慢したい奴は相手にするな。
協和政策をとるために、金権独占政策に出たら、国民を苦しめる。
デフレ対策のために、インフレ対策に出たら、国民を不幸にする。
庶民のために、共存共栄のために、協和政策をとるなら、
それにふさわしい学問や知識に、経世済民の考えに、依拠しなければならない。


***戦時中の日本の軍人は、本当に悪いことをしたのか

以下は、『教科書が教えない歴史』(扶桑社文庫)を参考にして、記述する。

ある日本人の教師が、マレーシアの上院議員ラジャー・ノンチックに会い、そして言った。
「日本軍がマレー人を虐殺した事実を調べにきた」と。
議員は驚いて言った。
「日本軍はマレー人を一人も殺していない。
日本軍が殺したのは、イギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。
それは戦闘によるものです。そのために、日本の将兵も血を流した」と。

このノンチック議員は、かつてマレーシアの独立に半生をかけた。
マレー半島は、かつて150年もの間、イギリスの植民地支配に苦しんでいた。
大東亜戦争の時、アジアにおいて、独立国は日本とタイだけであった。
他の国々は、欧米列強の植民地となっていた。

当時の欧米列強は、有色人種が住むアジアを、白人のために資源を供給すべき国々、
白人に隷属すべき国々と見做していた。
白人は、アジア諸国から収奪し、搾取を続けた。
しかし1941年、日本はマレー半島に侵攻し、イギリス軍を打ち破った。
そして、日本軍はマレーシア独立のために尽力し、マレー人の青少年の教育に力を注いだ。

「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」
そうした機運が彼らの内に育てられた。
マレーシアのラジャー・ノンチック上院議員は、その一人であった。
彼は、留学生として日本に派遣された。
日本人の教官たちは、留学生たちを、
「独立を戦いとるためには、連戦連敗しても、なお不屈の精神を持つことだ」
と励ました。
日本政府は、食糧難の中にも、留学生の食糧まで集めた。
この日本留学の経験は、ノンチックの人生を変えた。

1945年、日本の敗戦をうけて、ノンチックは、決意を新たにした。
「日本はアジアのために戦い疲れて破れた。
今度はわれわれマレー人が、自分の戦いとして、これを引き継ぐのだ」。
ノンチックらは、祖国独立のために戦いを続け、ついに1957年、祖国独立を果たした。
さらに、日本に来た南方特別留学生たちが中心となり、現在のASEAN東南アジア諸国連合)を設立した。

ノンチックは、詩を残した。
「かつて日本人は清らかで美しかった。
かつて日本人は親切で心豊かだった。
アジアの国の誰にでも、自分のことのように一生懸命尽くしてくれた」。

かつて日本軍は、アジアの解放のために戦った。
しかし戦闘の相手は、アジア人ではなかった。
日本は、アジアをアジア人の手に取り戻すために、欧米人を相手に戦った。
この時、中国は、欧米に味方した。
朝鮮は、自ら立ち上がろうとはしなかった。
中国や朝鮮には、アジア人としての、誇りなど無かったのだ。

「日本はアジア諸国を侵略した」という。
日本がアジアを侵略した時、アジア諸国は独立した国家であったのか。
アジア諸国は、戦後、日本から独立したのか。
それは違う。アジア諸国は、欧米列強から独立した。
そうだ。アジア諸国は、欧米列強に侵略されていたのだ。
「日本はアジア諸国を侵略した」のではない。
正しく言おう。
日本は、アジアにあった、欧米列強を、侵略したのだ。

そうだ。日本は、「とてつもなく悪い国だった」のだ。
欧米列強にとっては、許し難い存在だったのだ。
日本は、欧米列強のわがままを正そうとした。
弱い者をいじめる欧米列強を、懲らしめようとした。
欧米列強は、それが許せないのだ。
悪い国が誰か。もはや言うまでもない。
悪いことをした欧米列強に楯突くから、
日本は、「とてつもなく悪い国だった」のだ。
そして、中国や朝鮮は、弱い者いじめに加担するのだ。

戦後、タイの首相になったククリット・プラモートは、1975年、
次のような記事を書いた。(1941年「12月8日」、サンヤム・ラット紙)
「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子どもはすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。
われわれは、この日を、忘れてはならない」。

大東亜戦争の時、日本とタイは同盟関係にあった。

インドネシアは、じつに約350年もの間、オランダの植民地だった。
オランダのインドネシア人を愚民、貧民のままに押さえ込むという政策のもとで、
インドネシア人の平均寿命は、一説によれば35歳にまで低下していた。
人々の間で、
「いまに北方から黄色い強者が空から降り、圧政者を追放してくれる」
という12世紀の王、ジョボヨヨの予言が信じられるようになった。
大東亜戦争が始まった翌年、日本軍がインドネシアに上陸すると、
現地の人は日本軍を歓迎し、積極的に作戦に協力した。
彼らの目に、日本軍は、自分たちを解放してくれる、「北方の黄色い強者」と映った。

日本軍はオランダ軍を破り、インドネシアに軍政をしいた。
しかし、その軍政は、インドネシア人の自覚を高め、独立を勝ち取らせることを目指した。
日本軍は、オランダ語に代えてインドネシア語を採用し、インドネシア人を軍事訓練し、
住民組織を作らせ、また行政組織の重要な仕事をインドネシア人に委譲した。
これらのことは、インドネシアの学校用歴史教科書にも、日本占領の利点として記されている。
また日本軍は、インドネシア義勇軍(PETA)を編成。日本人が隊長となって、
防衛のための、様々な訓練をインドネシア人に行なった。

日本の敗戦で、インドネシア義勇軍も解散させられたが、その隊員たちは、
続くインドネシア独立戦争で主力となった。
インドネシアは、日本敗戦の2日後の1945年8月17日に独立を宣言した。
しかし、オランダやイギリスは、再びインドネシアを植民地にしようと、一方的に攻撃してきた。
これがインドネシア独立戦争だ。
このとき、インドネシア独立のために、自分の意志で戦いに参加した日本人たちが数多くいた。
彼らは「共に生き、共に死ぬ」(共生同死)と誓って独立戦争に参加したが、その多くは戦死した。しかし、インドネシアは独立を果たした。

フィリピンでは、日本は、義勇隊が、フィリピン独立運動を支援した。
フィリピン人と共に、米国の軍隊と戦った。
ビルマでも、多くの日本人が、ビルマ人と共にビルマ独立義勇軍を編成し、独立運動を展開した。
インドでも、インドの独立のために数多くの日本人が援助した。

インドのオールドデリー市街、チャンドラ・ボース公園には、
「インド独立義勇軍(INA)と日本兵たち」の像がある。
日本兵は、インド兵と共に戦い、それがインド独立の基礎となった。
独立前に、インド法曹界の長老、パラバイ・デサイ博士はこう語った。
「この独立の機会を与えてくれたのは日本である。
インドの独立は、日本のおかげで、30年も早まった。
インドだけではない。ビルマも、インドネシアも、ベトナムも、東亜民族はみな同じである」。
インドは1947年に独立した。

世界地図の中心に、アジア大陸を据えると、
中国と朝鮮は、諸国に包囲されている。
大東亜戦争の時、
中国と朝鮮を除いたアジア諸国は、日本を歓迎してくれた。
そして、タイは、日本と同盟関係にあった。
日本は、孤立など、していなかったのだ。


***縄文の時代とは

日本の神様は、日本国の遠い昔へ、思いを馳せた。
紀元前15000年以上も前の日本では、
日の出を最も早く迎える、北海道や東日本を中心に、
定住した、豊かな漁労・採集・農耕型の経済を営み、
人類に先駆けて、縄文文化を開花させていた。
それは、人類史の先頭を行く、文明であった。

人々は、温和であった。性格は、誠実で従順であった。
季節ごとに咲く、野の草花のように、活き活きとして、個性があった。
自然のように、果物や野菜のように、顔も姿も様々に輝いていた。

縄(なわ)は力の象徴であった。
今でも、スポーツとして、行事として、力比べの綱引は、欠かせない。
それは、太い縄を製作する過程が、力仕事であり、楽しい作業でもあったことを、表現した。
縄は紐となり、動物の捕獲に威力を発揮する、弓の弦になった。
太い家柱を、縄で束ねると、強度のある高い建物の建設を、可能にした。
それは、植物の繊維を綯(な)い合わせることで、引っ張りに強い、
細い紐から太い綱(つな)を作る知識と技能を持っていたことを示している。
相撲は、縄文時代の祭事でもあったが、勝者には、綱が与えられた。
それは、勇者の象徴であった。名誉であった。
健康な男児なら誰もが、相撲で勝ち抜き、綱取りになることが、夢であった。
縄の存在そのものが、縄文人が優れた知能を有していたことを、立証していた。

縄は、人々の生活を豊かにした。
縄を荒く組み合わせると、海や川で魚を捕る網になった。
細い植物の繊維を、平面的に編むと、織物になった。
丸く編み込むと、袋になった。毬になった。
裁縫に使う糸が作られた。
大切なものは、織物の上に置かれ、そして包まれた。
織物は、物の持ち運びを快適にした。
怪我をした縄文人を包み込むと、患部を守り、回復を早めた。
そして、身体そのものを保護し、彩る、衣服になった。

縄には様々な用途があり、重宝された。
紐にも、帯にも、なった。
女性には、お洒落に欠かせない、ものになった。
男女を結びつける、紅白の糸にもなった。
縄に感謝の気持ちが込められた。
縄そのものに飾りを付けて、神社に奉納した。
各家庭のあちこちを飾った。
慶弔に使用する封筒には、今も、紐が結ばれている。
注連縄(しめなわ)は、縄文時代から現在までを、しっかりと結びつけてきた。

紀元前2500年ころのエジプトで、巨大なピラミッドを建造するときに、縄が使われた。
何トンもの重量がある石材を積み上げるときには、梃子(てこ)と滑車が使われた。
定滑車で力の方向を変え、動滑車で人力を半分以下に軽減することができた。
動滑車を複数組み合わせると、人力はますます軽減できた。
場合によっては、網(あみ)も使われた。
木材で梯子(はしご)、枠組み、櫓(やぐら)を作り、滑車は櫓の高見に取り付けた。
木材は、移動も、組み立ても、解体も、自在にした。
台車に乗せられた、積み上げる石材を、綱(つな)で縛(しば)った。
滑車の反対側には、重石(おもし)となる石材を綱で縛った。
ピラミッドの石材を積み上げるには、人力はさして要らなかった。
それは、縄を作る知識と技術があったからこそ、可能であった。

しかし、縄文文明には、人を殺傷する、武器は発見されていない。
製作工程が複雑な、漆を施した作品も作られ、
その技術は、高度な文明の存在を、示した。
それは、神業であった。協働と分業の所産であった。
匠が誕生した。集落には、一体となった住民を導く指導者がいた。
芸術性の高さは、芸術家の岡本太郎をびっくりさせた。
まるで燃え盛る火のように、水が渦巻く様をかたどった縄文土器は、実用品であった。
魂をかたどる翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)などを製作した。
翡翠は、鉄より硬く、加工に高度な知識と技術を必要とする。
当時の日本では、まだ鉄は使用されていなかった。
北海道から沖縄まで、幅広く、交易を行った。
この時代の日本人には、島国根性など、かけらもなかった。

日本の神様は、思い出そうとしたが、よく思い出せなかった。
勾玉は、日本の通貨だったような、そんな気がしていた。
アクセサリーになる勾玉が、通貨であるはずがない、と思うかもしれない。
すぐに奪われてしまうではないか、と。
しかし、それは杞憂というものだ。その心配がないほどに、
平穏な生活を送っていた。それが縄文の時代だからだ。
現に、今の日本でさえ、落としたお金のほとんどが戻ってくる。
これは縄文時代から現在にまで通じる、同じ精神が生きている証拠だ。
勾玉には、取扱いが便利なように、紐を通せる、穴を穿(うが)った、

朝鮮半島支那大陸へも出かけた。
船が数多く作られ、遠洋にも漁に出かけるほど、航海術にも長(た)けていた。
障害のある者は大事にされ、高齢者は尊敬された。
旧約聖書の世界より、数千年以上も前に、日本には縄文の文明があった。


***有色人種の聖書の世界観

神は、宇宙と自然界に超越する存在であった。
そして、人間と世界を、創造した。神と人との間には、越えられない壁があった。
神はイスラムの将来を予言する存在であった。
人々は、神に服従するように、脅された。
イスラムの神に従わないものは、呪われ、末代まで罰せられたりもした。
神は、預言者であり、絶対者であった。
最初に作られた人は男性で、白色ではなく、茶褐色だった。
女性は、男性の体の一部から作られたので、男性より劣ったもので、穢れたものとされた。
人間の傍には、悪意を持って甘い罠を仕掛ける、蛇の姿をした、悪魔がいた。

しかし、イスラムの世界に君臨する、この神によって作られていないが、
悪魔や、異なった神々や、他の神を信じる人々が、存在していた。
イスラムと違う世界には、外の神があった。
イスラムと違う神々を崇拝する人々がいた。
イスラムの人々でさえも、他の神を信仰することがあった。
モーセが脱出した時、エジプトは、多神教であった。エジプトには多数の神々があった。
悪魔は、単独で存在するか、神を作り上げた張本人か、
それとも人間に災いをもたらす、神の化身であった。
人々は悪魔と闘うことが宿命づけられた。
そして、神によって選ばれた者が、神に代わって、
この神を信仰する人々を付き従わせた。
イスラムの社会では、人間に階層があり、奴隷もあった。

その後、イスラムの神と直接、言葉を交わすことができる、司祭職が誕生した。
司祭は、人々に、神の言葉を伝える者であった。この司祭の職は、世襲であった。
司祭と選民を頂点に、ピラミッド型の社会が構成されていった。
他の神々を信仰する者は、呪われ、略奪や凌辱、殺戮の対象になった。
暴虐な神は、自分を信仰しない人々に対する、
略奪も凌辱も、殺人行為までも正当化した。
エジプトでは奴隷であったイスラエルの民は、独立すると、
その下に奴隷を作った。イスラム優越思想であった。
専制的な神は、精神世界ばかりでなく、物欲の世界にも、その威力を発揮した。
神は他にも多数あったので、イスラム神は、けっして、唯一の神ではなかった。
この神は、人々を支配する、絶対的な存在であった。
聖書の世界観は、イスラム至上主義であった。

選民、選良は、神のしもべであり、人々は、選民に従うべき存在であった。
人々は生まれながらに選別され、そこには、越えられない、壁があった。
階級制度の社会ができた。
信教の自由も男女平等も差別の撤廃も、神と選良による束縛からの解放を意味した。


***白色人種の欧米人による聖書の解釈

キリスト教を信奉した、欧米人の世界観では、
神によって創造されたのは、白人であった。白人優越思想であった。
自然や動物、有色人種は、神が、白人に与えたものであった。
白人は、選良か、悪魔になった。
非白人は、けっして同じ人間ではなく、何をしても許される、ただの動物でしかなかった。
ここに白人至上主義が誕生した。
白人は他のすべての人種に優越した。人種差別主義であった。

植民地が形成された時代には、
アメリカ大陸に上陸した欧米人は、原住民を悪魔とみなし、
高度に発展した文明を、残虐の限りを尽くして、滅ぼした。
特に、男性と妊婦は虐殺し、未婚の女性は凌辱された。
貧弱な武器しか持たず、のどかに暮らしてきた人々は、
その多くが逃げ惑うばかりで、凶暴な白人の前で、無力に斃(たお)れる外なかった。
アメリカも白人至上主義であった。

また奴隷制度があった時代のポルトガルは、
キリスト教徒に改宗した、日本人の選良と結託して、
大勢の日本人の女性を、奴隷として海外に売り飛ばし、また本国へ持ち帰った。
日本のキリスト教徒は白人至上主義の選良か下僕であった。
1587年。豊臣秀吉は、イエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに、手紙を書いた。
日本人の女性を買い付けて、ポルトガル人、タイ人、カンボジア人の、奴隷にする事を、即刻中止するよう命じた。

奴隷解放を行ったとされる、アメリカのリンカーン大統領は、
その後も、使用人を奴隷として使い続け、
アメリカ・インディアンの頭から剥ぎ取られた皮に賞金を懸けていた。
このように白人至上主義は、悪魔か、神の裏の顔である、
残虐な悪魔的部分をいかんなく表現してきた。


***日本神話の世界観

日本神話の、神々の世界観では、まず宇宙と自然があった。
そこに、人間が誕生した。
人間は、体と魂との、二つで成り立っていた。
知恵が働くようになると、人間はありて、在るものとなった。
星々と月にも、自然界と太陽にも、体と命の魂が宿っていた。
森羅万象に、体と魂(いのち)があった。
全てのものは、体と魂との、二つのものからできていた。
全てのものは、体と魂を持ったものとして、対等であった。
この世界観は、万物対等主義であり、人間対等主義の、日本主義であった。

人が死ねば、魂は、あの世の、根の堅洲国(かたすくに)へ行き、
肉体は、あの世の、黄泉(よみ)の国へ行った。
あの世には、根の堅洲国と、黄泉の国との、二つがあった。
魂は、根の堅洲国とこの世とを、自由に往来できた。
輪廻転生は、これであった。
世界は、この世と、あの世、とからできていた。
死ぬと体は、黄泉の国へ行き、滅び、この世に戻ることができなかった。
世界は多次元であった。

食事は、水や火、動物や植物、海産物に宿る、魂、
その命を、有難く頂くことであり、この上ない、ご馳走であった。
調理に使用する土器などの器具にも、魂が宿っていた。
陸稲(おかぼ)、栗の実、魚、貝、海藻など、
全てのものに、魂が宿っていたので、大切にされた。
食べ物は、災害や異常気象などの非常事態のために、備蓄される以外には、
無駄にすることは無かった。命がもったいないからだ。

村落、集団の、基になったのは、家族であった。
国家も、一つの大きな家族を構成するもの、と考えた。
首長は、集団の親であり、人々は、その子供であった。
首長は、対等な人々の中の指導者であった。
技能や体力、狩猟や漁猟、航海術に優れたものも、皆、指導者であった。
和やかな家族の在り方が、集団、村落、国家の、運営指針とされた。
平穏を乱すものは、追いやられ、排除された。
人々は、祖先を神として崇め、感謝を捧げ、神の子供であることを、誇りとした。
子供は、神々の魂を受け継ぐもの、として祝福された。
年長者は、歴史と伝統を語り継ぐものとして、
また神々の子孫を守護してきたものとして、尊敬され大切にされた。


***日本と欧米諸国との違い

西欧に生まれた自由と民主主義の思想は、
悪魔や神とその代理人の軛(くびき)から、人々を解放するために生まれた。
ところが、日本では、縄文文化の時代から、
人々は、生まれながらに魂を持つものとして、対等であり、
個性を持った存在として、尊重され、
自己と家族、集団の和やかな暮らしを乱すことだけが、戒められた。
一部の者が、絶対者として、専権を握ることはなかった。
村落の平穏を乱すものは、村八分にされ、村落から追放された。
村八分にされた者は、ある者は改心して、村人として復帰し、
また外の者は、似た者同士が集い、別に部落を作って生活した。
村人と部落民はそれぞれ別の領分で生活した。
村人が部落民を殲滅することはなかった。

日本と欧米諸国とでは、全く異質の文化と思想が形成された。
部族や民族間の対立が絶えなかった、欧米諸国では、
一握りの強者が、悪魔か神の使いとして、君臨した。
欧米諸国は、異質なものを排撃し、器量が狭小であった。
勝者は、財産を奪い、敗者の血統を根絶やしにすることを常とした。
一方で、肥沃な大地と自然に恵まれた、日の出る国、日本では、
他部族や民族、多様な文化を受け入れながらも、
対立を昇華し、共生することで、長い歴史を紡ぎあげ、
万民が一つの家族のように、和やかに生活することが、当たり前とされた。
国民は国の宝とされた。日本は、異質なものを同化し、器量が大であった。

日本の神様は知っていた。
人間そのものが、多数の生命体が共生する、共生体である、ことを。
人の魂は、多数の生命体の魂の塊(かたまり)であった。
共生を促したのは、バクテリアである。
日本人は、生海苔(なまのり)を消化できる希有(けう)な生命体である。
それは、消化を可能にする、バクテリアを体内に取り込んだから、可能となった。
また、こうも思った。
男は女からしか生まれない。男から女を作ることはできない。
聖書の記述は間違っている。男を作ったのは女であって、その反対ではない、と。


***弥生と言われる時代とは

縄文の職人は、種々のアクセサリーを手作りし、
織物の衣服はもちろんのこと、色鮮やかなものであった。
縄文の人々は染色の知識と技術を持っていた。女性は、豊かな色彩で着飾った。
日本人の、世界に例を見ない、この豊かで、平和な時代は、一万年以上も続いた。

日本が騒がしく、また貧しくなったのは、弥生文化と言われる時代の頃からであった。
海外から武器を持ち、異なった習慣や文化を持った人々が、
紛争が頻発する近隣地域から、争乱を逃れて移動してきた。
文化の中心は、次第に、西日本へ移っていった。
海外から鉄や銅などで作られた武器が流入すると、
国内でも、九州地域を中心に、鉄や銅などの産地を取り合う紛争が頻発した。
人々は、質素な生活を始めた。衣服は白くなり、装飾品も、簡素なものに変わった。
勢力争いを続けながらも、日本人は、共生の道を模索した。


***渡来人との協和と共生

古事記日本書紀が編纂された時代には、
度重なる戦乱や国土の疲弊などに見舞われた、海外の地域から
やすらぎの地を求めて、日本に、多数の渡来人がやってきた。
キリスト教の分派である、一神教景教が、秦氏が、19万人ほどの大きな集団でやってきた。
製塩技術や雅楽、大規模な灌漑技術は、秦氏がもたらした。
異質な宗教や生活習慣の違いは、日本人の生活を掻き回し、
不穏な環境をもたらす恐れがあった。日本の同化力、器量が試された。
国内が危険になった。海外からの危険も迫っていた。
これまで通りの生活が、平穏を維持することが、危うくなった。

海外諸国の紛争から治安、秩序を、維持することが緊要になった。
朝鮮半島に近い九州の地域へ、防衛のために、防人が派遣された。
日本海側では、支那の国家による、兵隊にするための日本人の拉致もあった。
九州の北部や瀬戸内海沿岸の山々には、城が築かれた。
その山城には、朝鮮半島で作られていたものと同じ様式のものが在った。
九州に統一政権ができると、国内では、領地と領民の把握が、急がれた。
そのため領地と領民の確定が行われ、土地台帳が、戸籍が整備された。
政権の中枢を構成した、部族や豪族以外の土地や領民は、公地、公民となった。
部族間、豪族間の勢力争いは、是が非でも、鎮静しなければならなかった。
海外の支援を受けた部族による内乱もあったが、
統一は、ほとんどが話し合いで行われ、平和的になされた。
相撲で決着をつけることもあった。
しかしそれは、競技ではなく、生死をかけた戦いとなった。


***日本の記紀と古い文化

日本人の生活や独自の文化を守るために、
統治を安定させるために、英知が結集された。
平穏な時代には、国政の中枢や地方の役所などで、あるいは海外との交渉では、
文字が使われたが、こと国内の生活では、言葉だけでも事足りていた。
しかし、膨大な資料を作成するためには、口伝だけでなく、文字の使用が不可欠となった。
歴史と伝統を守り維持するために、
それを国内外に示すとともに、後世に残すための事業が開始された。
庶民の生活やそれぞれの部族に残された風習や行事も書き残された。
記紀の制作は、こうして、進められた。乙巳(いつし)の変と言われる時代であった。

国内各地には、神社が建てられた。
神社は、景教の色合いを持ったが、一神教は、日本の風土に馴染まなかった。
景教では、神は国家と国民の上に君臨するものであったが、
日本では、神は人々と対等な指導者であり、国民は宝、とされたからである。
神社は、統治機関の一端を担った。神社は役所でもあった。
また、神社は、古代岩刻文字やシュメール文化の名残を保存し、後世に残してきた。
日本には、既に、世界最古の文明と言われるシュメール文化やその文字、
ペトログリフが入っていた。漢字よりはるかに古い時代の文字があった。

現在の日本語とシュメール語との間には、
母音の発音が全く同じである、50音が同じである、膠着語である、相撲で行司が発するハッケヨイノコッタ、サムライなど、同じ意味の単語が500語以上ある、等々、沢山の共通性がある。
日本とメソポタミアを繋ぐ、陸上と海上に、文明を繋いだ光の道があった。
その後、神社も寺院も国民に受け入れられることを競いあった。
神社も寺社も、国民に君臨するのではなく、国民と対等な指導者であることを目指した。
仏教寺院には、神道を取り入れた建造物や仏像が作られた。
また無料で貧困者を救済する悲田院や治療所の施薬院も作られた。

公の記紀とは別に、地域の風俗や村落の行事等々を、
より詳細に書き留めた、貴重な文書も多数作成された。
それまでの村落、部族意識から、国家、国民の意識が強く形成されていった。
渡来人には、帰化政策がとられた。
平穏を乱すものは、排除されたが、自由な意思が尊重された。
帰化の条件は、日本に貢献することを、承認することであった。
優秀な技能を持つ帰化人は重用され、それ以外は農民となった。

食料が不足し、開拓が必要となった。
各地に水田が作られ、それによって出た大量の土砂で、大きな盛り土ができた。
この盛り土は、墳墓としても利用された。こうして前方後円墳ができた。
後には、朝鮮半島の南部にあった、日本支配下の領地にも、前方後円墳が作られた。
さらに出た土砂は、埋め立てに使われた。
水田耕作の普及に伴い、次第に、各地には、有力な豪族が誕生していった。


***特殊な部落の存在

日本国内には、いくつかの特殊な部落が存在した。
それは部族の集落で、ある部族は、河原乞食と呼ばれた。
彼らの歌舞く姿は、人々に感動を呼び起こした。
その後、歌舞伎や演芸として興隆した。

ある部族は、動物を殺傷し、その毛皮を加工することに優れ、それを主な生業とした。
毛皮の加工を行うと、悪臭が立ち込め、あたりに浸み付き、
不快な臭いは容易にとれなかった。彼らは、穢多と呼ばれた。
大きな部落には、自治権があり、毛皮を取り扱う特権を持ち、また刑罰権を持ち、
その首長は、大きな屋敷を構え、広大な山林を保有するものもあった。
大きな部落を取り仕切る首長には、天皇に直接、拝謁することも許された。
森鴎外が描写した「山椒大夫」の世界は実在した。
戦国時代には、皮革は鎧や馬具の材料であったから、穢多は保護された。
東国の大名には、西国から穢多に従事する者を呼び寄せ、領国に定住させ、
皮革生産に当たらせた例がある。

非人には「物乞い」があった。警備や刑死者の埋葬、病気になった入牢者や
少年囚人の世話などにも従事した。
飢饉に見舞われた時代には、往来は乞食で溢れた。
部落外の人々の間では、特殊な部落民について語ることはタブーとされた。
それは、部落外の人々は、穢多と非人を、同じ人間と思ったからであった。
また、特殊な部落民から嫌がらせを受けないためでもあった。
外にも、海外から移動してきたが、日本人と共生できない部族など、様々あった。

江戸時代に入ると、食い扶持のなかった、武士の次男や三男などに、
職を与えるために、皮革を加工する技術の習得が奨励された。
国内での技術研鑽が進み、また海外から優れた皮革加工の技術が取り入れられると、
毛皮の加工は、穢多と言われた部落民の特権ではなくなった。
明治時代に四民平等政策がとられると、徐々に、穢多と非人は、同じ人間として、
部落外の人々と融和していった。


***入会地と共生

かつて日本各地には、地域によっては現在も、入会地というものがあった。
これは、村落が共同して所有する、山林等の土地のことだが、
たとえ個人が所有する山林でも、乱獲しない限りで、あるいは範囲を絞って、
栗やクルミアケビやキノコ、蕨やぜんまい、山ぶどう、家庭で煮炊きに使う薪、
竹などを採集するために、また兎や猪や熊などの動物を捕獲するためにも、
村落住民の立ち入りが、認められている事があった。
米や山ぶどうから酒を造った。縄文人は酒を好んで飲んだ。
漁業についても、入会地と同様な制度がとられていた。


***自立の問題、部落とアイヌ

日本の神様は、世の移り変わりを思った。
村八分と入会地の存在とその精神は、国家と国土の分断を避けながら、
防御と共生を調和させるものであった。
明治維新があると、北海道を利権追及の格好の場所と考える、薩長勢力が政権に就いた。
西洋を崇拝する彼らは、欧米が日本より優れていると考え、
偏った白人至上主義思想に立ち、所有権の考えが支配的になった。
次第に、土地の所有者は、他の人々の立ち入りを、締め出すようになった。
日本に根付いていた、優れた伝統や精神、制度を、蔑ろにするようになった。

これまで、部落問題と言われるものが、差別の問題として取り扱われた。
しかし、差別政策で特殊な部落が誕生した訳ではない。
差別政策は無かった。特殊な部落民に自活する努力と能力が欠けていた。
意欲があり、努力し、能力を身に着けたものは、どんどん自立していった。
これまで、長期にわたって、国民の税金で特殊な部落出身者の生活向上を図ってきた。
生活水準が一定に達すれば、税金が支出されないのは,当然である。
さらに交付金を求めるのは、国民の税金を、不労所得のように考えるものだ。
これは、怠け者の傲慢か、詐欺か、税金泥棒でしかない。
湯水のように注ぎ込まれた、税金の総額とその流れを、詳細に点検しなければならない。
そして、税金が使われても一向に改善しなかった原因を、究明しなければならない。

アイヌ支援法も同様だ。アイヌは先住民ではない。
「元史」によれば、13世紀頃に、樺太などから、蒙古に追われて、北海道に移動してきた。
移動してから瞬く間に、北海道全域に広がった。
アイヌは毒矢を使った。矢先にトリカブトを塗った。
そして、アイヌ同士で戦い始めた。こうして、アイヌは衰退し始めた。
彼らは、住居の様式、言語、20進法を使うなど、日本人とは文化が全く違う。
アイヌが先住民だと主張するなら、
縄文人よりも先に、北海道に居住していたことを、立証しなければならない。
逆差別が作られている。特権が生まれている。
これらは、国民に差別意識を起こさせ、国内を分断するものだ。
長い間、ずるずると、曖昧な対処をして来たところに問題がある。
特殊な部落という集団の問題としてではなく、
個々の人権や生活環境の問題として処理すべきだ。

元来、日本には、部族を理由に排外する思想など存在しなかった。
受容し、共生してきた。それが悪用されている。
タブーは打破しなければならない。
本当に保護する価値があるなら、部族の文化とされるものや部族民の出自を、
学術的にも、学際的にも、調査しなければならない。
そして、税金がどのように使われているか、精査しなければならない。
それが、アイヌ問題と言われるものに、真剣に取り組むことの証だ。
虐げられてきたと主張するものは、実態の調査に、積極的に協力しなければならない。
白日の下に晒すことこそ、人権の保障につながり、部族民の保護になる。

 


***国際金融資本について

日本列島の外を遠く眺めれば、
アメリカには、連邦準備制度理事会FRB)が存在し、財政金融を握っている。
それを実質的に所有しているのは国際金融資本だ。
またスイスには、各国にある中央銀行の本店である国際決済銀行(BIS)がある。
中央銀行も、連邦準備制度理事会も、国際決済銀行も、利益を追求する民間企業である。
これらの銀行は、全て国際金融資本に保有されている。
国際金融資本家は、地球上にある全ての、国家財政と金融を、悉く掌握する。
今や、ベニスの商人の後裔は、世界一の大富豪となった。

歴代の世界的指導者たちの回顧録や回想録は教えてくれる。
各国は、武器商人たちの懐を肥やすために、血を流してきた。
戦争、内紛や暗殺さえ、その背後には、国際金融資本の影が見え隠れすると。
ソ連や中国、ベトナムなどの社会主義諸国の建設を、攻撃しながらも、
裏で支えたのは、敵対すると思われた、資本主義国のアメリカであった。
グローバリズムを推し進めるアメリカは、共産主義を、容認し、背後から支援してきた。
朝鮮半島の38度線の幕引きは、紛争の火種を残すために、
国際金融資本と連携した、アメリカが行った。
当時のアメリカを牛耳っていたのは、白人至上主義の共産主義者であった。
数えきれないほどの若く尊い人命は、金儲けの、生贄にされた。兵器産業は大いに繁盛した。
戦争や紛争の火種は、実に効果的に金を生み出す、埋火となった。

日本も例外ではない。
国際金融資本と手を結んだ日本の政治家は、自国の紙幣の、
通貨発行権を、国立銀行から、民間企業である、日本銀行へ譲り渡した。
何処も相手にしなかった、資金繰りに苦しむ日本に、日露戦争の戦費を支援したのは、
アメリカの金融街で力のある財閥であった。
この借金の返済は、大東亜戦争中も継続し、そして完済された。
日本国家と国民は、文字通り痛い思いをしながら、多量の血税によって借金を支払い続けた。

国有地の払い下げ、国有鉄道の民営化、郵政民営化、水道事業の民営化、エネルギーの民営化等々。
国家の分割、分断、弱体化が、
それと気づかれずに、着々と推し進められてきた。
こうして、国民の大事な財産は、吸い上げられた。
国家生命を滋養する血液の循環は、
国際金融資本の見えない手によって、機能不全を引き起こしかねない程の、
危険な状況に追い込まれている。一握りの拝金主義者とその仲間達によって。

ほとんどの国家は、国民の生活向上のために、国家事業を大きく展開しようとすれば、
民間企業である中央銀行に、利子を払って、借金するしかない。
その銀行は、利益を追求する、国際決済銀行の支店だ。
今や国家には、独立した経済主権など、存在しないに等しい程だ。
各国の命運は、各国の国民の生活は、それぞれの国の中央銀行とその背後にある、
国際決済銀行に左右されるのだ。
国民の自由と民主主義は、財政と金融を掌握している、
国際金融資本の掌の上で踊るしかない。
軍事資金がなければ、大きな紛争を引き起こすことはできない。
内紛でさえ、資金がなければ続かないのだ。
十分な国家予算がなければ、
防衛力を充実させ、また民生の安定を図ることもできない。
これを解消する方策は、国家に通貨発行権を取り戻すことだ。

 

 

 


***大東亜戦争と世界情勢

大東亜戦争前の支那大陸は、西欧列強が推し進める植民地政策の餌食にされていた。
アヘンに蝕まれ、領土は割譲され、不平等な条約が締結された。
欧米列強は、アヘンと奴隷売買で、莫大な利益を獲得した。
欧米諸国は、日本へも、その食指を伸ばそうとしていた。
アメリカは、日清戦争後には、日本との戦争を想定して、戦略を練っていた。
日本は、自国への植民地政策の波及を恐れ、事態を放置すべきでないと判断し、
西欧諸国を東アジアから追放することを決断した。こうして大東亜戦争が始まった。

大東亜戦争は、日本が欧米の植民地主義に対抗し、
アジア諸国を、白人至上主義による搾取から解放することを目的にした。
それは弱小国の日本が、負けを覚悟しながらも、一人で挑んだ、
国民の生命と生活を守るための、反植民地主義、反白人至上主義との戦いであった。
日本が攻略したのは、東アジア諸国ではなく、白人至上主義の国々であった。

奇しくも、大東亜戦争後の支那大陸には、
日本語訳で資本論を学んだ毛沢東によって、中華人民共和国が建国された。
支那大陸には、古くから、中華思想があった。
自分たちは宗主であり、世界の中心を占めるのは、自分たちであると考えた。
それは、白人至上主義の支那版であった。
しかし、支那大陸に国家と文化を築いたのは、様々な民族であり、単一の民族ではなかった。
中華人民共和国中国共産党は、単一民族が築いたかのように粉飾した。
中国は、支那大陸の歴史を独占した。

朝鮮はその属国であったが、他国に対しては、小宗主として振舞おうとした。
南京大虐殺は、日本を貶めるための、プロパガンダであった。
1987年当時の、中国の公式の文書には、全く記述がなかった。
戦後、中国共産党は、国家組織の上に君臨した。
その中国共産党は、日本を属国とみなして、莫大な経済援助を引き出し続けてきた。

日本が台湾を支配下に置いた時、インフラ整備や医療、教育に力を入れ、
日本人の血税をつぎ込み、日本国以上に優れた設備を作り上げた。
その後、台湾島には、日本の軍部で学んだことのある、
蒋介石によって、中華民国が建てられた。
日本軍が南京に入城する直前、蒋介石は、城内から逃れる時に、
「ここで日本軍による大虐殺があった事にせよ」と指示した。
嘗て、元首相・岸信介に代わって台湾使節団が蒋介石と面談した。
その面談の折り、その中にいた田中正明氏に対して、蒋介石は、
「南京に虐殺などなかった。松井閣下には誠に申し訳ない事をした」と告白した。
田中氏は、かつて松井大将の秘書であった。
南京は中華民国の首都であり、蒋介石は、総統であった。

こうして、植民地にされた東アジアの国々は、次々と欧米から、独立して行った。
欧米列強は、植民地政策をそのまま維持、継続することが、困難になった。
日本は、大東亜戦争で敗れたが、東アジア諸国の尊厳を取り戻すという、
日本の戦争目的は、戦後になって少しずつ達成された。

その一方で、戦後の日本は、
GHQアメリカが強力に推し進める、白人至上主義による、植民地政策の虜となった。
日本の列島は檻(おり)にされ、日本国民はその檻の中に捕らわれた。
アメリカによる、日本捕囚である。
これまでの捕虜生活は、檻の中では、比較的自由が保障されてきた。
しかし今、食糧や薬品など、様々な分野で、がんじがらめに、されようとしている。
真綿で締められるように、自由が奪われ始めた。
日本の尊厳は貶められたままで、今や齢も70歳を越えた。
いつしか日本人は、同じ国民としての一体性を欠いたまま、捕囚生活に慣れすぎた。


***大東亜戦争の終了と朝鮮人

日本列島の内側を見下ろせば、
敗戦直後、日本には250万人以上の朝鮮半島の出身者が滞在していた。
一方、日本人の若者は、その多くが兵役に服し、戦死・傷病のために、少数となった。

朝日新聞記者の証言-戦後混乱期の目撃者-】(菅野長吉・朝日ソノラマ、要約抜粋)
第三国人は、その立場を利用して、あらゆる物資を動かした。
場所には困らなかった。大都市の要所は、殆んど焼け野原となっていたから、
集団のカによれば、簡単に占有できた。
こうして東京では、上野、新橋、新宿、池袋、渋谷などに急造の「闇市」ができた。
ここには、配給では手に入らない、あらゆる物資が公然と氾濫した。
第三国人とは、日本の帰属から離れる事になる朝鮮、台湾などの出身者で、
戦前から日本に居住していた人達、に使っていた、非公式な呼称であった。
彼らは、日本人ではないが、外国人でもない、という特殊な立場にあった。
これら第三国人に対しては、日本の裁判権行使も曖昧だった。
彼らの一部は、治外法権があるかのように、優越感を抱いた。
社会の混乱に乗じて、徒党を組み、統制物資のヤミ売買、強・窃盗、
土地建物の不法占拠などの、不法行為を欲しいままにし、戦後の混乱を拡大した。

【一億人の昭和史-日本占領 ゼロからの出発】(毎日新聞社、要約抜粋)
当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で行なわれていた。
神戸が、第三国人の、根拠地となっていた。東京、横浜に比べ旧外地に近く、
密輸量は日本一だった。国際密輸組織の中核は、一貫して、第三国人だった。
朝鮮は戦勝国ではなかったが、「朝鮮進駐軍」などの腕章をつけ、
日本の警察権を一切認めようとしなかった。

【元首相・吉田茂マッカーサーに宛てた文書(1949年)、要約抜粋】
彼らの半数は、不法入国、です。 
すべての朝鮮人が、その母国たる半島に帰還するよう期待する。 
その理由は、
現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能です。 
日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用します。
この輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている、対米負債の部分を、
将来の世代に負わせることは不公平である。
大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません 。
さらに悪いことには、朝鮮人の中で、犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者です。
彼らの多くは、共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、
常時7000名以上が獄中にいる、という状態です。
日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は、日本の経済復興に貢献する能力を有すると思われる、朝鮮人に与えられる。 

帰国事業が行なわれたにも関わらず、
当時295万人の内100万人もの朝鮮人が日本に居座っていた。
その後も、日本に密航して来る者が後を絶たなかった。
彼等は、「朝鮮進駐軍」を名乗り、蛮行の限りを尽くした。
「在日・大韓民国・民団」と「在日本・朝鮮人・総聯合会」(朝鮮総連)は、
「在日・朝鮮人連盟・中央総本部」から出発した。
この「在日・朝鮮人連盟・中央総本部」の別名が「朝鮮進駐軍」であった。
日本共産党の幹部が留置場から出てくると、歓迎したのは、在日朝鮮人たちであった。
日本の共産主義者は、朝鮮人の密航を手助けし、朝鮮総連と強く結びついてきた。

 


***日本的思考が世界に通用するか

日本の神様は、ふと思った。
「助け合い」の精神も「人は対等である」という考えも、
災害や自然の脅威、外敵に立ち向かうための、根幹となる精神的な支柱だった。
その背後には「村八分」の制度があり、これによって下支えされていた。
共生を乱すもの、平穏を乱すものは排除した。これが村八分であった。
「助け合い」と「村八分」、「人は対等」と「村八分」とは、正と反の関係にあった。
村八分の精神は、防御であり、寄生を排除する、日本人の強さを示すものでもあった。
問題点をはっきりさせ、それに対する態度を明確に決めた。
村八分」があった時代の日本人は、けっして優柔不断ではなかった。覚悟があった。
この精神が壊された時、日本人は精神的に弱体化した。防御力を失った。
村八分」の存在意義を見失い、この精神をなくした日本人には、
「助け合い」の精神も「人は対等である」という考えも、あまり機能しなくなった。
異国人たちも、自分たちと同じように考えるだろうと、
安易に、一方的に考えてきたのではないか。
「助け合い」の精神も「人は対等である」という考えも、拒絶し、
それに敵対する者がいた。自分達の利益だけを追求するものがいた。郭公のように。

村八分の精神を失った日本人は無防備になった。
狭い塀に囲まれ続けた日本人は、奴隷根性で一体になった。
そして、他の人々も同様に、村八分の精神を持っていないと、単純に考えたのかもしれない。
それが様々な問題の解決を拗(こじ)らせ、長期化させてきた。
金で解決しよう、などといった安易な考えが、蔓延してきた。
異国人は、彼らなりの、日本人とは違う、別の考えを持っている。
異国人たちは集団を作った。組織を作った。そして連携した。
異国の人々は、日本人よりも、はるかに強い「村八分」の意識を持っていた。
それは、共生を排除するほどに、攻撃的なものであった。
そこには日本人が目指す一体性の基盤は希薄であった。

機械的進歩史観で、幻想を抱かせる、
実際には、国際金融資本と共通する思想の、共産主義がある。
社会を労働者と資本家だけで構成し、両者は、移動も変化もしない、固定したものと設定した。
そこには、国家の利益も国民の利益も存在しなかった。
各国の歴史と伝統を無視した。諸国民の宗教や生活習慣を蔑ろにした。言葉も国境も軽視した。
政権をとるために、労働者のためと称して、非道な策略が正当化された。
手段が目的に転化した。それは、建前とは反対に、労働者の利益まで抹殺するものとなった。
共産主義思想は、信奉者に選良としての意識を掻き立てる、白人至上主義の変形であった。
利権追及に奔走する、グローバリズムの餌に過ぎなかった。労働者は利用された。

日本の共産主義者は、事実を誤魔化してきた。

マルクスエンゲルスも、そしてレーニンでさえも、
彼らが生きた時代にも、彼らが原始的と定義した時代に築かれた、優れた世界観が、
現在に至るまで、脈々と生き続けた国家が存在することを知らなかった。
東洋には、西洋に勝る、優れた思想とそれを体現する国家が存在した。
西洋の合理主義を最高のものと考えた彼らには、東洋思想を理解するのが難しかった。
彼らは、社会発展の法則という一方通行の、非科学的な、進歩主義歴史観にたち、
共産主義者という選良であることを誇りとし、科学的という言葉にただ酔いしれた。

共産主義者社会主義者は、選良として、国家や国民の上に君臨しようとした。
そのために、世界政府の樹立を目指した。
目的のためには、戦争や内乱を企て、自国民を犠牲にすることも、当たり前と考えた。
そこには、人々の自立と共生の関係を築く考えはなく、一握りによる独裁があった。
平和や民主主義のスローガンは、独裁を糊塗するための、目眩ましであった。
これは、世界の富の80%以上を占めるまでになっている、
100人ほどの国際金融資本家と共通するグローバリズムである。

労働者と経営者としての資本家との対立は、実は、些細な事であった。
労働者と経営者の関係は、相互に入り交じることもあり、決して一様ではなかった。
人間の関係は種々であった。国家間でも、民族間でも、宗教者間でも、国民の間でも、
様々なところに紛争の種が、利益の対立関係に溢れていた。
階級闘争論は、本質を覆い隠すためには、都合の良い理論となった。
莫大な利権を掌中にすることができる、銀行、金融資本家は視界から消えた。
賢明な銀行、国際金融資本家たちは、無能な人々の頭上にいた。
共産主義者は、3つに分かれた。
銀行や国際金融資本家の仲間か、騙された善良な人々か、無能な人々のいずれかであった。
そして、搾取されたのは、99%の、人々であった。
利益は、たったの1%に集中した。


***ハワイ国王が考えたハワイ・アジア連合

植民地政策に抗う動きはハワイ王国にもあった。
海外貿易の中継点として、ハワイに目を付けたアメリカは、資本家を送り込んだ。
アメリカの財閥は、ハワイ国土の半分を買い取った。
また、アメリカ人は、ハワイの政界にも進出して、政府の主要な閣僚を占めた。
更に、軍事拠点を真珠湾に定めた。
経済、政治、軍事と、徐々に、アメリカはハワイの主権を侵害した。
脅威を感じた、ハワイの国王カラカウアは、次のように考えた。
アジア諸国は列強の支配を受けながら、互いに孤立を深め無策である。この状況を抜け出すには、各国が一致団結し、欧米に対峙する必要がある」。これが「ハワイ、アジア連合」の構想であった。
明治14年1881年)カラカウア大王は、訪日し、明治天皇と会見し、日本を盟主とする
「ハワイ、アジア連合」、あるいは同盟関係を結ぶための政略結婚を申し出だ。
しかし、日本は不平等条約に苦しんでいた。1897年、ハワイはアメリカに併合された。
日本で発見されたシュメール文字は、ハワイで見つかった文字と同系統のものである。

大東亜戦争の方向を決めた、綜合国策基本要綱や基本国策要綱等は、
アメリカに組み込まれる前の、ハワイの国王も共感できるものだった。
そこには、原始的な時代に築かれた世界観をしっかりと受け継ぐ、
人類の歴史に誇るべき、人間対等主義が、優れた思想と理念があった。
日本には、他国民を収奪の対象とする、植民地政策などなかった。
主軸は、「人間は対等」「各国の独立」そして「共生」であった。
そこには、大東亜に国家の連合体を作ろうとする広大なビジョンがあった。
それは、「ハワイ、アジア連合」の構想からハワイを除いたものであった。
しかし、アジア諸国は、そこまで目覚めていなかった。

 

 


***【真の主権回復と主権在民の実現が課題】
『「日米合同委員会」の研究』の著者・吉田敏浩さんに聞く(要約抜粋)

「日米合同・委員会」の研究

日米合同委員会は、隔週の木曜日に、都心のニューサンノー米軍センターや外務省で会合を開いている。
外務省・北米局長が日本側代表に、法務省農林水産省防衛省財務省などの、高級官僚が代表代理(2016年10月現在)になっている。
米側は、在日米軍・副司令官が代表で、在日・米大使館・公使を除いて、ほかは全員、軍人です。こんな会合が、何十年も密室で開かれて、米軍優位の、日米・地位・協定の解釈や運用について、協議している。
そこでは、米軍の要求が通っている、のが実態だ。
日本の政治家さえも知らないところで、日本の高級官僚が、米軍と協議している。
その不透明さ、これが、日本の進路にも、大きく影響している。

官僚機構の中に密約を維持する「裏マニュアル」

日本の官僚機構の中に、日米合同委員会での密約にかかわる、一連のマニュアルがある。
例えば、法務省刑事局の「合衆国軍隊・構成員等に対する刑事裁判権・関係・実務資料」、
最高裁・事務総局の「日米・行政協定に伴う民事及び刑事特別法・関係資料」、
警察庁の「地位協定と刑事特別法」、
外務省の「日米地位協定の考え方」など。

官僚機構の中に、秘密資料、部外秘・資料があって、その中で日米地位協定の条文について、米軍に有利になるような解釈をして、それに基づいて地位協定の運用をしている。
しかも、それが国会議員にも、国民にも、まったく知らされない形で情報隠蔽され、ずーっと、秘密の運用がされている。

米軍優位の日米地位協定が、いかに不平等な取り決めであるのかは、かなり知られている。
しかし、地位協定を、実際に細かいところまで解釈する過程で、米軍に有利になるように、官僚機構の中でマニュアル化された、「裏マニュアル」があり、実際に、米軍に有利な運用がされてきている。

米軍関係者の犯罪で起訴率が低い問題のほかにも、横田空域や岩国空域の問題がある。
日本の空であるにもかかわらず、米軍が航空管制権をにぎっている。
横田空域でいえば、厚木基地にやってくる米空母艦載機が横田空域を通って群馬県渋川市周辺の上空に行って、低空飛行訓練をして、爆音や墜落の危険をまき散らしている。
日本各地で行われている、米軍の低空飛行訓練を、日本政府は規制できない。

横田、厚木、嘉手納、普天間などの、米軍機・騒音訴訟でも、米軍機が騒音公害の発生源で、騒音は違法だと認められ、損害賠償も認められていながら、米軍機の飛行差し止めは認められない。
米軍の軍事活動に日本政府の管理権が及ばないから、差し止めはできないというのが、裁判所の判断だ。
地方自治体も対策が打てない。
結局、米軍に対して、日本の司法権も行政権も及ばない。事実上の、治外法権だ。

背景には、米軍優位の地位協定がありますが、地位協定の具体的な解釈・運用面について、日米合同委員会で、在日・米軍高官と日本の高級官僚が密室で秘密協議をして、そこで米軍に有利な合意が蓄積されてきている、という根本的な問題がある。
日米合同・委員会の議事録や合意文書は、原則として非公開だ。
情報公開法に基づく文書開示請求をしても、黒塗りの不開示とされる。
合意の一部は、要旨が、外務省のホームページに出ているが、法務省などの秘密資料や最高裁の部外秘資料などと照らし合わせると、合意文書の重要な部分を削除したり、書き換えたりして、あたかも日米対等であるかのように装っている。
実態は、米軍に有利な、不平等なものだ。

主権在民の下で、国民の選択によって政治が行われる、というのが憲法の原理だが、政府・行政機関が事実を公開していない。説明責任を果たしていない。
主権在民という憲法の規定が、大きく空洞化されている。骨抜きにされている。
いわば、闇の領域に覆われている、ということが、しだいに明らかになってきた。
米軍・上層部から見れば、日米合同・委員会は、日本における米軍の特権を維持するための、リモコン装置のようなもの、と言える。
占領時代からの、フリーハンドの基地使用・軍事活動の特権を維持するとともに、変化する時代状況に応じて、新たな特権を確保していくための、リモコン装置だ。
そのような政治上の装置が、日本政府の機構の中枢に、埋め込まれている。

米軍の事実上の治外法権を維持する、日米合同・委員会の密室協議があることを明らかにしないで、日米関係、日本の政治のあり方はこれでいいのか。
この問題に何一つ手をつけないで、どうして「日本を取り戻す」、などと言えるのか。
日本の主権を損ない、米軍の特権を認める、密約などは廃棄すべきだ。
日米安保など日米関係について、いろいろな意見があっても、少なくとも日米地位協定の抜本改定と日米合同委員会の廃止が必要だ。

今も米軍に支配される日本の空

分かりやすい例として、米軍が航空管制をする横田空域の問題、首都圏の上空を日本の飛行機が自由に飛べない、日本の空の主権が奪われている。
外務省、国土交通省などは、横田空域は日米地位協定にもとづくと説明し、メディアは鵜(う)のみにして報じている。

しかし、どういう法的根拠で米軍にそうした特権が与えられているのか。
国土交通省は、「文書は日米の合意がないと公開されない。公開すると米国との信頼関係が損なわれる。だから不開示」と。
法的根拠を開示しないということは、主権在民に基づく行政のあり方ではない。

この問題の本質に迫る手掛かりは、外務省の「秘 無期限」の機密文書、「日米地位協定の考え方」だ。これは「琉球新報」がスクープし、本にもなっている。
その中の、航空管制に関する日米地位協定の第6条の解釈をめぐって、外務省は「管制業務を米軍に行わせている我が国内法上の根拠が問題となるが、(地位協定第6条を受けた)合同委員会の合意のみしかなく、航空法上・積極的な根拠規定はない」と言い切っている。
そして、「管制業務を協定第6条の『趣旨』により『事実上』委任した」、という程度の意味だと。横田空域は、「(米軍が航空管制を)事実行為として行うことを、日米間で認めている区域にすぎない」と明確に書いている。
自衛隊が航空基地周辺で航空管制をするのは、航空法に根拠がある。
ところが米軍の場合は、そうした法的根拠はなく、日米合同・委員会の合意により「事実上、委任している」と。
戦後、日本占領時代に米軍がやっていたことを、既成事実として認めている。

米軍は横田空域を、戦闘機などの訓練飛行や輸送機の出入りなどに使っている。
輸送機は、グアムやハワイなど海外の米軍基地から横田基地へ飛んできて、そこをハブ(中継)にして、沖縄や韓国などの基地へ向っている。
米軍は、訓練飛行と輸送機などの日本列島への出入りを最優先させるため、航空管制権をにぎって手放さない。
その法的根拠は、日米地位協定に規定されていない。
ただ、日米合同委員会の秘密合意によって、「事実上、委任」されておこなっている。
日米地位協定の考え方」では、「米軍による管制は、厳密な航空法の解釈としては、航空法上の意味がないので、我が国民は、これに従う法的義務はないものと考えられる」とまで、ご丁寧に念押ししている。

しかし、実際は、日米合同・委員会の合意で、外部に公表されない「実施細則」という取り決めが日米両政府を拘束している。
それが、航空管制権という、空の主権が侵害されている、現実を招いている。
そして、米軍機の騒音被害や墜落の危険による人権侵害にもつながっている。

憲法体系を無視した米軍優位の「密約体系」

このように、憲法体系を無視して、米軍に有利な「密約体系」が裏にある。
航空管制の密約も、「氷山の一角」で、「裁判権放棄」密約とか、さまざまな密約があり、それらが「密約体系」となって憲法体系を侵食している。

例えば、横田空域の問題にしても、米兵犯罪の問題にしても、米軍に有利な不平等な取り決めがある、ということを、文書を公開して、国会で、公開された場で審議すれば、大きな問題になる。
しかし、日米合同・委員会の合意文書を非公開にして、大問題にさせないように覆い隠している。

基地の提供についても、日米合同・委員会の密室で合意して決めている。
今、辺野古の海を埋め立てて新基地を建設しようとしているが、どこを基地にするか、いつ、どこに、どんな施設をつくって、どんな手続きを行うかも、日米合同・委員会で決めている。
国土の一部を、領土・領海・領空を基地・演習場などとして、米軍に提供するという、主権にかかわる重大な問題に、国会が関与できない、というおかしな、仕組みになっている。

国民の代表である議員が、一切タッチできないところで、日米合同・委員会の密室協議を通じて、日本の高級官僚と在日・米軍高官によって、基地の提供が決められてきた。
日米・安保条約と日米・行政協定(現地位協定)が、1952年4月28日に発効すると同時に、日米合同・委員会が設置され、基地の提供や米軍の軍事活動にかかわる地位協定の運用に、議員が一切タッチできない仕組みが、制度化された。
主権侵害の出発点だ。主権在民憲法を空洞化させる仕組みが、日本政府の、国家の中枢に、埋め込まれた。

日米合同・委員会に出席する、在日・米軍高官らは、上部組織である米太平洋軍司令部や統合参謀本部に、日米合同・委員会での協議内容について、日本側に何を要求するかなど、常に連絡・報告しながら、米太平洋軍司令部、統合参謀本部からの指示に基づいて、交渉している。

占領軍だった米軍は、その後、安保条約の下で、駐留軍に変わった。
しかし米軍は、在日・米軍基地、日本の領土・領海・領空、日本全土を米軍に有利なように利用するために、日本の官僚を直接コントロールすべく、密室・協議機関として日米合同・委員会という仕組みをつくったというのが、歴史の真相だ。
そうすることで、日本をコントロールできるのだ。
そういう制度が、日本の国家中枢に埋め込まれて、今日まで続いている。これが実態だ。

この実態を明らかにしなければならない。
主権者である国民の目も手も届かない、日米合同・委員会の密室で、基地の提供や地位協定の解釈・運用など、主権にかかわる問題、人権にかかわる問題が、米軍優位の、不平等な状態で取り決められていることを、より多くの人が知って、本当にこんな状態でいいのか。
戦後70年以上過ぎて、まだこんな状態を放置したままでいいのか。

日本政府の上に君臨する闇の権力構造

日米合同・委員会に象徴されるように、日米関係の情報は、官僚機構がにぎっている。
米国政府・米軍との間に、太いパイプを築いている。
だから、外務省・北米局を中心として、米国側と常に密接に協議している官僚たちが、政治家に、「米国との取り決めはこうなっているんだから、こうしなくてはならない」と、報告・進言すれば、詳しい内容までよく分からない政治家は、従わざるを得ないのが実情だ。
結局、官僚機構がお膳立てした通りに、米国との関係を結ばざるを得ない。

つまり、官僚機構が米国との太いパイプをにぎることで、日本の政治家をコントロールできる。
日米関係に関して、官僚機構が実質的に権力をにぎる構造になっている。
そして、米軍が日米合同・委員会を通じて、日本の官僚機構をコントロールし、米国優位の日米地位協定の下での、権力構造を維持している。
その維持装置が、日米合同・委員会なのだ。そのような、隠された、二重の構造になっている。

官僚が「米軍の運用に日本は口出しできない取り決めになっている」と言えば、政治家もそう思い込んでしまう。
例えば、2012年のオスプレイ配備の時も、時の野田佳彦・首相は「配備はアメリカ政府の方針であり、どうこうしろという話ではない」と言い、森本敏防衛大臣も「安保条約上、日本に権限はない」と言明した。
米軍に対しては、日本政府の権力、規制が及ばないと認めている。
米軍の、フリーハンドの、軍事特権を容認している。裁判所もそうだ。

日本の憲法体系、それだけでなく、立法・行政・司法という「三権分立」、憲法の民主主義の原理を、根幹のところで腐食させる、闇の仕掛けが、日本・国家の官僚機構の中枢に埋め込まれている。
日本政府の上に君臨し、日本の主権を侵害する、「闇の権力構造」がある。

トランプ政権になって、日本政府に対して、ますます、軍事的・政治的・経済的に「米国第一」で、米国の利益を最優先する要求を、さらに突き付けてくる時代だ。
これまでも、これだけ不平等な実態があるわけだから、このまま放置しておけば、さらに日本の主権や平和、人権が侵害される事態が、より深刻になっていくことは、目に見えている。
日米合同・委員会に象徴される、不平等な構造を明らかにして、変えていかなければならない。

日本の空の主権を取り返せ

例えば、羽田の新ルート問題では、民間機が大田区、品川区の上空を通過することになるので、騒音問題などで、地元では反対運動が起きている。
これも実は、横田空域の問題とつながりがある。
これまで民間機が通れなかった横田空域の中を、低空で通って、羽田に離着陸する計画がある。
日米合同・委員会ではどう協議されているのかと、国土交通省・航空局に問い合わせたら、「日米合同・委員会の民間航空・分科委員会で、民間機の一部が、新ルートで横田空域の端を通れるように協議していて、最終決定ではないが、米軍側も内諾している。だが、詳しい協議内容は公表できない」と言う。

このように、在日・米軍高官と国土交通省の高級官僚が、日米合同・委員会の密室で、話し合っている。
そこで、米軍の「お許し」が出るので、通れますよと。

国会議員も地方議員もタッチできない、主権者の手が届かないところで、国民不在のままで、秘密裏に話が進んでいる。
そのこと自体が、大きな問題だ。
横田空域の航空・管制権を取り戻し、もっと情報をオープンにして、ルート問題や騒音対策など国会などの場で話し合える状況にして、どういう解決策があるかは分からないが、地元と話し合えば騒音や危険性がないような飛行ルートをつくれるのではないか。
国土交通省が、日本の航空法に基づいて、日本の空を全面的に航空管制するのであれば、どのような新ルートを設けるべきなのか、どうすればよいのか、もっと開かれた場で、あらゆる情報を公開し、話し合い、決定できる場がつくられるはずだ。
ところが、横田空域を米軍が管理しているので、国民がまったくタッチできないところで決められてしまう。これが根本的な問題だ。

だから、このままでいいのか、という問題意識を、多くの人に、もってもらいたい。
国会でも、党派を超えて、日本の主権にかかわる問題、主権在民という国会の存在意義にかかわる問題なので、議論してほしい。
国会が、行政を監視するという、役割を高めるべきだ。
国権の最高機関は、憲法では国会になっているから、本来は、国政調査権を行使して、日米合同・委員会の合意文書や議事録を、国会の審議の場に提供させ、こういう状況でよいのかと、オープンに議論する必要がある。
一部官僚に、こうした重大な問題を、「白紙委任」していていいのか、国会議員の存在意義が、問われている。
国民世論を盛り上げて、政府に迫る必要がある。
以上。

***笑い飛ばせ! 踊りまくれ! 飲めや歌え! いいじゃないか! これが日本だ!

日本の頭上には、神をも恐れぬ、手強い、権力が存在する。
日本の官僚は、日本国憲法ではなく、政府ではなく、頭上の権力に服従している。
日本の高級・官僚は、頭上の権力の奴隷であり、その下位にある奴隷の、日本政府を操る。
日本国民は、最下層の奴隷なのだ。国民に、主権などない。
従順で無知な者は、人任せな者は、奴隷として、最適な存在でぁる。

大東亜戦争までの日本人は、世界に冠たる強者(つわもの)であったが、
敗戦後には、見事に、占領政策が功を奏し、軟弱な、頭の悪い、骨抜きになった。
これは、日本の占領者たちには、予想外の収穫であった。
植民地政策が、これほど首尾よくいった例は、世界のどこにもない。
手順さえ間違えなければ、ちょっと誤魔化すだけで、簡単に服従してくれる。
猜疑心の欠片(かけら)さえ無いのだから、騙すのは簡単だ。
金や女で、いちころさ。証拠はしっかり撮ってある。

古(いにしえ)から、日本人は、近隣などの諸外国に、よく騙された。
他人に優しいことが、仇になった。
自然に乏しい近隣諸国にとって、紛争と身分差別の厳しい諸外国にとって、
日本は、平和で、豊かな生活と自然に恵まれていた。
しかし、それは、決して、自然のままの豊かさではなかった。
自然に手を加えることで、知恵を加えることで、さらに豊かに育て上げてきた。
多くの時間と人力を注ぎ込んだ。
豊かさは、先人たちの測り知れないほどの、血と汗によって得たものだ。
その豊かさは、他国から、喉から手が出るほどに、羨望の的であり、巧みに狙われた。
日本はずっと、侵略の、略奪の、策略の、対象になってきた。
それが、大和政権・誕生前後の、歴史の空白期間であり、大陸からのアイヌの侵略であり、
幕末前後の内紛であり、明治維新であり、敗戦前後の、日本の政治の現実であった。

日本を混乱させる、仕掛け人は、国内にも、国外にも、常時いた。
日本人は、古くは、倭人と言われた。
倭人とは、従順な人、という意味がある。
波風立てないことが、美徳とされた。
その倭人は、海外にも進出して、広く交易をおこなった。
島国根性というのは、史実に反する、教育による洗脳の産物である。
悪魔にとって、犯罪者にとって、無法者にとって、乱暴者にとって、日本は楽園であった。
天国とは、性悪な者のためにある。悪人でさえ往生できるのだ。
それが日本だ。
アメリカとGHQは、やっと、本当に、戦争に勝利したと、宣言することができた。

日本の支配構造を、簡単に示せば、
CSIS>日米・合同・委員会>日本CSIS(VC)>日本の官僚>日本の政府>日本の国民。

見よ! これが、今の日本の、現実だ。
日本国憲法が目指したものとは、正反対ではないか。逆様なのだ。
あっぱれ! 自慢するがよい! 日本国民は、遂に、世界の笑いものになった。
憲法を死守する、と主張する者たちは、腹を立てるだろうか。
このまま行くがよい。そして滅びゆくのだ。
無知で、気弱で、騙されやすい、愚かな、軟弱者には、それが良く似合う。
祖先や神々を気遣う必要などない。
自分の人生は自分で決めるしかないのだ。他人任せでなく。それが可能であるならば。


***軍拡要求の米研究所に寄付金・安倍内閣6年間・税金から3億円
(2019年3月14日(木)付、日本共産党の新聞から要約抜粋)

米国のシンクタンク、米戦略・国際問題・研究所(CSIS)は、日米軍事同盟の強化などを提言している。
外務省によれば、2013年度から18年度までの、6年間の合計で、CSISに対し、安倍晋三・内閣は、寄付金として、3億円もの税金を、投入した。
15年7月9日には、CSIS主催のシンポジウムが開催され、
安倍首相は、CSISについて、「米国の権威あるシンクタンク」であり、「エールを送りにやってまいりました」と発言した。

16年2月29日に、「日米同盟の将来に関する日米・安全保障・研究会」(以降は、「日米・安保・研究会」と略す)は、「2030年までの日米・同盟『パワーと原則』」という報告書を、発表した。

CSISと、笹川・平和財団とが、共同で立ち上げた、「日米・安保・研究会」の報告書は、
以下のように提言している。
*「両国の指導者および世論を形成する人々は、日米が、あらゆる外交手段(必要な場合には軍事力を含む)を用いて、世界で、積極的かつ指導的な役割を果たす」こと、
*「両国が追求する、平和で安全な、繁栄した、自由な世界を守るために、その軍事力を活用する、用意がなければならない」。
日本政府に対し、軍事力行使を、露骨に求めている。

米戦略・国際問題・研究所(CSIS)は、日米同盟強化のための、政策提言である、「アーミテージ・ナイ報告」を発表している。
「第4次アーミテージ・ナイ報告」は、日本の軍事費を、国内総生産(GDP)比1%以上に拡大することを、要求している。

CSISに、多額の寄付金を拠出している企業には、ノースロップ・グラマンボーイングロッキード・マーチンレイセオンなど、米国の巨大軍事産業が名を連ねている。
日本政府が、巨額の寄付をする理由として、外務省は、
*「国際情勢に関する情報の収集および分析」、
*「海外事情についての、国内広報その他、啓発のための措置、
*および日本事情についての海外広報」、などを挙げている。
以上


***日本人が必ず知るべき、米戦略・国際問題・研究所(CSIS)
ネットの記事、浮世風呂さんによれば、               (要約抜粋、敬称略)

ジャパンハンドラーと日本の政財界は、繋がっている。
米戦略・国際問題・研究所(CSIS)の構成は、上から順に、
一、デビッド・ロックフェラー
二、キッシンジャーハーバード大学教授ジョセフ・ナイ
三、リチャード・アーミテージとCSIS所長のジョン・ハレム。
四、理事長は、民主党の重鎮で、オバマのアドバイザーもしているサム・ナン元上院議員
五、米国務省カート・キャンベルマイケル・グリーン日本部長。
六、東京常駐は、元海兵隊中将のジェームズ・R・ジョーンズ 前国家安全保障・補佐官。
彼は、首相や官房長官アゴで使う。

日本側エージェントは、
ボスが、前原誠司。サブが、長島昭久。次に、渡部恒三

日本の大手マスコミは、この事実を知っている。報復や暗殺を恐れて、今まで報道しないで来た。
『米戦略・国際問題・研究所(CSIS)』は、ネオコンの牙城と言われる、シンクタンク
小泉純一郎・元首相の息子、小泉進次郎は、CIAエージェントである、コロンビア大学教授ジェラルド・カーティスの推薦で、2年ほど籍を置いていた。

ジェラルド・カーティスは、日米同盟関係の重要性を、日本国民の頭に植え付ける、使命を帯びた、政治学者だ。
また、民主党渡部恒三・最高顧問の息子、渡部恒雄は、以前、主席研究員として、勤務していた。
笹川良一が設立した、笹川財団(現日本財団)は、CSIS日本支部である。
彼は、CIAのエージェントであった。
渡部恒雄は、現在、CSIS日本支部である、東京財団の、主席研究員である。 
マイケル・グリーンは、CSISの、現役、日本部長だ。
彼は、「『政権を握ったら』、公約は捨て去れ」と、民主党政権に提言した。

『米戦略・国際問題・研究所(CSIS)』は、
日本を喰い尽くす策略を、本気で強行しようとしている。
この研究所は、世界の戦略本部で、日本を操っている。
「CSIS」は、日本政府を傀儡政権として操る、巨大な闇の権力だ。
CSISは、イスラエルに武器を供給し、中東での戦闘で、「石油価格を高騰」させた。

マイケル・グリーンは、民主党・政権時に、鳩山に、次のような要求を突きつけ、脅した。
1.インド洋から撤退するなら、アメリカは、周辺諸国と日本との離反政策を行う、可能性がある。
2.日本は、アメリカのアフガニスタン政策を、目に見える形で、支えなくてはならない。
3.日本は、アメリカ、だけでなく、他の三極委員会や主要クラブのエリートの意見を、聞け。
4.日本の官僚は、アメリカが教育済みだ。
  彼らは、アメリカとの連携を、まず最初に考える。政治家は、二の次だ。
彼らは、これまでの政策の、流れを作ってきたのだから、民主党・政権は、世論を背景に誕生 
したとはいえ、勝手に政策を決めてはならない。
(日本の官僚が、アメリカとの密約を、決めたのだから)

【米戦略・国際問題・研究所】CSIS(Center for Strategic and International Studies)は、
党派を超えて、国際的な公共政策を研究し、政策選択と問題解決方法を提案する、シンクタンクとして、デイビッド・M・アブシャイア博士とアーレイ・バーク海軍提督によって、1962年ワシントンDCに設立された。

2000年4月より、米国・国防副長官を退任した、ジョン・J・ハムレ博士が、CSIS所長・兼・CEOを、1999年より、元・上院議員のサム・ナン氏が、理事長を務めている。

また、ヘンリー・キッシンジャー・元・国務長官やカーラ・ヒルズ・元・通商代表、リチャード・アーミテージ・元・国務副長官らが、理事を務め、稲盛財団・理事長の、稲盛和夫は、国際評議員を務めている。

稲盛財団は、米国ワシントンD.C.CSIS(米戦略・国際問題・研究所)と共同で、2002年4月1日、政界、経済界等の、若手リーダーを養成するため、稲盛財団からCSISに寄付した、500万ドル(約6.5億円)を設立基金として、「アブシャイア・イナモリ リーダーシップアカデミー」(Abshire-Inamori Leadership Academy:略称AILA)を、同・研究所・内に設立した。

稲盛和夫は、京セラや第二電電(現KDDI)などを創業し、日本航空JAL)の名誉会長を務めるとともに、「京都賞」という、国際的な顕彰事業を行う、稲盛財団を設立し、また、中小企業・経営者を育成する、盛和塾の塾長を務める。

CSISは、現在、世界各国の政策問題、および、その展開を探求する、140名を越える専門家をかかえ、47年間にわたり、世界のリーダーに、グローバルな問題に対する、戦略的な洞察と、政策上の解決策を、提供してきた。

活動の特徴として、
第1に、米国・国防政策および国際安全保障に対する、新しい課題を、広範囲に取り扱っているこ
 と。
第2に、世界の主要な地域すべてに関する、専門家を擁していること。
第3に、グローバル時代に合った、新しい統治方法の開発に、力を注いでおり、その実現に向けて、
 人口、健康、エネルギー、テクノロジー、国際金融と経済システムに関するプログラムを、実施
 している、ことが挙げられる。 

【米戦略・国際問題・研究所】・CSISは、米国ワシントンDCを本拠地とする、超党派の、民間シンクタンクで、非課税措置の適用を受けている、非営利団体である。
                                          以上。


***安倍総理に講演の場を与えたCSISとは何か
(ブロガー中島聡氏 2013年02月26日 要約抜粋)

CSISは、表向きは、民間のシンクタンクで、政府や軍需産業のための、調査・研究をする、コンサルタント会社だが、実際には、政権交代で政府を出た高級官僚が、次の政権交代で復活するまでの間、準備をしたり、政府の外から、影響力を行使(ロビー活動)するための場所である。

その典型的な例が、ブッシュ政権下で国務・副長官を務めた、リチャード・アーミテージで、国務・副長官の職を離れた後も、CSISを通じ、オバマと大統領選を争ったマケイン候補のための戦略を立てたり、日本政府に対して、「原発を捨てると日本は二流国に成り下がる」と、警告を鳴らした「アーミテージ・ナイ報告)」を書いたりと、非常に積極的な政治活動をしている。

(軍事マフィアによる、米国政府への、影響力を監視する団体)、Right Web によれば、CSIS は、レーガン政権時代に作られた、「米国は世界の警察官であるべき」という信念の元に、各種メディアを通じて、米国・内外に、多大な影響力を持つ、ネオコンのフロント組織である。

「日本再占領」の作家である、中田安彦は、彼らを「ジャパン・ハンドラーズ」と称して、警告をならしている。

CSISに関しては、外務・審議官・対米・全権大使を務めた加藤良三の娘、加藤和世が、「ワシントン・ジャパニーズ・ウィメンズ・ネットワーク」に、そこで働いた、経験談を書いている。
彼女は、現在は、笹川・平和財団の研究員の1人だが、今でも 、CSIS のフェローの1人でもある。
笹川・平和財団は、CSISへの助成事業として、SPFフェローシップ・プログラムを進めたり、CSISが去年発表した、「アーミテージ・ナイ報告書」のプロモーションを手伝ったりと、CSISとの関係を強めている。

ちなみに、CSISに自分の子供を送り込んだのは、加藤良三だけではない。
小泉純一郎が、次男の小泉進次郎を、
渡辺恒三が、長男の渡辺恒雄を、送り込んでいる。
CSISは、日経新聞と、「日経・CSISバーチャル・シンクタンク」なる組織を、日本に立ち上げ、そこを通じた、保守系・政治家のサポート、若手・政治家の育成、政策提案、などのロビー活動をしている。
アドバイザーとして、自民党石破茂民主党前原誠司他、数多くの霞ヶ関OBが名を連ねる。
「日経・CSISバーチャル・シンクタンク」は、日本版 CSISである。
安倍首相は、CSIS主催のフォーラムでの講演で、「アーミテージ・ナイ報告」を引用して、「日本は二流国にはならない」と宣言した。

下に、「アーミテージ・ナイ報告」に書かれた、日本への提言を、外務省が翻訳したものを、添付しておく。
この報告書が、安倍政権の発足前の8月に書かれたものであるにも関わらず、12月に発足した安倍政権の政策と、ほぼ完全に合致している点は、注目に値する。
これを偶然の一致と解釈するのか、(CSISを通じた)、米国・保守派勢力の内政干渉と解釈するのかは、読者、次第だが、今後、自民党が日本のエネルギー政策をどうするのか、ホルムズ海峡が閉鎖された場合に何をするのか、などを予想するには、とても良い材料になる。

【日本への提言(アーミテージ・ナイ報告)】
(1)原子力発電の慎重な再開が、日本にとって、正しくかつ責任ある、第一歩である。
 原発の再稼動は、温室効果ガスを2020年までに25%削減するという、日本の国際公約5を実現す
 る唯一の策であり、円高傾向の最中での燃料費高騰によって、エネルギーに依存している企業の
 国外流出を防ぐ、懸命な方策でもある。
 福島の教訓をもとに、東京は、安全な原子炉の設計や健全な規制を促進する上で、リーダー的役
 割を果たすべきである。
(2)日本は、海賊対処、ペルシャ湾の船舶交通の保護、シーレーンの保護、さらにイランの核開発
 プログラムのような、地域の平和への脅威に対する多国間での努力に、積極的かつ継続的に、関
 与すべきである。
(3)環太平洋・戦略的・経済連携・協定(TPP)交渉・参加に加え、経済・エネルギー・安全保障・
 包括的・協定(CEESA)など、より野心的かつ包括的な(枠組み)交渉への参加も、考慮すべきで
 ある。
(4)日本は、韓国との関係を複雑にしている、「歴史問題」を直視すべきである。
 日本は、長期的・戦略見通しに基づき、韓国との繋がりについて考察し、不当な政治声明を出さ
 ない、ようにするべきである。
 また、軍事情報・包括保護・協定(GSOMIA)や物品・役務・相互提供・協定(ACSA)の締結に向
 けた、協議を継続し、日米韓3か国の、軍事的・関与を、継続すべきである。
(5)日本は、インド、オーストラリア、フィリピンや台湾等の、民主主義のパートナーとともに、
 地域フォーラムへの関与を、継続すべきである。
(6)新しい役割と任務に鑑み、日本は、自国の防衛と、米国と共同で行う、地域の防衛を含め、自
 身に課せられた責任に対する、範囲を、拡大すべきである。
 同盟には、より強固で、均等に配分された、相互・運用性のある、情報・監視・偵察(ISR)能力と
 活動が、日本の領域を超えて、必要となる。
 平時(peacetime)、緊張(tension)、危機(crisis)、戦時(war)といった、安全保障上の段
 階を通じて、米軍と自衛隊の全面的な協力を認めることは、日本の責任ある権限の一部である。
(7)イランが、ホルムズ海峡を封鎖する意図、もしくは兆候を、最初に、言葉で示した際には、日
 本は、単独で、掃海艇を、同海峡に、派遣すべきである。
 また、日本は、「航行の自由」を確立するため、米国との共同による、南シナ海における監視活
 動に、あたるべきである。
(8)日本は、日米2国間の、あるいは、日本が保有する、国家機密の保全にかかる、防衛省の、法
 律に基づく、能力の向上を図るべきである。
(9)国連・平和維持・活動(PKO)への、さらなる参加のため、日本は、自国PKO要員が、文民
 他、他国のPKO要員、さらに、要すれば、部隊を防護することができるよう、法的・権限の範囲
 を、拡大すべきである。
以上。

 


***北方領土の占領は、米・ソによる共同作戦だった

ソ連北方四島占領、米が援助、極秘に艦船貸与し訓練も』2017/12/30 北海道新聞(要約抜粋)によれば、
1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島・占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していた。根室振興局が、明らかにした。
米国は、ソ連の対日参戦に備え、艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っていた。四島占領の背景には、米国の強力な軍事援助があった。

ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、米・ソは、「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。

米国は、45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与した。
4~8月には、ソ連兵約1万2千人を、米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1,500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たった。
訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は、樺太南部や千島列島の作戦に投入された。

こうした歴史的・史実が判明したのは、根室振興局が2015年度から取り組む北方領土・遺産発掘・継承事業がきっかけ。
イーゴリ・サマリン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の論文「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」(2011年3月)に米艦船が含まれていることが分かり、経緯を探るうち、米ソの極秘プロジェクトの内実を書いた元米軍人リチャード・ラッセル氏の著書「プロジェクト・フラ」(03年)を米国から取り寄せ、国後島の地元紙「国境にて」の過去記事など各種資料と照らし合わせ、四島占領作戦での米艦船の使用を突き止めた。

北方領土問題・発生の責任の一端が米国にもあることが示された。
米国は、日米開戦前から表明していた「領土不拡大」の原則を曲げて、千島列島を取引材料に持ち出し、同じ連合国だったソ連から対日参戦の確約を取り付けた。
北方領土問題の発端に深く関与していた、米国の責任は、ソ連側に匹敵するほど、大きい。

以上


***デジタル戦争の脅威

宇宙衛星や通信手段、電子機器の高度化は、
膨大な個人情報の集積と結び付くとき、
便利さと快適さをもたらす一方で、情報が漏洩した時の損害は大きい。
また人々の管理・監視を可能にする。
電子的な携帯機器の高度化は、それが乗っ取られるならば、
あるいは作動不良にされるなら、
人々の生活を容易に混乱させる。
また小型機器の普及と拡大は、利用者を的にした、武器や兵器に転嫁する可能性がある。
便利さ、快適さだけに目を奪われると、
国家と国民の安全確保が疎かになる危険性を秘めている。
便利さや快適さは、それを使った犯罪行為をも、便利で快適なものにする。
防御プログラムは、防御者を攻撃するプログラムへ、切り替わる。
不便で、多少不満が残る程度の方が、安全なのだ。

怪物や悪党は、力を強め範囲を拡大しながら、
国民の日常生活の安寧を密かに脅(おびや)かしている。


***太平洋戦争の呼び方は正しいか?

大東亜戦争、この名称は、戦後、GHQによって禁止され、
「太平洋戦争」とすることが強制された。
「大東亜」を「太平洋」に挿げ替えることで、日本国民の視点を変えようとした。
重点は、「大東亜」というアジアには無く、「太平洋」の向こう側のアメリカにある、と。
大東亜とは、
インドから東南アジア、支那大陸、そして日本列島に至る、東アジアを指した。
日本は、大東亜戦争での勝機を、インド洋の制覇に、インドの独立にあると考えた。
しかし、英傑とされる、山本五十六は、無謀にも、太平洋に固執し、海軍を道連れにした。
真珠湾への攻撃は、「騙し討ち」のプロパガンダとして利用され、アメリカを大いに利した。
西方には勝利の女神が、東方には敗北の魔神が待ち受けていた。

戦後、「大東亜戦争に突入する2年前、陸軍内部に戦争準備のため、密かに経済謀略機関が作られた。いわゆる秋丸機関である」。
「この機関は、英米の経済力を調査したが、結果、到底勝ち目がないとの結論が出た。しかし当時の情勢から、調査結果は闇に葬られ、太平洋戦争へと突入していく」とされている。
しかし、日本は、単なる勢いや感情に絆(ほだ)されて、戦争したのではない。
小さい針の穴を狙うように、困難ではあっても、勝利の可能性を追求していた。
しかし、英傑とされる山本五十六は、なぜか執拗に、太平洋に拘った。
航海図には、メルカトル図法が使われる。
メルカトル図法の中心をメソポタミアに設定するなら、
大東亜戦争にとって、インド洋が、肝心要であることが、簡単にわかる。
山本五十六には、インド洋の重要性が、分かっていたはずであった。

英米・合作・経済・抗戦力・調査】の結果によれば、
「対英・戦略は、…生産力の破壊および海上遮断を強化徹底する…、属領、植民地に対する戦線を拡大して抗戦力の給源を切断して、経済の崩壊を策することもまた極めて有効なり」とし、
「米国は、これに対する戦略は、軍備強化の余裕を与えざるとともに、これが離間に努むるを至当とす」としている。
つまり、短期戦なら、
イギリスに対しては、インド洋の「海上遮断を強化徹底する」なら有効であり、
アメリカに対しては、「離間に努むるを至当」だから、戦争をするな、と提言している。
日本は、大東亜戦争での勝機は、インド洋の制覇にあり、太平洋にはない、と考えていた。
しかも、狙いの対象は、経済であり、それは、人ではなく、物資であった。

秋丸信夫氏は、父親について、次のように語っている。
生前「もっと要領よく立ち回って、御用学者でも集めればよかったのに」と意地悪な質問をしたことがある。それに対し「いや、日本には戦争経済という概念がなかった。学問的に確立する必要があった。そのためには新進気鋭の学者を起用したのだ」と生まじめに答えた。
起用した新進気鋭の学者には、戦争に反対して何度も逮捕された、左翼的な研究者もいた。
このように、日本人は、先人達は、戦争と真面目に向き合っていたのだ。

英米合作経済抗戦力調査 要約抜粋】の結論は、
(三) 英米各々想定規模の戦争を同時に遂行する場合には、開戦初期に於いて米国側に援英余力なきも、1年から1年半後には英国の供給不足を補充してなお第三国に対し軍需資材の供給余力を有す。
(四) 英本国は想定規模の戦争遂行には、完成軍需品の海上輸送力がその致命的戦略点(弱点)を形成する。
(五) 米国の保有船腹は、自国戦時必要物資の輸入には不足せざるも援英輸送余力を有せず。従って援英物資の輸送は英国自らの船舶に依るを要するも、英国抗戦力は急激に低下すべきこと必定なり。
(六) 英国の戦略は、軍事的・経済的強国との合作により、自国抗戦力の補強を図るとともに、対敵関係に於いては自国の人的・物的損耗を防ぐため、武力戦を極力回避し、経済戦を基調とする長期持久戦によりて戦争目的を達成するの作戦に出づること至当なり。
(七) 対英戦略は、英国抗戦力の弱点たる人的・物的資源の消耗を急速化するの方略をとり、空襲による生産力の破壊および潜水艦戦による海上遮断を強化徹底する一方、英国抗戦力の外廊をなす属領、植民地に対する戦線を拡大して全面的消耗戦に導き、かつ英国抗戦力の給源を切断して、英国戦争経済の崩壊を策することもまた極めて有効なり。
(八) 米国は自ら欧州戦に参加することを極力回避し、その強大なる経済力を背景として、自国の軍備強化を急ぐとともに、反枢軸国家群への経済的援助により交戦諸国を疲弊に陥れその世界政策を達成する戦略に出づること有利なり。これに対する戦略はなるべく速やかに対独戦へ追い込み、その経済力を消耗に導き軍備強化の余裕を与えざるとともに、自由主義体制の脆弱性に乗じ、内部的撹乱を企図して生産力の低下および反戦気運の醸成を図り、併せて英・ソ連・南米諸国との本質的対立を利してこれが離間に努むるを至当とす。


***大東亜戦争の史実

大東亜戦争が起きた時、
東南アジア諸国やインドは、悉く欧米諸国の植民地にされ、
一方的に収奪され、苦しめられていた。
当時の独立国は、タイと日本だけであった。
これに危機感を抱いた日本は、大東亜から欧米諸国の植民地主義を追い出し、
日本を中心とする、各国の共同体である「大東亜共栄圏」を築くために動いた。
タイと日本は同盟関係を結んだ。
日本が侵攻した東アジアにあったのは、英・米・仏・葡などの国々であった。

この戦争中に、日本は、欧米諸国の植民地政府を追い出し、
それぞれの地域の住民による政府と軍隊の創設を支援した。
こうして、戦後、東アジア各国は、徐々に、独立を勝ち取って行った。
これが、大東亜戦争が持つ世界史的な意義であり、史実であった。

また日本にとっては、ÅBCDの経済封鎖網に対抗しての自衛戦争であった。
ÅBCDは、アメリカ、イギリス、支那、オランダのことであり、
支那(中国)は、アジア諸国を裏切り、欧米に味方した。
中華思想とは、所詮、お山の大将、でしかなかった。
大東亜戦争が、日本が自衛のために行ったものであることは、マッカーサーが米・上院で証言した。
真珠湾攻撃を奇襲、とする非難は、ハワイ王国を乗っ取ったアメリカが、
ハワイ国民を犠牲にして、自国への攻撃と認めたものだ。
事前に情報を知っていた、非情なアメリカの、巧妙な戦略的プロパガンダであった。

戦後、日本は、事実上、アメリカの属国になり、
その綿密な植民地政策に拘束されてきた。
そのため種々のいびつな事態が生じた。


***アメリカが脅威を抱く、想像を絶する「日本の歴史と伝統」の奥深さ

GHQアメリカは、
日本と日本人の精神を養い、高める、知的財産である文献を処分した。
それを迅速に可能としたのは、日本の最高学府で教鞭に立つ左翼的な知識人たちで、
人の目に触れない旧帝国図書館内で、蝙蝠(こうもり)のように飛び交い、
せっせと手助けした。
彼らは、後に、日を浴びて教授になり、学長になり、最高裁判所の長官になり、
中には、勲章を授与された者もいた。
アメリカが行う焚書を手伝ったのは、戦後に、エリートと言われる人達であった。

焚書の対象になった本の中に、天孫人種六千年史の研究、があった。
著者の三島氏は、「日本人シュメール起源説」を論じた。
彼は、日本に到着したのはシュメール人だけではない、と考えていた。
大陸の東端にある日本列島には、様々な民族が渡来、あるいは漂着していたことに注目した。
たとえば、倭人には前インドのクメール族があり、隼人と前・出雲にはマラヤ・ポリネシヤ族、
後・出雲には朝鮮ツングース族などである。
この本の研究者による要約では、次のようになる。

【古代の日本列島には様々な民族が渡ってきた。
建国の大業を成し遂げた人種は、世界の諸文明の祖であるシュメール系民族だった。
彼らは、今から数千年前その大宗家たる皇室を戴き、
人類文明発祥の地である西にあるメソポタミアの「豊葦原の瑞穂の国」から、
日出ずる東の「豊葦原の瑞穂の国」に移住し、
シュメール人が抱く本来の大理想を表現するために、この日本を築いた】……と。

これは、当時、100万部の大ベストセラーとなり、戦前の日本国民は、この本で、
日本人は様々な民族の混血で、同じ日本人として、共に暮らしていることを知っていた。
日本人のルーツを解明するもので、軍国主義とは何の関係もなかった。
この本の研究者は、次のようにも述べている。

【縄文の漆文化は、12600年前からあり、当時の日本で稲作をしていた。
熊本大学の研究によれば、
証拠品であるプラントオパールという、稲の化石が見つかっています。
ですから、シュメール文明のはるか前から日本に文明がありました。
そうなると、農耕などの文明がむしろ日本から出てオリエントに伝わった可能性があるのです。
シュメール人は、大昔に日本から大陸に行って、また日本に帰ってきた、
帰国組の可能性も強いのです】。

福永晋三氏によれば、阿毎字多利思比孤(あめのたりしひこ)天子=聖徳太子は、「日出ずる處の天子、書を日没する處の天子に致す。無恙きや」と、隋に国書を送った。
聖徳太子は、10人の言葉を聞き分けた。
当時の日本には多数の言語が飛び交っていた。
聖徳太子の時代にも、日本には、多くの民族がいた。

聖徳太子の十七条憲法の一には、
「協和を何よりも大切なものとし、反乱を起こさないようにしなさい。人には仲間があるが、道理を極める者は少ない。
そのため、父である君主に従わなかったり、周囲の人々とも食い違う。
それでも、上位の者が温和で荒立てず、下位の者に親しみを持って接し、打ち解けて話し合うなら、自然と理解し合える。
どんなことも成就(じょうじゅ)する」とした。(意訳)
天皇である阿毎字多利思北孤(あめのたりしほこ)は、憲法で、真っ先に、
異民族の有力氏族に囲まれた政権の、理想的な方針を掲げた。

ちなみに、【世界大百科事典、新撰姓氏録(しんせんしようじろく)の帰化人】によれば、
弘仁年間(810‐824)に編纂された《新撰姓氏録》をみると,
そのころ京畿在住の氏族で系譜の確認されたもの1065氏のうち,
諸蕃すなわち帰化系氏族は326氏で,全体の約30%を占めており,
その内訳は、漢(周や秦、呉、魏、隋、唐などを含む。引用者注)163氏,百済104氏,高麗41氏,新羅9氏,任那9氏となっている。【関 晃】。

戦前には、「日本人シュメール起源説」を論じたものは他にもいくつかあった。
人類で初めて鉄製の武器を使用した、ヒッタイトも日本にやってきていた、と。
GHQアメリカは、戦後の日本人が本当のことを知るのを、恐れた。
学問や学術が歪(ゆが)み始めた。研究者の良心が真実から離れだした。

何より日本国と日本人を不幸にしたのは、東京裁判極東国際軍事裁判)であった。
それは、欧米諸国が大東亜戦争に負けた日本に、
白人至上主義による侵略と略奪、植民地支配で行った数々の残虐な行為の罪を、
全て、日本国とその軍人及びその協力者に転嫁するものであった。
しかし、それは序の口であった。
本当の狙いは、信じ難いほどに深く長い、「日本の歴史と伝統」を、消し去ることであった。


***大東亜戦争とは何か

大東亜戦争には2つの側面があった。
一つは、いわゆる、軍国主義である。
その背景には、明治維新によって誕生した薩長政権が目論んだ、朝鮮や満州方面への侵略の野望がある。
それが明確になったのは、昭和時代で、軍部が台頭し、政治的に制御できない存在となった。
それを推進したのは、天皇に対抗心を抱き、放送局を上手に利用した皇族と、革命のために戦争を利用する計画を秘めた、新聞社出身の共産主義者ソ連のスパイ達であった。
そして、海外に利権を求めた日本の財閥であり、その背後には欧米の財閥がいた。
ところが、独走した軍部にさえ、協和主義、共存共栄の精神が生きていた。

二つめは、日本の国家と国民の安全と生存を保持するための、自国防衛主義である。
日本を防衛するためには、アジア諸国との連合が必要だと考えた。
しかし、肝腎のアジア諸国のほとんどが、既に、欧米諸国の植民地になっていた。
タイと同盟関係を結んだが、他の近隣諸国は、著しく、独立の気概に乏しかった。
独立したアジア諸国の連合を創設するためには、
各国の政権を支援し、インフラを整備し、教育や医療の設備を整える必要があった。
インフラを日本と同程度に引き上げる必要があった。

軍国主義と協和主義の併存は、大東亜戦争を、世界的にも、例のない、不可思議なものにした。
利権主義を追求する財閥が影響力を持っていたため、
様々な問題を残したが、各国との共存共栄を目指した、特異な軍国主義となった。

大東亜戦争は、日本が、総じて、国防のために、国家を挙げて行った。
それは、欧米諸国の、残虐な、植民地政策との戦いであった。
日本国民は、欧米人による惨殺、凌辱、略奪から逃れるために、必死となった。
大東亜戦争は、アジア諸国と共存共栄するために行った、日本流の、例のない侵略であった。


***東京裁判で犯罪とされたのは「日本の歴史と伝統」

いわゆる東京裁判は、公正を装って、
欧米列強の白人至上主義と戦った、勇敢な指導者達を、戦争犯罪人に仕立て上げた。
裁かれたのは、日本の軍国主義とされた。
それは、欧米の白人至上主義者たちが、寄り集まって行った、非白人である、
有色人種である日本人に対する、リンチ、私刑であった。

戦争犯罪人として巣鴨拘置所に収監されたが、釈放された人々がいた。
彼らは、ほとんどが朝鮮系日本人で、戦中に膨大な財産を築いた者たちであった。
莫大な財産はヘロインによって作られ、その一部は、自民党の設立に使われた。
自民党の背後には、アメリカが、CIAがいた。
その後、彼らは、政界やメディア界に進出し、首相になり、新聞社の社主になった。
外の者は、右翼の大物となり、また特権を得て、私営ギャンブルで膨大な財を成した。
彼らの共通点は、戦後も朝鮮と強く結びつき、またアメリカに裏から協力し続けたことである。
また、支那大陸で生体実験を行った731部隊を主導した者たちは、責任を問われることなく、
その後、病院長となり、あるいは大学の医学部で教授となった。

大東亜戦争の前から、日本は一貫して、「人種差別撤廃」を主張してきた。
領土獲得を求めず、略奪せず、真正面から堂々と理念を掲げて、
欧米の白人至上主義と戦った、非白人の国家は、それまで存在しなかった。
欧米こそが最高の存在と信じてやまない、自分たちの行いが正義であると信ずる、
欧米の白人至上主義にとって、これは脅威であった。

軍国主義、という決めつけは、
彼らが野蛮な存在と思い込んできた、有色人種である日本人を、
事実上、自分たち白人を脅かす存在、と認めるものであった。
GHQアメリカが恐れたのは、
日本の対等主義であり、共存共栄の思想であり、
集団を作りながらも、一人一人が個性を発揮した、勇猛果敢なサムライ魂であった。
東京裁判で裁かれたのは、
日本の国家と国民を形成した、日本の歴史と伝統であった。
日本の歴史と伝統は、ねつ造され、明治維新東京裁判とで、二重に上書きされた。
日本の歴史と伝統の復元と深化発展は、戦後の国民に、最重要の課題として残された。

軍国主義という用語は、
これまで否定的なイメージを作り上げるために、利用されてきた。
しかし、日本の国家と国民に投げつけられた、この蔑称は、実は、名誉なことであった。
この軍国主義は、白人至上主義に対峙するもの、に授けられた、称号であった。
それは、日本の軍国主義が、欧米人に恐怖感を抱かせたことの表現であった。
日本の軍国主義には、歴史と伝統が、まだ生きていた。

日本の国家と国民には、その軍国主義には、人は対等であるという精神が、
息づいていた。また、そこには、侍の精神が貫かれていた。
日本の軍国主義の実態は、これであった。
日本軍ほど、信義を重んじ規律正しい軍隊は、世界にも稀であった。
サムライ魂の根底には、人は対等である、とする、日本思想があった。
それは、先人達から引き継いだ、日本人が誇りとすべき、神髄であった。

日本を弱体化させるには、武装を解除する必要があった。
傀儡政権を作る必要があった。
侍の精神に溢れた、軍国主義の指導者たちを、排除する必要があった。
人は対等であると語り伝える、歴史と伝統をなくす必要があった。
日本国家の一体性を、粉々に、突き崩す必要性があった。
そのために焚書を行い、公職を追放し、
代替として、左翼的な知識人と在日の韓国人、朝鮮人を、取り立て、優遇した。
歴史と伝統を否定する、生粋の日本人とは異質な人々が、日本の国家を操り始めた。

こうして、アメリカの、新たな覇権主義が動き出した。
東京裁判は、その転機、であった。
東京裁判は、質的に変化した、新たな覇権主義の始まりを、告げるものであった。
それは、アメリカによって、巧妙に仕掛けられた。
それまでの植民地政策を質的に変容する、高度な植民地政策の始まりであった。


***日本を植民地とする巧みな政策

アメリカの占領政策は、日本国の中枢にあった軍人と、その他の国民とを、
巧妙に、意図的に、分断する作戦を採った。
悪いのは、戦争を煽った軍人とその協力者であり、
それ以外の人々は、巻き添えを食ったのだから、責任がないのだ、と。
この、国民を二つに分断する、作戦は、
戦中、日本の共産党のリーダーが、支那大陸で、
中国共産党の下で、日本兵に行っていた方法を、取り入れたものであった。

その結果、多くの日本人は、
処刑された軍人とその家族の方々に、顔向けできない心理状態に陥った。
また、国民のために戦地と内地で奮闘し、死傷していった、
兄弟や親類縁者、そして友人や知人に対して、申し訳が立たないものとなった。
何もかも日本が悪かった、という犯罪意識を刷り込まれ、
意図的に仕組まれた、日本が悪かった、という自虐史観に導かれた。
小事があたかも大事であるかのように洗脳され、
当時の日本が置かれた世界的な状況を、国民が置かれた危機的な状況を、
客観的に把握することができなくなった。

それでも大東亜戦争は、総じて、世界中に蔓延していた、
有色人種を人間として扱わない、人種差別、白人至上主義による植民地主義に、
一矢を報いるものであった。

大東亜戦争、この戦いは、2個の原子爆弾が投下されるまで続いた。
原子爆弾の投下は、日本に戦闘能力が既に無いのを、承知で行った。
これは、戊辰戦争と同様、敵に、決定的なダメージを与えるためのものであった。
それは、有色人種を試験用のマウスに見立てた、情け容赦のない、非人道的な実験であり、
かつ、新たな覇権争いで優位に立つための、手段でもあった。

大東亜戦争後の、欧米の覇権争いは、すでに始まっていた。
アメリカは新たな覇権争いの先陣を切った。アメリカは巧者だった。
日本で進んでいた核兵器開発の器具や関連する資料等を直ちに没収した。
また731部隊化学兵器の開発は、アメリカ本土へ引き継がれた。
それでも大東亜戦争は、大きな犠牲の上に建てられた、
地球を覆った巨大な、人種差別の、壁に切り込んだ、
小さいが、大きく拡散する、光の通り道を作るものであった。
それは、日本で縄文時代から連綿と続く、
世界が一つの家族のように生活するという、自立した国家の連合体を作るという、
崇高な、八紘一宇の理想を掲げた戦いであった。

日本は、大きな危険の渦に、飲み込まれそうな状況になっていた。
その状況下で、「戦争反対」を唱えることは、耳障りは良いが、
欧米列強に無防備に屈服すること意味した。
それは略奪、凌辱、残虐な行為を招き入れ、奴隷として、
大切な国家の利益と国民の財産や身体・生命までも、言われるままに、差し出すことを意味した。
反戦を唱道するもの達は、愚かにも、国内の戦闘を革命に転化・利用できると考えていた。
非力な彼らは、当時アメリカを支配していた、強力な共産主義者と共同して、
自分たちの政権を打ち立てることができると、安易で、密かな妄想を抱いた。
しかし、賢明なアメリカが欲しかったのは、自分たちの言いなりになる、愚かな政権であった。
これがコミンテルンの実態であった。強者が独占した。そこには選良優越主義があった。
日本の共産主義者は、唯物論者であるにもかかわらず、概念の世界でゲームに熱中した。

戦後の歴史教育は、戦争の史実を覆い隠し、ねつ造してきた。
日本の歴史を、世界史の中で、的確に位置付けることを避けた。
また、戦争は悪いものだ、という心情に訴えることを主眼とした。
さらには、史実を平気で書き換えた。
全て、戦争で覇権を握った、白人至上主義を一方的に利するものであった。
それは「人種差別撤廃」を主張し続けた先人達の偉大さに
まともに焦点を当てない、祖先を貶める、ものであった。
こうして戦後の日本では、大東亜戦争について、真実を語ることがタブーとなった。

だが、世界的に、覇権主義はそのまま幅を利かせてきた。
東京裁判で、白人至上主義が、その植民地主義が、人種差別が
罰せられることはなかった。戦争犯罪人は、真犯人は、別にいた。
それは、日本にお仕着せた犯罪は、冤罪、であったことを意味する。
白人至上主義に基づく覇権主義に突き動かされる、
国家間の勢力争いは、現在に至るまで、止むことはなかった。
冷戦として、熱い紛争として、間然として継続してきた。
アメリカに、事実上、支配され続けた日本の現実としても。

GHQアメリカは、日本人の公職追放を行った。
教育界、政界、司法、行政等から日本人を締め出し、
開いた席には、左翼的な日本人や在日韓国・朝鮮人を据えた。
アメリカを実際に代表したのは、マッカーサーではなく、情報参謀のウイロビーであった。
そのウイロビーの上司は、財閥のロックフェラーである。
GHQアメリカは、韓国と朝鮮を上手に使い始めた。
強制的に追放されたのは、いわゆる軍国主義の思想を持ったもの20万人以上。
密告の危険を察して自ら身を引いたものは数十万人。
有能な人材が、表舞台から引きずり降ろされた。
戦後復興の中軸となる要職は、GHQに擦り寄った者と在日・韓国・朝鮮人が占めた。
公職追放は、日本の戦後復興を、精神的にも人的にも、大きく阻害する政策であった。


***日本人が意識しない日本の国体の正体

日本は、大東亜戦争で敗れたが、その歴史と伝統を維持するものがあった。
それは、天皇制が存続したことである。国民に一縷の望みをもたらした。
敗戦から立ち上がる大きな希望となった。
日本の国体とは、日本が王朝であることを意味する。
日本の国体が護持されたというとき、それは日本が王朝であり続けた事を言う。
それは、日本人の「本家」が守られたことを意味した。
日本人の各家庭は「分家」で、天皇は家長で、「本家」筋である。
歴史と伝統を紡ぎあげてきた日本にとって、これは幸いであった。

日本は、「世界で唯一の単一王朝国家」であり続けることが可能になった。
マッカーサーは知っていた。天皇には、政治的に実権が無かったことを。
そして知った。天皇は、戦争におけるあらゆる責任を、一身に負う決断をしていたことを。
軍人であるマッカーサーは、せめて一つだけでも残そうと考えた。
それは、サムライのような、軍人の魂であり、潔さであった。
「本家」として歴史を一身に背負う生命を存続させた。これは奇跡であった。
こうして、日本の一体性を支える礎は、残された。日本王朝は密かに息づいた。
日本国(やまとこく)は、2600年以上に亘って一度も王朝が交代していない。
日本人の祖先の系統である、「本家」筋は、絶えなかった。
世界にこのような体制は存在しない。国民が世界に誇るべき王国は長らえた。

日本の王朝、天皇制は、世界でも特異な存在である。
祭政一致は、司祭者が政治権力を保持する神権政治をいう。
政治(まつりごと)には、祭祀政治と権力政治の2種類がある。
ほとんどの国家は、政教分離が普通になるまで、権力者が祭祀と権力の最高位を独占した。
しかし、日本では、古くから、祭祀政治と権力政治は、分離して、併存してきた。
日本の天皇は、権力政治に拘泥しなかった。
「分家」の自由な在り方を尊重した。

天皇は、宗教対立に、国家と国民の分断に、与(くみ)しなかった。
宗教対立は、国民を分裂させ、国家を不幸にするからである。
天皇は中立であることを基本とした。中立とは、国民に対して公平であること、
特定の国民や集団、組織などに肩入れしないことである。
天皇は、権力の運用を、国民の才覚と判断に任せた。
「分家」は切磋琢磨した。
国民には広く可能性が生まれた。日本が大きく成長できたのは、この為である。
権力者は、時折り、天皇を仰ぎ見ることで、施政の誤りを反省してきた。
この世は無常である。盛者必衰である。権力者もその理(ことわり)を理解していた。

日本では,先人や祖先の神々を祀ることが、政治の根本にあった。
政治を「まつりごと」と言うのはそのためである。
日本列島は、地震津波、火山の噴火や台風の襲来、地滑りや洪水、飢饉、外敵など、
考えられる、あらゆる災厄に襲われる地域であった。
祭祀は、国民の生活が豊かで,社会が平和になることを、神に祈るものであった。
天皇は、自身の住む屋敷が雨漏りしても、構わずに、草民の暮らしを慮った。
家長である「本家」の天皇は、「分家」の暮らしぶりを気遣った。
そこには草民が抱く、理想の、天皇像があった。国民は天皇を尊崇してきた。
天皇が神に、国民の安全と豊かな暮らしを願うから、国民は安心して生活できた。
これが天皇の政治である。この思想こそ「天皇制」による国家統一の支柱であった。
律令制の時代において、神祇官太政官を並べて設置したのもそのためであった。

日本では、天皇と国民との間には、共通の理想像があった。
それは、民の生活を慮って、3年間、税を取り立てることなく、雨漏りする宮殿に住み続けた、天皇であり、民を思いやる政治を心掛ける天皇を、仁徳、といった。
福永晋三氏の「真実の仁徳天皇」よれば、
史実としては、宇治天皇=太子菟道稚郎子こそが、初代の正当な仁徳天皇であった。
日本国民は、天皇に、仁政を、賢聖を求めた。

天皇に不幸をもたらしたのは、天皇を「現人神」とし,その親政を求めたことである。
明治政府は、挙国一致と称して、天皇を権力争いに巻き込んだ。
天皇を、「本家」の家長を、正当性の証として、表舞台に担ぎ出しからである。


***明治維新は「日本の歴史と伝統」を歪めた

天皇を政治利用する動きは、江戸幕府の時代から始まっていた。
中心となったのは、薩摩と長州であり、吉田松陰とその門下生たちである。
彼らは、北海道や琉球朝鮮半島から満州への進出と侵略を夢見ていた。
江戸時代には、既に、様々な文化や科学技術が高度に発展し始めていた。
明治維新の志士たちはそれを、横取りして、自分たちの手柄にした。
明治維新の実態は、朝鮮系日本人による日本の乗っ取りである。
朝鮮系日本人を財政面で支援したのは、アヘンで富を作った、イギリスの財閥だった。
幕藩体制を崩壊させて、中央集権国家を設立する中心になったのは、薩長藩士である。
薩摩藩長州藩には、国内と国外に対する、利権的な拡張政策の野望があった。
背後には、イギリスの武器商人が付いていた。
坂本龍馬は、金儲けのために、イギリス商人の手先として、倒幕のための武器を斡旋した。

明治維新によって、新たに階級制度が作られた。
明治十九年(1886年)に「華族世襲財産法」が制定され、
いわゆる「薩長土肥」の出身者が大量に「勲功華族」となった。
松陰の門下生たちの多くが、政権の中枢にいて、特権階級となった。
そして、明治二十二年の大日本帝国憲法の制定によって、
吉田松陰に感化された華族たちは、皇族や勅選議員と同様、貴族院議員になった。

初代総理大臣となった伊藤博文や、外務大臣井上馨もイギリスに秘密で留学するなど、
イギリスの財閥は、明治政府の重鎮たちを、その影響下に置いた。
これ以降、薩長出身の華族は、上院である貴族院を舞台に、政治を切り盛りした。
明治維新は、薩長同盟による、クーデターである。
薩長出身者の多くが、朝鮮系の日本人であった。彼らは、両班に、華族になった。
薩長出身者による政権は、戦後も、続いている。

明治政府は、侵略の野望を抱く、松陰の門下生たちによる、利権政治を行った。
彼らは、天皇の名を表看板に掲げて、元老となり、実権を掌握した。
まず動き出したのは、薩摩の華族たちで、北海道開拓使の官有物払い下げ事件がある。
彼らは、国民の税金で始めた事業の成果を、格安で手中に収めようとした。
湧き上がる国民の非難の声を逸らすために、生み出したのが、大日本帝国憲法であった。
その内容は、杜撰なものであった。本当の狙いは隠された。
全ての法律は、帝国議会の議決を経る必要があったが、勅令や詔勅は除かれた。
最も重要なものは、規定されないか、勅令や詔勅を利用した。元老も詔勅で作られた。
天皇統帥権は、軍部を、政治的に制御できなくするための、仕掛けであった。
各大臣の輔弼を必ず必要とする、天皇が、直接、軍部を動かすことは不可能であった。
国政を、軍部を、正すのは、軍の配下にあった、国民の声だけになった。

貴族院衆議院は、憲法及び議院法に規定がないものについて、
内部の整理に必要な諸規則を定める事が出来た。
天皇が無答責とされたのは当然であった。
実権を持つ各国務大臣がその責任を負うのは、当たり前であった。 
全ての法律、勅令、その他、国務に関する詔勅についても、国務大臣の副署が必要とされた。 
天皇の諮問に応える形式で、枢密顧問は、重要な国務を審議することができた。
総理大臣のことを内閣首班と言った。しかし、内閣の首長であることを意味しなかった。
各大臣が個々に天皇に対して直接責任を負った。総理大臣は単なるまとめ役でしかなかった。
内閣は、大臣が一人でも反対すれば、「閣内不一致」で総辞職するしかなかった。
 
昭和になると、憲法の欠陥が明白になった。
軍部が大きな発言権を持ったが、政府は軍部を制御できず、軍部優先の国家体制になった。
支那大陸に進出した軍隊は、騒ぎを起こしながら、統帥権を盾にして進軍した。
昭和六年の満州事変。関東軍が柳条湖で満鉄の線路を爆破し、満州全土を支配下に置こうとした。
昭和十二年の支那事変。中央は、これを黙認し、ずるずると戦争に引きこまれる結果となった。
元老たちが、実質的に、天皇に代わって、憲法の欠陥を補う役割を担う形になった。
元勲と云われた特権階級に、元老たちに、絶大な権力が集中した。

イギリスに留学した、夏目漱石は、日本人が西洋にかぶれることを、危惧していた。
西洋は、金儲けの仕組みに溢れていた。人間を争わせる手段に困らなかった。
そこには、個人主義が、自己責任が、利己主義が、疎外が、孤立があった。
一つの家族は最小限に縮小された。その家族から外に出ると、人は独りぼっちになった。
強固な正当性を悪用した権力者たちによって、日本の歴史と伝統が歪(ゆが)められた。
「本家」を担ぎ上げることは、すなわち、敵の「本丸」を落としたことを意味した。

日本人は、意外にも、無防備であった。
それは、「本家」は、周囲の「分家」に守られていたからだ。
今でも田舎へ行けば、他所から知らない者が来れば、すぐ村中にその情報が回る。
村人は、誰がどこで、何をしているか、何でも知っていた。
何キロも先に住む住人の名前は勿論、家族構成や出自や学歴や特技や趣味、
掛かっている病気までも、知っていた。
自分たちの村や町は、自分たちで守ってきた。その伝統は、今でも、生きている。
そこには、「防御」と「助け合い」の精神がある。
「分家」が「本家」を守護するのは当然、と考えてきたからだ。
だから「本家」には、防壁など作らなかった。

町や村には、防壁は作らなかった。特殊部落との間にも防壁はなかった。
ここに、安全神話が生まれた。
周囲の環境は、次第に、変化していた。人が多く集まるところは、特にそうであった。
人が密集すると、人の付き合いは無いのも同然となった。
日本人は孤立し出した。防御は個人の自己責任になった。
異国人が多数入り乱れると、言葉が壁となって、孤立は、驚くほど、加速した。

明治時代の権力者たちが求めた正当性には、2つの側面があった。
国内の政敵に対しては、自分たちの背後に天皇が付いていることを見せつけた。
諸外国との関係では、政権を握った者たちは、天皇の使者となった。
その背後には、甘い罠を囁く、欧米の財閥が控えていた。


***天皇と国民の歴史的な関係

天皇は、神ではない。万世一系ではない。象徴ではない。
天皇は、日本の国王である。国民の精神的支えとなる、特異な国王である。
それは、日本国憲法の在る無しにかかわらず、戦前戦後を通じて、一貫している。
日いずる国は、天に一番近い国である。その王は、天を戴く王であった。
天皇は、日いずる国の王であり続けた。

日本の国王は、「本家」の家長が務めてきた。
天皇制」の伝統は、権力政治を国民の自由な意思、判断に委ねることにある。
国家の繁栄と国民生活の豊かさは、天皇の喜びであった。
「本家」の天皇と「分家」の国民は、
「本家」を親、「分家」を子とする、一つの大きな家族を形成してきた。
その支柱は、いわゆる家族関係であり、天皇と国民の共存共栄であった。
日本国民には、古来から自由と民主主義が保障されてきた。
水呑み百姓でも、足軽でも、部落出身者でも、在日朝鮮人でも、あらゆる国民に、
天下を執ることが保障されてきた。
国政の過ちは、愚かな「分家」が自ら招いたことであった。
「本家」の天皇は、「分家」の国民が冒した過ちを、自らの過ちとして、責任をとってきた。

日本国民は、自由と民主主義を求めて、国王と対立する必要性がなかった。
自由と民主主義を拒んだのは、時の権力者であり、それは国民であり、天皇ではなかった。
日本に革命を必要としなかった理由は明白である。
古来から国民は自由で対等であった。国民の成長が国家の成長そのものであった。
天皇制の存在は、日本人の誇りであった。人類史上に例のない、歴史と伝統があった。
そこには、国民が自ら平和な楽園を築きあげることが可能な、日本独自の仕組みがあった。
人類の文明を開拓した、先人たちが考え抜いた、崇高な世界観が生きていた。


***明治維新天皇と国民の関係が一変した

明治政府の基本方針を示すものとして、1868年に明治天皇が示した、五箇条の御誓文、がある。
五箇条の御誓文
一、 広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ
一、 上下心ヲ一ニシテ 盛ニ経綸ヲ行ウベシ
一、 官武一途庶民ニ至ル迄 各其志ヲ遂ゲ 人心ヲシテウマサラシメンコトヲ要ス
一、 旧来ノ陋習ヲ破リ 天地ノ公道ニ基クベシ
一、 智識ヲ世界ニ求メ 大ニ皇貴ヲ振起スベシ

明治維新は、天皇と国民との関係を、一方通行にした。
「本家」と「分家」の関係を否定した。
明治維新を境に、国民は、全てを投げ出しても、天皇のために忠誠を尽くすものとされた。
天皇は、国民の幸福のためにあるのではなく、国民は天皇のためにある、とされた。
それまで天皇と国民との間に有った、共存共栄の関係は否定された。
「本家」の家長と「分家」の者たちとの関係が、断ち切られた。
天皇は上で、国民は下であることが、固定化された。
一つの家族としての関係は解消され、国王と国民の上下関係だけが残った。
天皇は絶対者とされた。日本の歴史と伝統は曲げられた。
明治政府を掌握した薩長出身者たちの、侵略の野望を遂行するための、策略であった。

明治政府は、国家神道を推し進めようとした。
明治12年6月14日、陸軍省の達(たっし)甲で、招魂社は、靖国神社護国神社に改名した。
それは、招魂社を、神社に紛れ込ませ、国家の招魂社に、格上げするための策謀であった。
招魂社は、神社を、背乗りした。
江戸時代の末期に、長州の志士を祭るために誕生した、招魂社は、神社ではない。
招魂は、
日本の陰陽道では、衰弱している、生きた人間の活性化のため、
中国の道教では、死者の霊魂の離散防止のためとして、行われる。
神道の、生者と死者の双方に対する、鎮魂祭とは、別のものである。

【慰霊と招魂―靖国の思想】 (村上重良、岩波新書、要約抜粋)
「慰霊と招魂」だが、
これは、靖国神社に代表される「招魂」の思想というものが、近代日本国家による創作物であって、それは古来の神道民間信仰における「慰霊」の思想の伝統とは、根本的に別物だ。
「招魂」の思想の性格は、次のようなことに尽きている。
幕末維新期に生まれた招魂の思想は、
御霊信仰の広大で奥深い民衆的基盤を背景としながらも、
日本人の宗教的伝統はもとより、神道の伝統とも異質な観念へと展開し、
明治維新直後の神道国教化の過程で固定化した。
(中略)
招魂の思想、靖国の思想では、
天皇に敵対した者は、死後も未来永劫に「賊」であり、
その霊を供養し弔祭することなどは思いもよらぬことであった。
こういう特異な人間観、霊魂観は、
日本人が歴史とともに内にはぐくんで来たヒューマニズムを破壊し去ったのみでなく、
近代天皇制下の七〇余年にわたって、日本国民の人間性を歪め、人類愛を敵視して、
他民族、他国民とのあいだに人間としての共感を育てることを阻害するという、
おそるべき役割を果たすことになった。

(引用者注、「天皇に敵対」の部分は、「長州に敵対」と読み替えるのが適当か。あるいは、天皇明治天皇とするべきか。松陰の門下生は、天皇を利用したが、尊崇の意思は無かったのでは。天皇を襲撃する計画を立てた。皇太子を襲撃した虎の門事件。皇室との結びつきを企む、天皇に謝罪を求める、朝鮮人と同じ。)

この著者が言うように、戦後の靖国参拝をめぐる問題は、
反対するものは「賊」とされ、日本国民を分断する、国内に紛争をもたらす火種となる。
靖国参拝が何を意味するのか、その本質を見落としてはならない。
本当に英霊を慰霊したいのなら、お祓いをして、他に安置すれば良いだけのことだ。
「日本の歴史と伝統」を貶めた者たちと英霊とを一緒に祭ることは、英霊を侮辱する。
また、この問題に「本家」の家長を引っ張り込むことは、国内を分断させる。


***東京裁判によって絞首刑となった、いわゆるA級戦犯七名の墓地

【宝善院住職 松下隆洪】によれば、
七名は昭和23年12月23日、巣鴨プリズン(跡地は現在「池袋サンシャインビル」となっている)で絞首刑のあと、横浜の久保山火葬場で火葬にされた。
日本占領軍・最高司令官マッカーサーは遺体も遺骨も家族への引渡しを拒否した。
そこで弁護士ら関係者数名は、クリスマスの深夜、浮かれる米兵の目を黒装束で身を隠し、文字どおり命がけで遺骨の一部を火葬場から奪取した。
遺骨はいくつかの地を流転したあと、昭和35年、関係者の努力で、愛知県幡豆郡幡豆町(はずぐんはずちょう)の三ヶ根山(さんがねさん)山頂に合祀墓がつくられた。
以来ひっそりと関係者、遺族により供養されてきた。

日本では、死者に対する招魂は、祖先に対する不遜な行為と考え、禁止してきた。
招魂は、死者の霊魂を、キョンシーとして蘇らせ、利用するものだからである。
招魂では、霊魂が死体から分離できないので、子孫に受け継がれることもない。
ここには、「日本の歴史と伝統」を否定する考えがある。
政府要人の靖国参拝は、この観点からも、再検討する必要がある。
大日本帝国憲法下で、神社に改名した招魂社は、
今の、日本国憲法の下では、神社の名称を、名乗るべきではない。
国民に信教の自由を保障し、国家の宗教を認めない日本国憲法の下では、
招魂社が、神社と名乗ることは、国民を欺くことで、犯罪である。

明治維新は、教育制度も一変させた。
文部科学省、学制百二十年史 第二節 明治維新直後の教育】によると、
明治新政府は、従前の幕藩制社会に対する抜本的な改革に着手した。
維新直後には「復古」の動向が顕著となっていたが、次第に、欧化へ転換した。
大学の編成においては、従前の国・漢・洋という国別の構成を採らず、教科・法科・理科・医科・文科の五科から成る欧米的な分科制を採用した。
新政府の教育政策が「復古」から「欧化」へと大きく転回した。
優位に立った洋学派と国学派・漢学派との対立が激しくなり、政府は、国学派・漢学派が本拠としている大学本校を閉鎖した。
大学の教育機能は、洋学機関のみによって代行的に担われることとなり、新政府の教育政策方針の転換は一層明らかとなった。

こうして、江戸時代までに築かれた、世界的にも先進的な、高度に発展した、
日本独自の、学問や研究、技術は蔑ろにされた。
欧米が崇拝され、思考が、視界が、極端に狭隘になった。

覇権主義者、グローバリズムにとっては、
国境も、自分たちとは違う思想も、歴史や伝統、そして文化も言葉も、
ただ邪魔なだけの障害物でしかない。


***東京裁判で戦争は決着したのか

大東亜戦争は、アメリカが主導した東京裁判で、
決着がついたように思われたが、実際には、何も解決していなかった。
領土の確定も不透明なままで残され、
戦争の火種は、そこ、ここに、残されたままであった。
ただ、一時休戦した状態に過ぎなかった。

新たな覇権主義の争いは、この日本を舞台に、開始した。
東京裁判は、アメリカが日本を植民地として扱いやすいようにするための、下工作であった。
アメリカは、日本を核の傘で守ると、甘い言葉で誘い、軍隊を要所に配置した。
中国共産党は、在日中国人や、日本国籍を取得した中国人や留学生等を足場に使い、
また日本の土地を買い占めることで。
韓国や朝鮮は、日本人の財産を奪いながら、公職追放時に国家の要職に潜り込んだ。
また中華思想の選良意識を抱き続けた、面従腹背の韓国・朝鮮人を使って。
そのため、官僚は、日本国民よりも、外国人に対して配慮するようになった。
ロシアは、シベリアに抑留した補償をすることなく、北方領土を切り札にして。

旧ソ連が盗み取った日本の領土は、北方四島だけではない。
南樺太占守島(しゅむしゅとう)から得撫島(うるっぷとう)に至る千島列島は、
勿論、日本の領土である。
サンフランシスコ講和條約で、日本は、南樺太・千島列島・北方四島、を放棄させられたが、
その講和会議には、旧ソ連は参加していない。
従って、「北方領土」と言うのは、本来、南樺太・千島列島・北方四島、を指す。
北方領土」は、ロシアにとって、国防上の、重要な地帯になっている。
独立国家と言えない日本のままでは、領土の回復は難しい。


***日本が戦争に負けた理由

日本が大東亜戦争で敗戦した理由には様々あった。
一国で欧米の連合を相手にした。
長州勢の侵略政策と軍部の独走に国民が鼓舞された。
戦線の拡大は、戦力を拡散させ、弱体化させた。
特に海外への進出は、支援物資の搬送が重い負担となった。
西のインド洋に勝利の波が残されていたが、何故か、海軍大将は、東の波に拘った。
不慣れな戦地には兵隊を苦しめる病原が潜んでいた。
海外に進出する前に、まず、国土を固めるべきであった。
「知らす」統治の仕方は、利権のためには非常に効果的であったが、
独立・共存・共栄のためには、統治下の国民にその意欲がなければ、効果的でなく、
資金面、人力面、物資面でも、軍人と銃後の国民をいたずらに疲弊させた。
独自の武器開発が十分でなかった。資源も外部から調達するしかなかった。
情報収集力が不足していた。他民族の強い利己的な考えや行動に翻弄された。等々。

豊臣秀吉は、日本を統一して、刀狩りを行い、庶民から武器を取り上げた。
それまでの日本人は、百姓に至るまで闘争心を持っていた。
江戸幕府になると、参勤交代など、諸藩の財政を苦しめる方策をとった。
また鎖国政策によって、海外情報の収集が、狭く、一方的で、偏ったものになった。
鎖国かどうかは、日本人が、直接海外に出かけて、実際に見聞したかどうかにある。
武士階級の所得は米であり、貨幣経済の海外諸国とは、違いが大きすぎた。

日本では、幕府や藩が、小判や藩札などを発行したが、
これは、借金なしの、利子が付かない、公共の、公的な、貨幣であった。
しかし、欧米で進行していたのは、
実際には、政府でなく、銀行が発行する、金利を払う、借金である、債務貨幣であった。
そのため、債務貨幣に対する、銀行制度への、理解が不十分であった。
それに付け込んだ欧米諸国によって、
大量の金銀が、海外へ流出した。国内の金銀は枯渇した。

さらに、諸藩の武力が強化されることを恐れるあまり、
江戸幕府には、国家としての対外的な国防力を強化する政策がなかった。
幕藩体制は、諸藩の連合体であった。国防力は諸藩の裁量に任されていた。
したがって、統一した連合体の国防力は存在しなかった。
そのため、海外の武器商人は日本の弱点を容易に突くことができた。
個別に、藩と幕府に働きかけた。各個に撃破する政策は容易であった。
明治維新を決定づけた「戊辰戦争」は、双方の背後にいた、海外の金融資本に煽られた。
それは、原爆投下と同様、敵に決定的なダメージを与えるもので、日本人の精神に反していた。
この時代の「知らす」統治は、国家を疲弊させる力として強力に作用したが、
対外的に纏(まと)まりのある国防力を成長させることはなかった。


***近衛は、共産革命の急速な進行を見抜くことができ無かった、と昭和天皇に謝罪した

平間洋一氏の「近衛上奏文の謎」によれば、
近衛文麿は、「何もかも、自分の考えていたことと逆な結果になってしまった。何者か、眼に見えない力、に操られていたような気がする」と語った。
それから1年半後、1945年2月14日に、近衛は昭和天皇に「上奏文」を提出した。
敗戦の半年前のことである。

「少壮軍人の多数は、わが国体と共産主義は両立するものなりと信じ居る」。
これら軍人を、「共産分子は、満州事変、支那事変を起こし、之を拡大して、遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、是等、軍部内の意識的計画なりしこと、今や明確なり。

満洲事変当時、彼等が、事変の目的は、国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候」。
支那事変当時に「事変永びくがよろしく、事変解決せば国内革新が出来なくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座候」。

是等、軍部内一味の革新論の狙いは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部新官僚及民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり。所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり。)は、意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵し居り。
無智単純なる軍人之に踊らされたりと見て大過なしと存候。此事は、過去10年間、軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亘り、交友を有せし不肖が、最近、静かに反省して到達したる結論」なり。


***近衛を取り巻いた革新論者、共産主義者たち

上奏文の「何者」かの「眼に見えない力」とは何か。
それは、近衛の政策集団であり、また「国体の衣をまとった共産主義者」である。
彼らは、国家総動員体制や大東亜共栄圏の確立に協力した「昭和会」や「朝食会」のメンバーたちであった。
そこには、共産主義者(あるいはシンパ)を通じた、コミンテルンの影響力が強く働いていた。

昭和研究会(「昭和会」)は、「新しい政治、経済の理論を研究し、革新的な国策の推進に貢献する」ことを目的として36年に発足した。この会は、革新的国策を案出し、理念の裏付けをし、「大政翼賛会」という「一党独裁」の近衛新体制を確立する上で、大きな役割を果たした。
この会には、企画院事件や横浜事件などで共産党員として逮捕された、革新官僚の和田博雄、稲葉秀三、勝間田清一、和田耕作などがいた。
「朝食会」には、ゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実、西園寺公一犬養健などがいた。
また、高度・国防国家の建設をめざし、近衛を支えたのは、
陸軍では、東条英機武藤章佐藤賢了などに代表される統制派、
近衛外交を主導したのは、松岡洋右白鳥敏夫に代表される革新外務官僚であり、
それらを支えたのは、革新派と呼ばれた政治家や経済官僚、財界人であった。


***共産主義思想の軍部への浸透

五・一五事件二・二六事件、三月事件や十月事件などにより、皇道派の影響力が低下し、統制派が陸軍部内の主流となった。
統制派は、「軍事優先」の国防国家の建設を提唱し、「統制経済」を確立するなど、日本を徐々に「全体主義国家」へと導いて行った。

多くの青年将校が影響を受けたのは、北一輝の「日本改造法案大綱」である。
彼は、「支那ヲ自立セシメタル後ハ、日本ノ旭日旗ガ全人類ニ日ノ光ヲ与フベシ」と、日本が有色人種のリーダーとしてオーストラリアやシベリアを「将来取得」し、これらの「新領土」では「異人種異民族ノ差別ヲ撤廃シテ、日本自ラ其ノ範ヲ欧米ニ示スベキ」であると論じた。
また、国内改革については、戒厳令を敷き憲法を停止し、強力な政権を樹立して産業の国有化や国有財産の国民への分配、階級制度の打破などを謳った。
北一輝の国家像は、ヒトラー国家社会主義体制、あるいはスターリン共産主義・独裁体制であった。
北の影響を受けた海軍中尉・三上卓以下(海軍士官6名、陸軍士官学校生11名、民間人8名)が32年5月に五・一五事件を起こした。

以上


***大東亜戦争の、真の戦争犯罪人は、ソ連スターリンである

【ブログで言うDay 一級建築士松井秀夫】さん(要約)によれば、
終戦間際の昭和20(1945)年6月、スイスのベルン駐在の中国・国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として、「日本政府が共産主義者たちに降伏している」と、重慶に機密電報で報告していた。ロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになった」。
http://sankei.jp.msn.com/world/photos/130812/chn13081209400000-p1.htm

日本とアメリカの戦争は、国際共産主義スターリンによって仕組まれた。
つまり、日米双方が、ソ連によって利用された。
俄かには信じ難いことだが、この事実は、ベノナ文章などによっても裏付けられている。
大東亜戦争の真相を知る事は、日本とアメリカが真の友好と平和を確立する為にも、両国民が知るべき、極めて重要な事である。

「電報の内容は「米国から得た最高機密情報」として、「国家を救うため、日本政府の重要メンバーの多くが、日本の共産主義者たちに、完全に降伏(魂を明け渡)している」と、政権中枢がコミンテルンに汚染されていることを指摘。
その上で、「あらゆる分野で行動することを認められている彼ら(共産主義者たち)は、全ての他国の共産党と連携しながら、モスクワ(ソ連)に助けを求めている」とした。
そして「日本人は、皇室の維持だけを条件に、完全に共産主義者たちに取り仕切られた日本政府をソ連が助けてくれるはずだと(米英との和平工作を)提案している」と解説している」。

中国・国民政府の陸軍武官は、ほかにも同年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦を正式に決めたと打電したほか、5月の米国との直接・和平工作の動きも逐一報告するなど、日本の動静を詳細に把握していた。

当時の日本政府や軍には、共産主義の謀略が浸透しており、いつしか天皇の軍隊が国民をないがしろにする、日本人の間に不信をもたらす様な、スターリンの軍や政府になっていた。
この様な事実をじっくりと検証し掌握して、今一度、当時の歴史を見直す必要がある。
何百万という英霊の死を無駄にしない為にも・・・。
以上

以下は、
ブログ【しばやんの日々】から、レーニンの指導理論や、日本の政府に入りこんでいたスパイの状況などについての記事を参考に、記述する。


***共産主義者には、軍部を動かす動機があった。それは、レーニンの「敗戦革命論」である。

レーニンは、1920年のモスクワ共産党細胞・書記長会議で、次のように述べている。
「全世界における社会主義の終局的勝利に至るまでの間、長期間にわたって、われわれの基本的原則となるべき規則がある。
その原則とは、資本主義国間の矛盾的対立を利用して、これらの諸国を互いにかみ合わすことである。
われわれが世界を征服せず、かつ資本主義諸国よりも劣勢である間は、帝国主義国家間の矛盾対立を巧妙に利用するという、規則を厳守しなければならない。
現在われわれは敵国に包囲されている。
もし敵国を打倒することができないとすれば、敵国が相互にかみ合うよう、自分の力を巧妙に配置しなければならない。
そして、われわれが、資本主義諸国を打倒し得る程、強固となり次第、直ちにその襟首を掴まなければならない。」(三田村武夫大東亜戦争スターリンの謀略』p.37)

このレーニンの考え方は、8年後の1928年コミンテルン第6回大会では、もっと過激で具体的なものとなっている。
「現代の戦争は、帝国主義国家・相互間の戦争、ソ連及び革命国家に対する帝国主義国家の反革命戦争、プロレタリア革命軍の帝国主義国家に対する革命戦争、の三つに分類し得るが、…、右の分類による第二の戦争は、一方的・反動戦争なるが故に、勿論、断固反対しなければならない。
また第三の戦争は、世界革命の一環としてその正当性を支持し、帝国主義武力行使に反対しなければならない。
第一の帝国主義・相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは、各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョワ的・内乱戦たらしめることを、主要目的としなければならない。…

帝国主義戦争が勃発した場合における、共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること
(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるが故に、戦争を通じて、プロレタリア革命を遂行すること。

帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめることは、大衆の革命的前進を意味するものなるが故に、この革命的前進を阻止する、所謂「戦争防止」運動は、之を拒否しなければならない。

(現在の帝国主義国家の軍隊の)最近の傾向は、第二次大戦の危機を前にして、各国共に、人民の全部を軍隊にする傾向が増大して来ている。
この現象は、搾取者と被搾取者の関係を軍隊内に発生せしめるものであって、大衆の軍隊化は、『エンゲルス』に従へば、ブルジョワの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。
この故に、共産主義者は、ブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして、進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。…」(同上書 p.38-40)


***尾崎秀実が生前に残した手記は、コミンテルンの方針に沿っている

尾崎秀実は、ゾルゲ事件の首謀者として、昭和19年に絞首刑となった。
彼が生前に残した手記の要約は、次のようなものだ。
「我々のグループの目的任務は、特にゾルゲから聞いた訳ではありませんが、私が理解する所では、広義に、コミンテルンの目指す世界共産主義革命・遂行の為、日本における革命情勢の進展と之に対する反革命の勢力関係の現実を、正確に把握し得る種類の情報、竝びに之に関する正確なる意見を、モスクワに諜報することにある。
狭義には、世界共産主義革命・遂行上、最も重要にして其の支柱たる、ソ連日本帝国主義より防衛する為、日本の国内情勢、殊に政治・経済・外交・軍事等の諸情勢を、正確且つ迅速に報道し、且つ、意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるに在る。」(同上書 p.214)

また、尾崎は、当時の世界情勢について、次のように書いた。
「私は、この第二次世界戦争の過程を通じて、世界共産主義革命が、完全に成就しない迄も、決定的な段階に達することを確信する。その理由は、
第一に、世界帝国主義国・相互間の戦争は、結局相互の極端なる破壊を惹起し、彼等自体の現存社会経済体制を崩壊せしめるに至るであろう。
…敗戦国家に於ては、第一次世界大戦の場合と同様、プロレタリア革命に移行する可能性が最も多く、又仮令、一方が勝ち残つた場合でも、戦勝国は内部的な疲弊と敵対国の社会変革の影響とによつて、社会革命勃発の可能性なしとしない。

第二には、共産主義国家たるソ連邦が存在している。
私は、ソ連邦はあくまで帝国主義・諸国家間の混戦に超然たるべきものであると考へ、その意味において、ソ連邦の平和政策は成功であると考えていた。…
第三には、植民地、半植民地が、此の戦争の過程を通じて自己解放を遂げ、その間に、或る民族に於いては、共産主義的方向に進むであろう。少なくとも支那に対しては、斯る現実の期待がかけ得られる。」(同上書p.223) 

そして尾崎自身は、第二次世界大戦は、次のようなものになると思い描いていた。
「…私がしきりに心に描いていたところは、
第一に、日本は独逸と提携するであろうこと。
第二に、日本は結局、英米と相戦ふに至るであろうこと。
第三に、最後に我々はソ連の力を借り、先づ支那社会主義国家への転換を図り、これとの関連において、日本自体の社会主義国家への転換を図ること。」(同上書p.227) 

その後、尾崎が考えていた通りに、日本はドイツと同盟を結び、英米との戦いに突入した。

「私の立場から言へば、日本なり独逸なりが、簡単に崩れ去つて、英米の全勝に終わるのは甚だ好ましくない。(大体、両陣営の抗戦は長期化するであろうとの見通しであるが)
万一かかる場合(短期戦)になつた時に、英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会体制の転換を以て、ソ連支那と結び、別な角度から英米に対抗する姿勢を採るべきである。
此の意味に於て、日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつゝある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは、大いに意味がある。
私は従来から、南方民族の自己解放を「東亜新秩序」創設の絶対要件であると、しきりに主張していたのは、かゝる含みを籠めてのことである。
この点は、日本の国粋的・南進主義者の主張とも殆んど矛盾することなく主張されている。」(同上書p.227)

尾崎は、コミンテルンの指導通り、大東亜戦争を機に、世界を共産革命に持ち込むことを望んでいた。


***共産主義者の戦争責任が解明されていないこと、それが日本の課題だ

三田村武夫氏の『大東亜戦争スターリンの謀略』は、第二次世界大戦コミンテルンがどう関わったかを学ぶことができる良書だが、昭和25年にGHQにより販売禁止とされて、長い間、埋もれていた。
遠山景久氏の努力により、昭和62年に復刊されて、その後、何度か再版されている。

その後、内閣総理大臣となった岸信介は、この本の【序文】に、次のように、書いている。
「…支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連スターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀実であった、ということが、実に赤裸々に描写されているではないか。

近衛文麿東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなればスターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。
私が東京裁判A級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人スターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事を務めたのだから、まことに茶番と言うほかない。

この本を読めば、共産主義者が如何に右翼・軍部を自家薬篭中のものにしたかがよく判る。なぜそれができたのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し考えてみれば、本来この両者(右翼と左翼)は共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同じである。当時戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している。ここに先述の疑問を解く鍵があるように思われる。…」(同上書 p.319-320)

三田村武夫氏の『大東亜戦争スターリンの謀略』は、GHQが日本での販売を禁止した。
しかし、英訳されて、それがGHQの情報部長であったウィロビーの眼に止まり、米国で「ゾルゲ捜査」を始めるきっかけとなった。
その後、ルーズベルト政権や戦前の日本政府に入っていた、共産主義者の追及につながった、と言われている。

日本は、共産主義者の描いたシナリオに踊らされ、アジア解放を夢見て、
大東亜戦争にのめり込み、昭和の悲劇を招いた。
日本はコミンテルンの赤化力に敗北した。

東京裁判の被告席に座るべきは、真の戦争犯罪人は、スターリンであった。
然るに、スターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事を務めた。
犯罪者たちが被害者を裁いた。東京裁判は、茶番であった。


***日本は、ソ連コミンテルン)の謀略によって、中国にのめり込んだ

ソ連邦崩壊後に出版されたスラビンスキーの『中国革命とソ連』によれば、
ソ連は、中国に大量の軍事援助を行い、中国が日本に降伏しないように画策した。
日本が中国の泥沼に深くはまり、それによって日本の脅威がソ連極東から中国に向かうよう」策動した。
日本は、ソ連コミンテルン)の謀略によって、中国にのめり込み、第二次大戦へと巻き込まれていった。
例えば、25年5月15日に上海の日本の紡績工場のストライキ中に、労働者と警官が衝突し共産党員の顧正紅が警官に射殺される事件が起こると、共産党は1000名の学生や労働者を動員し、大規模なデモを繰り広げ13名の死者と数10人の負傷者を出す「五・三〇事件」を起こした。
この警官による虐殺は、中国全土に憤激の嵐を巻き起こしたが、これを指揮したのは、中国共産党委員長の陳独秀で、その背後には、ソ連領事館内に事務所を構えていた、コミンテルン工作員チェルカソフがいた。
チェルカソフが北京駐在のソ連大使レフ・カラハンに送った報告には、綿糸工場の労働争議と、それに続くデモやストライキコミンテルンは43万ドル投じたという。


***アメリカにおける反日・親中の策動

米国では、親中国派の学者、ジャーナリスト、宣教師たちが、ある者はコミンテルへの忠誠心から、ある者は正義感や中国への同情、あるいは金銭的利益などから中国を支持し、中国のために反日活動を展開し、米国の世論や政策を反日・親中に変えていった。
特にオゥエン・ラテモアは太平洋問題研究会(FPR)の機関誌『Pacific Affairs』の編集長として、中国を支援するために米国共産党が創刊した『アメレジア』の編集員として、「反日の巨頭」と言われるほどの活躍した。

また、作家ではリシャルト・ゾルゲに尾崎秀美を紹介したアグネス・スメドレーは『中国紅軍は前進する』『中国は抵抗する』などによって、エドガード・スノーは『中国の赤い星』、『アジアの戦争』や『極東戦線』などの著書を通じて、「終生中国の誠実な友」として、日本の侵略行為を世界に訴えた。

しかし、最も日本の悪玉イメージを広め日本への増悪観を高めたのは、父が中国で宣教師をしていた中国生まれのヘンリー・ルースが社主の『タイムズ』と写真週刊誌『Life』であった。
『タイムズ』は蒋介石を3度も「マン・オブ・ザ・イヤー」に選び、9回も蒋介石を表紙に起用するなど、徹底した中国寄りの報道を続けた。

そして、日本に対する憎悪感を決定的にしたのは、『Life』に掲載された、上海南駅の線路上で泣き叫ぶ赤ん坊の写真であった。その後、この写真が「やらせ」であることが判明したが、この写真が世界中に中国への同情と日本への反感を生んだだけでなく、半世紀を過ぎた現在でも反日の象徴的写真として広く使われている。

特に米国では、第二次大戦が勃発すると、反日感情・対日警戒心を高めるために、44年に米国陸軍省が作成した「中国の戦い(Battle of China)」という映画を、「チャイナハンズ」と呼ばれる中国の代弁者が利用した。
その映画では、中国兵の勇敢さを描いたシーンに続き、「なぜ、日本は中国を侵略するのか」というナレーションで田中義一首相がクローズアップされ、田中上奏文が大写しになった。その表紙には「世界帝国への日本の野望」と書かれ、日本が中国、オーストラリアなどを征服し、最後には米国に魔手を延ばすという説明が続いていた。

この「田中上奏文」は、事実関係に整合性がない、偽文書であることが判明している。最初に中国語で、中国で広められた。しかし、アメリカでは、今でも事実とされている。

この映画は、陸軍省が兵士の戦意向上のために作成したものであったが、ルーズベルトが、ホワイトハウスの映写室でこの映画を見ると、一般公開を命じた。
ジョン・ダワーによると、この映画は、ハリウッドの戦争活動委員会から全米に配信され、終戦までの1年余りの間に400館以上の映画館で上映され、日本の侵略国家のイメージを植え付け、それが東京裁判へと連なっていた。


***コミンテルンの米国・ルーズベルト政権への浸透

不況に陥ると、ルーズベルト大統領は、社会主義的なニューディール政策を採用した。自由競争が過剰生産を招くと価格統制などの計画経済を推進し、また失業者を救済するために大企業を締め付けて社会の公平を目的とした政策を推進した。

このようなことから、ニューディールは「ファシスト運動か」とか、「共産主義運動か」と云われるほど、米国産業界は自由競争から統制経済へと転換され、共産主義への警戒心が薄れた。
特にエレノア・ルーズベルト夫人などは、貧者救済に熱心なことから共産党と深く関わり、世界学生大会でソ連の残酷なリトアニア併合を訴えようとした学生の発表を阻止し、共産党・全米書記長アール・アール・ブラウダーの釈放に動いた。

また、ルーズベルト自身も、エレノア夫人によれば、「米国も戦後は社会主義的な国になり、ソ連と立場を同じくする」と話すなど容共的であった。
このため、ルーズベルトが大統領となると、周囲の反対を排してソ連を承認するなど、容共的政策を実施したため、ニューディール左派の知識人などが共産党に入党し、30年には7500人に過ぎなかった党員が38年には7万に増加した。

この結果、ニューディール政策を推進したルーズベルト政権には多数の共産主義者が採用された。それは、単に政府職員にとどまらず、側近ナンバーツウのハリー・ホプキンズ、大統領補佐官ロークリン・カリー、国務省のアルジャー・ヒス、財務省のハリー・ホワイト、など200名近い共産主義者やシンパであった。
彼らは、ソ連に情報を提供しただけでなく、ルーズベルトの政策に影響を与えていたことが96年に公開されベノラ(VENONA)文書(ソ連公館やアジトとモスクワとの通信傍受文書)から明らかにされた。

この傍受電報によると、大統領補佐官ホプキンスは、GPU(KGBの前身)の米国責任者イサク・アフメーロフに貴重な情報を提供し、モスクワでは「役立つ間抜け」と云われていた。
また、ヤルタ協定の原案を作成したヒスは、暗号名「アリス」と呼ばれ、ルーズベルトトルーマン政権内の情報を流し続けた。
彼は、ヤルタ会談時にソ連政府から勲章を授与されたが、49年にスパイ行為が発覚し逮捕された。しかい、スパイ罪の時効が10年であったためスパイ罪は適用されず、偽証罪実刑5年の判決を受けた。

また、上院議員で歴史家のハルミトン・フィィッシャーやロマーシュタイ研究員によれば、「ハルノート」の原典となった「ホワイト案」を示唆したのは、財務長官補佐官で戦後に国際通貨基金IMF)の米国代表に指名され、初代理事長にまで栄達したリトアニア出身の共産党員ハリー・ホワイトであった。
ホワイトは、国家保安・人民委員部の在米責任者ボリス・バイコフ大佐の指揮下の工作員で、48年の夏に下院の非米活動委員会に喚問されると、その3日後に大量のジキタリスを服用し自殺した。

KGB退役中将ヴィタリー・パヴロフは、96年に『スノー作戦』をモスクワで出版した。
その中で、日本に厳しい最後通牒を突きつけるアイデアは、内務人民委員部で生まれ、ラブレンティ・ベリア長官の了承を得て実施され、ホワイトにちなんで「雪作戦」と命名され「作戦は見事に成功し」たと書いている。
終戦2ヶ月前の45年6月に中国を支援するために創刊した『今日の中国』の後継誌『アメレジア』の編集長以下6名がソ連のスパイとして逮捕された。

一方、東京でゾルゲの連絡係であった中国共産党員の陳翰笙は、36年にコミンテルンの指示で米国に渡り、太平洋問題調査会の機関誌『Pacific Affairs』の編集をラティモアの下で手伝っていた。彼は、その後にルーズベルト政権のカリー中国問題・特別補佐官の推薦で、蒋介石政権の経済顧問となった。しかし、49年に中華人民共和国が成立すると、毛沢東の元に走り、共産党の秘密工作員であったことを告白し英雄となった。

ラテモアが共産党員あるいはスパイということは確定されなかったが、カリーの推薦で蒋介石の特別顧問、さらには米国戦略局の極東担当者となり、天皇一家を中国へ引き渡すことを主張するなど、日本の占領政策形成に大きな影響を与えた。
彼は、その後、ジョン・ホプキンス大学の教授となった。しかし、上院の非米委員会に喚問され、その後にリーズ大学の教授となって米国を去った。


***近衛文麿ルーズヴェルトも、周囲を共産主義者たちが取り巻いた

国別に、共産主義者たちの行動を見れば、
アメリカでは、ルーズベルトの英国を救いたい、次いでソ連を助けたい、という気持ちに付け込んだ。
「ピンカーズ(ピンク色の連中という共産主義者やシンパ)」が容共的なルーズベルト政権に潜り込み、親中国的で海軍主義者のローズベルトやコーデル・ハル国務長官、対日強硬者スチムソン陸軍長官などを操り、日米開戦への「裏口参戦」の陰謀を推進した。

モンロー大統領は、1822年に、米国が欧州の問題に関与しない代りに、欧州諸国も「米大陸には関与させない」という宣言を議会で表明した。
アメリカ大陸を海外諸国から守ること、保護主義、これがモンロー主義の原点である。
しかし、アメリカが強国になり、パナマ地帯を作り始めると、カリブ海パナマ運河が完成すると太平洋岸、さらにハワイ、フィリピン、そして中国へと、モンロー主義の適用範囲は、拡大して行った。

モンロー主義は、保護主義から、覇権主義に転換した。
モンロー宣言や門戸開放宣言を米国の国是とし、自国の都合で列国を従わすには、タフト大統領の「われらの権利を擁護し、われらの利益を防衛し、かつ国際事件におけるわれらの権力を行使するには、強大なる海軍を維持しなければならない」との言葉どおり、強力な海軍が必要であった。
特に列国の利益がからむ中国に対する門戸開放・機会均等のヘイ・ドクトリンを推進するためには、攻勢的海軍が必要であった。

一方、日本では、日本を欧米諸国から守るために、近衛の日本を革新したい、そして挙国一致体制を築きたい、という気持ちを逆手に取った。
尾崎秀実などの共産主義者たちが、近衛首相や革新軍人や官僚を操って、「南進・対米開戦」へと仕向けた。
これに加え、日本には米国の日本人に対する黄禍論が加わった。

レオン・トロッキーは、「日本を打倒するには、米ソ両白色人種が協力しなければならない。
いかに日本が固い殻にこもっていても、白色人種の米ソ両国が協力しクルミ割りのテコのように、両方から圧縮すれば押し割ることができる」と、共産主義を忌避する米国人に人種問題をからめ、米ソ協力を説いた。

長期的に見るならば、日米は、コミンテルンの「資本主義国同士を戦わせ共倒れさせる」という陰謀に踊らされ、戦った。
そして、トロツキーの言葉どおり、日本は、米国の「海軍モンロー覇権主義」と人種的偏見、世界共産化というコミンテルンソ連)に挟撃されて、敗北した。


***アメリカの共産主義者たちが、GHQの構成員として来日した

日本が敗北すると、国家安全保障会議は、ダグラス・マッカーサー連合軍司令官に、「日本占領後の初期対日政策」を指示した。
日本が再び米国や連合国の脅威にならないように、武器だけでなく精神的な武装解除を行うことを命じた。

この日本の精神的武装解除を推進したのが、ニューディール左派の「ピンカーズ」たちであった。
日本にとって不幸なことは、ルーズベルトが、共産主義を民主主義の一変形と誤解し、政権に共産主義者の「ピンカーズ」を多数採用していたことだ。
ルーズベルトが日本の敗戦直前に死去したため、職を失った「ピンカーズ」達が、占領軍司令部の民政局員などとして来日した。
彼らは、民主化という美名のもとに、社会主義国家日本を作ろうと、米国で叶えられなかった夢の実現に情熱を傾けた。

連合軍司令部では、民政局長ホイットニー少将、チャールズ・ケーディス大佐などの民政局が、新憲法の起案をはじめ、公職追放から財閥解体や政党間の離合集散に至るまで、日本の国内政治に介入し革新政権を誕生させようと動いた。
また、民間・情報教育・局長ケン・ダイク准将は、治安維持法の撤廃、神道指令の発出、教育基本法の制定、皇室典範の改訂、天皇人間宣言の草案などを作成し、日本の左傾化や国家解体を強行した。
延安で日本共産党野坂参三と日本の今後の政体を語り合い、野坂が中国から帰国すると、「まるで英雄のように迎えた」。

対敵防諜部長のエリオット・ソープ准将は、梨本宮を逮捕し、投獄中のすべての共産主義者ゾルゲの通信を担当していたマックス・クラウゼンまで保釈した。
また、GHQ民政局は、日本を総て悪者とする『太平洋戦争史』を作成し、主要新聞への掲載や、「真相はこうだ」などのラジオ放送を強制した。反論は検閲や公職追放令で封じ、5年間の占領時代に、日本の戦争は総て悪かったとの「懺悔史観」を刷り込んでいった。

世界革命を夢見て日本を大東亜戦争に誘導し、国を売ってソ連に情報を送り、日本に悲惨な敗戦をもたらした尾崎秀実は、反戦運動や反体制運動の英雄とされた。
2003年には、尾崎を平和の戦士と称える映画が作られ、多摩のゾルゲの墓には「戦争に反対し世界平和のために生命を捧げた勇士ここに眠る」と書かれている。
また、米国では引き受ける出版社がなかった、スメドレーの朱徳将軍の伝記『偉大なる道』は、岩波文庫が引き受け、世界で初めて出版された。
さらに石垣綾子は、『回想のスメドレー』を書き、スメドレーを言論弾圧に立ち向かった勇気ある女性と称えた。

在ることが、無いことにされた。白を黒ということが戦後の常識とされた。
祖国日本が復興、再生するためには、コミンテルンの歴史と日本の歴史を突き合わせ、病巣を解明する必要がある。
道中には、険しい山や谷だけでなく、強力な妨害者が待ち受けている。


***先人達の本当の姿を知ろう。東京裁判を疑え!

日本解体の最終劇は東京裁判であった。
裁判の冒頭陳述で、ジョセフ・キーナン検事は、日本の指導者は満州事変以来、世界征服の「共同謀議」により侵略戦争を行ったと、田中上奏文に沿って裁判を進めた。
東洋史を知らない、法律の素人である裁判官は、第二次大戦にいたる日本の行為は、総て日本の野望達成への一環だったと、スノーなどが広めた偽の田中上奏文のイメージで裁いた。

この「田中上奏文」なる文書は、まず中国において、中国文で「日本による中国征服・世界征服のマスタープラン」として流布された。
この「田中上奏文」は偽文書である。詳細は、稲生典太郎氏「田中上奏文をめぐる二三の問題」(日本国際政治学会編『日本外交史の諸問題』収録・昭和三十八年)を参照。

この裁判で、日本の正義を堂々と主張し、昭和天皇を守ったのは東条総理1人であった。
占領軍は、「日本の侵略と超国家主義を正当化しようとしている分子のあいだに、東条は自分の立場を堂々と説得力を以て陳述したので、その勇気を国民に賞賛されるべきだという気運が高まりつつある。この分で行けば東条処刑の暁には殉国の志士になりかねない」と、危機感を高めた。
そして、「今一度繰り返し日本人に日本が無法な侵略を行った歴史、特に極東において日本軍の行った残虐行為について自覚させるべきだ」と、48年2月には、日本人に贖罪意識を植え込むための「贖罪意識・教育計画(War Guilt Information Program)」の第3段階が開始された。

この贖罪意識・教育計画では、占領政策のテクニックから国民と軍閥を分離し、総て軍閥が悪いと、悪者の代表として東条への攻撃を集中し、東条は昭和天皇の誕生日に絞首台に送られた。
この贖罪意識を擦り込まれた東京裁判史観は、教科書として採用され、さらに中国や韓国に外交上の「歴史カード」として効果を発揮している。

一方、ニューディール派「ピンカーズ」による日本の左傾化に歯止めをかけ、共産主義者やシンパの危険性を指摘したのは、三田村武夫の『戦争と共産主義』の英訳本であった。
本書でゾルゲ事件を知ると、情報部長チャールズ・ウィロビー少将は、46年初頭にゾルゲ事件の第1報を、47年12月には「ゾルゲ諜報団―極東に於ける国際陰謀の実例研究」をワシントンに送った。
しかし、この報告書から、上海でゾルゲを尾崎に紹介したアグネス・スメドレーがスパイとして報じられると、スメドレーは、報告を発表した国防省や報告書を送ったマッカーサー名誉毀損で告訴すると猛反発した。

このスメドレーの抗議に、ニューディール派やニューヨークタイムズ、さらには1946年まで国務長官であったハロルド・イッケスまでもが、「スメドレー女史を知っている者なら、だれ1人として、この勇気ある知的なアメリカ市民が、どの国のためだろうと、……たとへ最愛の祖国アメリカのためだろうと、…スパイ行為をするほど下劣になりうるとは考えられない」などと支持したため、報告書を公表したケネス・ローヤル陸軍長官は謝罪した。

しかし、アグネス・スメドレーは、1950年5月6日に非米活動委員会から召喚されると、奇妙な一致ではあるが、その日の夕刻に手術が失敗し急逝した。
遺書には「私は米国のファシズムを呪い、米国の国会、軍事力、そのほかあらゆる官僚代表に向かって、祟りあれと唇にしながら死にます」。としながらも、総ての財産と遺骨を朝鮮で米軍と交戦中の中国人民軍・最高司令官・朱徳に届け、財産は「自由で強力な中国の建設に役立つことになります」。「遺骨は中国革命のために倒れた人々とともに埋葬されることを願います」と書かれていた。

さらにウィロビーは、1947年4月23日には、「総司令部への左翼主義者の浸透状況」という報告書を提出し、占領軍司令部内に多数の「ピンキー」がいることを明らかにし、徐々にニューディール派が排除されていった。

このように、日本はウイロビーや冷戦の激化に助けられ、共産主義国家となることから救われた。
しかし、現在も日米ともにニューディラー派の歴史観が強く、
米国では、ソ連のスパイとして5年の刑を受けたヒスを、民主党や『ニューヨークタイムズ』などの新聞は、「反共主義と戦ったリベラルの英雄」とした。
日本でも、「共産党員だとの噂も流れたダイクは、民政局長ケーディスと共に、GHQで最もリベラルな人物だったといわれ、日本の民主化の基礎づくりの上で大きい役割を果たした」と称えられている。

そして、48年にケーディスが帰国すると、「かれの離日は改革派の低落をいよいよはっきりさせる。日本は『逆コース』の時期にはいるのである」。「反共の国内体制のための心理的準備はこうして着々とととのえられ、アメリカが偉大な自由の伝統を自ら骨抜きにし、城塞国家の病的なメカニズムに自らの運命を任してゆく一コマがここに見えるのである」と書かれた。

祖国日本は、コミンテルンの影響が解明されないために、出口が分からずに、彷徨っている。


***日本を制圧するのは簡単?

今、日本人には、国防の義務がない。兵役の義務がない。
日本国籍を取得した外国人には、日本を守る義務がない。
スパイでなくても、日本から、逃げ出すことが可能だ。日本を裏切ることができる。
日本国憲法の最大の欠陥は、ここにある。憲法第9条の改正ではカバーできない。
縄文以来の日本国民の比重が下がれば、一層、危険に晒されることになる。

国籍は、その全員を、潜在的な兵士にする。
ある国に国籍を有すると、その国の「国防の義務」を負う。
国籍を日本に移しても、心情的に、母国の「潜在的兵士」であることも可能だ。
他国の国籍を、意図的に、取得することもある。
日本を滅ぼし、あるいは日本国内に独立国を立ち上げ、
その後で、その国へ国籍を移せば良い、だけのことだ。
それは、日本の分断、壊滅を、意味する。日本への裏切り行為だ。
金や土地だけ、ちゃっかり、頂けばいいのだ。
仮に日本が小国として生き残ったとしても、
常に紛争と侵攻の脅威にさらされ、打ち震え、疲弊しなければならない。
二重国籍者が国民を代表する政治家になる。
海外から渡来した者が日本国内で反日の政治活動をする。等々。
もはや日本は法治国家ではない。一体感のある国民意識も分断されてきた。

だからこそ、力をつけた怪物は、その巨大に膨らんだ姿を現し始めた。
身動きできる範囲を拡張するために。
抑えきれないほど内部に蓄積したストレスを発散するために。
そして、かつての覇権国に代わって出現した新たな覇権主義国は、大東亜に進出して、
巧妙で狡猾に、騙し討ち、居座り続ける戦術で、植民地政策を取り始めた。
血を流さない代わりに、国力を削ぎ、国民の血税を大量に流させて。
また他国の領土を、事実上も、実質的にも、手中に収めて。
更には、海底に横たわる、豊富な鉱物資源を狙っている。
金や色仕掛け、手練手管を駆使して、罠にかけて。
教育やメディア等、官僚、国や地方の議員を操って。
日本に対しても、国内を分断する、その準備が整い始めた、と判断した。


***日本を襲う深刻な危機

今、日本を消滅させかねない、深刻な事態が起きている。
「移民受け入れ」だ。紛争の種となる、特殊な部落を新たに作るようなものだ。
血税を、国民ではなく外国人に、長期的に、大量に、注ぎ込もうとしている。
国内を細分化し、治安を悪化させ、国家を滅ぼそうとしている。
また、日本人から最小限の武器である、言論の自由を取り上げるのは、
ヘイトスピーチ対策法」だ。外国人及び在日外国人を治外法権にする。
日本の中に外国人のための政府や国家を作る準備を開始した。
更に、日本国家の成長を妨げるのは、プライマリーバランスという、誤魔化しだ。
国家予算は国民生活を賄うために支出しているわけではない。
国民は自ら収入を得て生活している。だからこそ徴税も可能になる。

財務省は、そのウェブで、
基礎的財政収支(プライマリー・バランス)とは、税収・税外収入と、国債費(国債の元本返済や利子の支払いにあてられる費用)を除く歳出との収支のことを表し、その時点で必要とされる政策的経費を、その時点の税収等でどれだけまかなえているかを示す指標となっています」とする。
プライマリー・バランスを維持するために、
国家と国民を困窮させることは言語道断。倒錯の世界だ。
「政策的経費」は、その時点で必要な、「必要経費」ではない。
国民のために政府はある。数字合わせのために、政府はいらない。

また、政府の財政政策を規定した、財政法の第4条は改正すべきだ。
財政法第4条には、次のように書いてある。
第四条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
 
つまり、国による国債の発行は、原則として禁止される。
発行できる国債が極端に制限されている。福祉、教育、文化等の財源を国債で賄うことはできない。
つまり、政府の緊縮財政を規定している。
この点について、起案者の平井平治氏(当時、大蔵省主計局法規課長)は、【財政法逐条解説、1947年】で、次のように述べている。
「戦争危険の防止については、戦争と公債がいかに密接不離の関係にあるかは、各国の歴史をひもとくまでもなく、わが国の歴史をみても公債なくして戦争の計画遂行の不可能であったことを考察すれば明らかである、……公債のないところに戦争はないと断言しうるのである、従って、本条(財政法第4条)はまた憲法戦争放棄の規定を裏書き保証せんとするものであるともいいうる」

ここには、財政が、国家と国民の利益のためにあることを否定、乃至、抑制する思想がある。
「戦争危険の防止」の名のもとに、国家の経済が成長し、国民生活が豊かになることを、妨害している。
これは、財政法が、国家と国民に、窮乏を強制するものだ。
財政の現実を見ても、福祉、教育、文化等の歳出が大半を占めている。
財政法4条は、国家を成長させ、国民生活の向上を促進できるものに、改正しなければならない。

国家に通貨発行権があり、借り入れを自国内に留めるならば、
「国家財政に財源という制約がない」。「課税によって財源を確保する必要はない」。
そういう意味で「財政赤字を心配しなくてよい」。
財源は、国家の通貨発行権だ。政府は、打出の小槌を持っている。
財源が、借金や利子付きの債務貨幣であるとき、大儲けできるのは、株式会社の日銀だ。
財源を、借金や利子の無い公共貨幣に限定するなら、
「財政は、赤字が正常で、黒字のほうが異常。むしろ、どんどん財政拡大すべき」だ。
財政の赤字で、国民の財布を黒字にしなければならない。
財政が赤字でも、対外的な支出の増加では、国民の財布は黒字にならない。
財政が黒字になると、国民の財布は赤字になる。

国民の生活と国家の成長のためには、財政を赤字にしなければならない。
しかし、「金は天下の回り物」。貨幣は、国家を滋養するための血液だ。
血液が正常に循環しないと、国家は衰退する。
デフレでは、貨幣は、健康的に循環しない。
要するに、国民の財布を黒字にして、それが上手く流動するような政策をとることだ。
地震対策、津波対策、治山治水の施策を拡充しなければならない。
古いインフラを更新し、整備を拡張しなければならない。
地方を連結する交通網や離島の整備など、国土を充実する公共事業を展開することだ。
それが、政府が国民のために努力している証明になる。
金利は一人歩きしない。課税も金利も政策で動く。
インフレは、課税負荷や金利などで、調節できる。
今、問題なのはデフレだ。インフレは、行き過ぎないなら、むしろ歓迎すべきだ。


***貨幣は、無から、創造される

イングランド銀行は、四季報で、銀行がお金が作っていることを、明かした。
表題は、「現代の経済における貨幣創造(Money creation in the modern economy)」。
この記事の概要(要約抜粋)によれば、

【現代の経済では、ほとんどの貨幣は、銀行預金の形をとる。
しかし、それらの銀行預金が、どのように作成されるかは、しばしば誤解されている。
お金を作る主要な方法は、市中銀行が貸し付けをすることによって、なのだ。
銀行が貸し付けをする時には、常に、銀行は、借り手の銀行口座に、同額の預金を、同時に作り出す。そのようにして、新しいお金を、作るのだ。
お金が、今日、どのようにして作成されるかの現実は、いくつかの経済学教科書にある記述とは、異なる。
家計が貯蓄する時に、銀行が預金を受け取り、それを貸し出していると言うより、むしろ銀行の貸し付けが、預金を作り出しているのだ。】
以上
無から有は生じる。
お金は、銀行によって、無から生み出される。
銀行の貸付は、正真正銘の、錬金術である。


***国民生活を豊かにするために、デフレからの脱却に必要なのは、技術だ!!

国民に、若者に、必要なものは、不安からの解放、見通しできる将来、それは、希望だ。
そのために必要なものは、デフレから脱却するための、具体的な、技術だ。
冗漫で無意味な議論を展開する、修辞学や弁論学に落ちた、経済学などの知識ではない。
今、必要なのは、賢者の知恵であり、具体的な、手法だ。
2009年 06月 12日の
丹羽春喜氏の【「政府紙幣」についての基本的Q&A】(要約抜粋)によれば、
Q ── 「政府貨幣・政府紙幣」発行権とは?
A: 私たちが普段使っているお金のうち、「お札」つまり日銀券は、日本銀行の発行ですが、コインは、日銀ではなく、政府が出している、「政府貨幣」です。
政府紙幣」もこれに含まれます。
「日銀券」と「政府貨幣・政府紙幣」とでは、大きな違いがあります。
日銀券は銀行券ですから、日銀という銀行が振り出した手形と同じ、借金の証文です。
ですから、日銀券が発行されると、日銀の会計では、その額だけ、日銀の借金(負債)が増えたという勘定になります。
ところが、「政府貨幣」「政府紙幣」の発行額は、政府の負債にはなりません。
コインや政府紙幣の発行益(「造幣益」)は、国家財政の、正真正銘の、収入となります。
利息の支払いや担保は不要、返済も不要です。
国民にも負担をかけずに、巨額の財政財源が得られます。
しかも、この「政府貨幣・政府紙幣」発行権は、無制限に認められていて、数百兆円、数千兆円の発行も可能です。
つまり、国は、無限大の貨幣発行特権という、無形金融資産の「打ち出の小槌」を持っているのです。
Q ── この「打ち出の小槌」は法的に認められているか?
A: 現行法「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年、法律第42号)で、明白に、認められている。
ですから、現在の危機を突破するためには、今こそ、「政府紙幣」を発行し始めるべきです。
しかし、日銀券と政府紙幣を併行的に流通させることについては、「社会的な混乱をもたらす危険がある!」とする反対論が根強い。
ですから、「政府紙幣」でなく、「政府貨幣の発行特権」のうち、必要額の権利を、政府が日銀に売るという方式にすればよい。
その代金も、日銀が、電子信号で、それだけの金額を、政府の口座に振り込んだことにするだけでよい。紙幣を刷りまくる必要などはない。
このやり方で、政府は、容易に、巨額の財政資金を得ることができます。
Q ── 日銀は、それでOKか?
A: 日銀法(日本銀行法)の第4条では、日銀が、常に、政府の経済政策の基本方針に、忠実に、従うべきことを義務づけています。
ですから、総理大臣および財務大臣が、日銀法の第43条と第38条の発動という、政府の経済政策に不可欠であるとして、財政財源調達方式への協力を、日銀に要請した場合には、日銀がそれを拒否することは、日銀法に違反します。
Q ── 「国の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」を、どう使えばよいか?
A: この「打ち出の小槌」を利用することになれば、国家財政バランスでの黒字、赤字などということは、無意味になります。
したがって、国債の新規発行などは全く行なわずに、「打ち出の小槌」をフルに活用して、これまでの政府負債をどんどん償還していくとともに、大規模な内需拡大型の財政政策を発動し、日本経済をめざましく興隆させていけばよいのです。
Q ── 内閣の経済政策については、どう考えるべきか?
A: 今、もしも内閣が、「国の貨幣発行特権」による「打ち出の小槌」をフルに活用した、財政出動による、大規模な、ケインズ的な内需拡大政策の断行をすることは、わが国の経済を輝かしい繁栄と高度成長の軌道に乗せることになります。
自然環境の改善、所得格差の縮小、学術・芸術の振興、防衛力の整備、等々の施策を行うことができます。
「打ち出の小槌」を活用すれば、こういった政策を、きわめて容易かつ安全確実に、実施できるのです。
しかし、それを、やってくれそうにありません。
このままでは、日本経済は絶望的に停滞・衰退を続けるのみ!
以上

 

***地方も都市も、補完、共存し、同じ日本国民として、公平に社会的便宜を享受するために

東海道新幹線開業50周年を迎えて-建設参加一土木技術者の回想-(2014.7.24)】によれば、
 (要約抜粋)
2.着工決定当時の状況
朝日新聞は、昭和33(1958)年に、鉄道ファンで作家の阿川弘之氏(エッセイスト阿川佐和子氏の父)が、「新幹線建設には疑問をもっている。『世界の三バカ(万里の長城・ピラミッド・戦艦大和)』にならないように、専門家たちの再検討を願いたい」と書いたものを載せた。また朝日新聞社自らも「これからは自動車の時代になり、鉄道は斜陽なのに、そんなものを作って何になるのか」と、終始、東海道新幹線の建設に反対してきた。
しかし、東海道、山陽、東北などの新幹線は、社会の発展に大変寄与した。そればかりではなく、環境にやさしく、省エネに優れ、安全、確実な大量交通機関として、世界に大きな刺激を与えた。
後に、阿川弘之氏は、昭和44(1969)年8月号の月刊誌「諸君」で、開業時の国鉄総裁・石田礼助と対談し、「ケチをつけたが、見当ちがいで、磯崎さん(第6代国鉄総裁)にお詫びしておきました」と話している。
しかし、朝日新聞はその不明をこれまで一言も詫びていない。この最初の反省もないまま、性懲りもなく、新幹線の建設反対を今も主張している。
なお、一部に高度成長期には、新幹線などの社会資本整備には現在ほど抵抗はなかったと指摘する向きもあるようだが、何時の時代も朝日新聞を代表とした、多くのマスコミは公共事業不要論を繰り返している。
 
3.東海道新幹線建設に公費が投じられたのか(今後への提言を含めて)?
東海道新幹線には、公費は投じられていない。新幹線への公費の投入(それも全部ではない)は、整備新幹線北陸新幹線長野新幹線)以降である。それまでの建設資金は国鉄の自己資金と借金(世界銀行借款と財政投融資)のみであった。
国鉄時代から国会で予算が審議され、議決されていたので、大蔵省の管轄下にあった。そのため、純粋な意味での国費が投入されていたと、多くの人は誤解している。
現在、整備新幹線建設の財源については、JRへの貸付料収入と、これを差し引いた残りの部分について、国が3分の2、地方自治体が3分の1を負担することとしている。
国費が投入されるのは当然であるが、本来、国の施策として新幹線は建設されるべきである。
地方に負担させるのは間違っている。さらに、並行在来線を地方の第三セクターに移管するのも間違っている。
しかも信越線の横川-軽井沢間は、運賃収入より 100倍以上の経費が掛かり、JR東日本から新幹線建設への前提条件とされていたこともあって、廃線になった。
このような短絡的な視点から、廃線にしたのは大間違いである。
今からでも遅くはない。国の責任で復活させるべきである。

一般に、新幹線の採算性については、利用料金によって建設費と運営費を賄うことが前提で考えられている。実は、この考え方が根本的に間違っている。
高速道路もそうであるが、新幹線のような社会資本施設は、単に利用料金で評価されるものを遥かに超えた便益を社会にもたらす。したがって、利用料金のみで採算を評価するのは適切ではない。
また、JRの在来線は、地域の生活に密着した、欠かせない社会資本施設である。
したがって、新幹線とJRの在来線も必要な社会資本施設という、総合的で国家的な観点から、その整備と存続が考えられなくてはならない。

そもそも、多くの道路や鉄道などの社会資本と呼ばれるものは、営利企業に委ねていては整備されないが、国民にとって必要不可欠なものである。この観点が欠けた議論は出発点で間違っている。
社会資本施設は、総合的で、国家的見地から考えなければならない。
なお、公平の原則については、住む地域によって若干の差が出るのは避けられないが、主要な社会資本施設の整備は、なるべく地域によって差が生じないようにすべきである。
その意味から、整備新幹線以前の東海道・山陽・東北(盛岡まで)になかった、並行在来線のJRからの経営分離という条件を付与するのはやり過ぎである。
そうでなくても、建設費の一部負担を地方自治体に、整備新幹線では付与している。それでも、かなり無理強いになっている。
要は、国民経済的観点から、在来線と整備新幹線の必要性を議論すべきで、料金収入での経済性とか地方のエゴだという、的外れの議論に惑わされ、国の施策を誤ってはならない。
地方も都市も、お互いに補完しあって共存し、同じ日本国民であれば、できるだけ公平に社会的便宜を享受できるようにすべきである。
 
4.世銀借款の本当の目的は?
世銀からの融資を受ける段階では、総工費は1,725億円(車両費100億を含む)に建設中の利子年7分を合算して、1,948億円であった。実際の世銀からの借款額は、僅かに8千万ドル。1ドル360円換算で288億円で、一般に思われているように、資金不足で世銀から借り受けたのではない。
外国との引っ掛りを作って、外部から日本政府をしばらせ、政権の交代や国の政策変更などで、工事予算の削減あるいは最悪の場合、建設費の全面的な打切りにもなりかねないことに歯止めをかけるために、日本政府と世界銀行との間に「日本政府は、世界銀行借款による新幹線の建設に対し、行政上・財政上・資金上あらゆる面での援助を保証する」との保証協約を取り付けるという、当時(昭和34(1959)年)の佐藤栄作・大蔵大臣の戦略があった。
以上


***国際金融資本と手を組み、日本の政府要人は利権にまみれてきた?

【証言記録 国鉄新幹線】(元国鉄修史課嘱託 柳井潔著 昭和60年刊 、要約抜粋)によると、
2 世銀借款と佐藤栄作の知恵
十河総裁の断で、東海道新幹線の建設計画は決まった。
しかし、世界銀行の借款は、戦後における後進国の産業復興と、開発を目的に創設されたもので、いまだ世界に例を見ない超高速鉄道建設のための融資が、果たして対象となるかどうかが疑問だった。
中には、この程度の資金なら国内でどうにか捻出できよう。雁字搦めの条件つきで、ハシタガネの外資導入でもあるまい、との意見も出た。
すなわち、世銀から借款を受けた場合、線路の敷設工事はもちろん、車両類の製作購入に至るまで、一切を国際入札に付し、殊に建設工事については、作業工程やそのできばえをチエックする等、やかましい制約があった。
こうしたことは、勢い工事の進行を阻害し、結果的には予定の工期までに竣功できないという危惧もあった。
だが一方、国際借款を得ることによってもたらされる、国内の政治的な意味も含めて、建設計画の推進には、プラスする面も多いとして、借款導入のための積極的な姿勢がとられた。
この陰には蔵相・佐藤栄作の入れ知恵があった。

大蔵省から、国鉄経理・担当理事の兼松学に電話がかかったのは、昭和34年7月初句のことである。
秘書官の案内で部屋に入ると、そこには大蔵大臣・佐藤栄作の顔があった。
大臣は、これは俺の腹案だがと前置きし、まず世界銀行から金を借りること。この場合、金額は幾らでもよい。
100万ドルでも結構。要するに外国との引っ掛りを作って、外部から日本政府をしばらせることだ。
すなわち、今仮りに我が党内閣が”新幹線建設、出発進行”とゴー・サインを出したところで、工期が5年6年と長期にわたると、この間、政権の交替や国の政策変更などで、工事予算の削減あるいは最悪の場合、建設費の全面的な打切りにもなりかねない。
これに歯止めをかけるためには、日本政府と世界銀行との間に「日本政府は、世界銀行借款による新幹線の建設に対し、行政上・財政上・資金上あらゆる面での援助を保証する」との保証協約を取り付けることだ。
これが、日出づる国の知者、佐藤栄作の基本的な考え方だった。
以上。
日本の政府要人は、国際金融資本の代理人であった。


***日本の国家と国民が危ない

国会議員や地方議会議員が平気で嘘をつく。
政党や官僚が、国民を欺くために、様々に誤魔化しを行っている。
資料を書き換える。資料を意図的に処分するなど。
国民の代表者としての立場を利用して利権を漁っている。
日本の国家と国民を、他国や多国籍企業に、売り渡そうとしている。

日本はまだ、戦後の混沌を引きずったままで、脱出できずに、蠢いている。
日本国家の要職は、まだ、国益と国民を第一に考えるものの手に、取り戻されてはいない。
度重なる震災の復興だけでなく、戦後の復興も、まだまだ不十分だ。
先人たちに比べて、日本の独立の精神、サムライの魂は、まだ未成熟だ。

労働力の不足など、さして問題ではない。
安易な手段に飛びついたら危険が待っている。
むしろ、これを、絶好の機会にしなければならない。
国家と国民の利益を一顧だにしない、弁舌に巧みな、
ただ安価な労働力を利用して、利権を手に入れようと企む連中の、罠に嵌まってはならない。
外国人の受け入れは、単に就労の問題にとどまらない。
国民の安全、地域の安定、教育や社会保障、国籍の付与、政治参加の問題等を含めた、
日本を根幹から揺るがす、日本の財産と税金を食いつぶす、多次元の問題である。

苦しい時ほど、じっと耐え、知恵を絞れば、きっと良い考えも生まれる。
今こそ「助け合い」の精神が必要だ。それを先人たちに学ばなければならない。
問題の解決は、個人で抱え込まずに、同じような状況にある方々や見識のある方々、
そして若く柔軟な思考を持つ後進の知恵を生かすことだ。
打てば必ずや響いてくれる。日本人の若いエネルギーの可能性に賭けることだ。
老いた者も、年長者も、これに負けてはいけない。

何よりも危険なことは、
日本の歴史と伝統を抹殺しようと企てていることだ。
日本の食が危ない。米、大豆、麦の栽培権が取り上げられた。
それを可能とするのが、種子法の廃止だ。TPPだ。
遺伝子組み換え、遺伝子を編集した米、大豆、麦の栽培が強制されようとしている。
これを許したら、「医食同源」は否定され、「病食同源」が当たり前になる。
誰のために、何を目的に、遺伝子を組み替える必要があるのか。
日本国民にとって、遺伝子を編集する必要は全くない。それが強制される道理もない。
莫大な利益の源泉は、アヘンを含む有害な薬剤・一般になった。
人道に反する犯罪が、民間の活力の名のもとに、正当化されようとしている。
種の保存も、種子の改良権も、栽培権も、取り戻さなければならない。
日本は、世界一の愚民になってはならない。
日本列島が墓場にされようとしている。永遠に、日本人の種が立ち上がれないように。

 


***超危険!! TPPに盛り込まれたISDS(投資家・対国家・紛争解決)条項

ISDSについては、TPP協定第九章第十六条に明記。
海外からの投資に関して、内外無差別、正当な補償なしに収用をしないなど、TPP協定いわゆる第九章の投資章に規定されている義務に国が違反して投資家が損害を受けた場合に仲裁廷に損害賠償又は原状回復のみを求める訴えを提起できる。
日本政府は、「これらの義務は、環境や健康などの正当な目的のために各国が必要かつ合理的な規制を差別的でない形で行うことを妨げるものではない、また、我が国が必要な例外規定や留保を置くことにより国内法との整合を図っている」と述べている。
これは、片務的・不平等・条約だ。国家の主権を侵害し、国家と国民の安全と生存を脅かす。
多国籍企業の利益が、各国の主権に優先する。国家の多様性を否定する。

遺伝子編集も、薬物汚染も、病原の感染も、その他あらゆることが、訴訟の材料になる。
多国籍企業は、投資を口実に、日本の国家と国民の利益を侵害することが可能になった。
多国籍企業は、日本と日本国民のご主人様になる。
日本政府の言い分には、道理がない。
例外規定や留保を規定したことが、危険な条項であることを、既に物語っている。
それらは、二国間の協議で無効化できる。
TPPから離脱するか、ISDS条項そのものを削除しなければならない。
国家の主権と国民の利益が優先されなければならない。
食物の種子や薬品、JA共済が、あらゆる資産が対象になる。農業も企業も衰退する。

ISDS条項は、多種・多様性の否定。独立、対等、共存共栄の否定。自由と民主主義の否定。
各国の歴史と伝統の否定。悪魔的な白人至上主義の追及。等々。
これらの願望が見え隠れしている。この動きは、人類の破滅を加速させる。
このまま進めば、エリートの中にも軋轢が生じ、対立と闘争が発生する。
周囲に残るのは、荒廃した大地と汚染した海洋、無価値な貨幣とロボット。
エリートたちは、地球からの脱出さえ研究している。宇宙を植民地にする計画だ。
自由は、不自由のことを意味していた。厭き厭きする生活しか残らなかった。
楽しく豊かな生活とは、多様な人々と動物や虫、植物や自然に囲まれていることだった。
それは、非効率だけがもたらした。神が存在する前に宇宙と自然があった。

TPPに盛り込まれたISDS(投資家・対国家・紛争解決)条項は、国家間の基本原則を、突き破るために生み出された、謀略的、詐欺的、騙し討ちである。
それは、内容が直前まで秘密にされ、膨大な条項を検討させる時間さえ与えない、一方的なものである。
また、裁判を多国籍企業に有利な機関に限定する、極めて器量の狭い、不公平なものである。
TPPは、国家間の合意に見せかけながら、その内容は、多国籍企業と国家との契約にすり替えている。
これは詐術だ。多国籍企業に対峙する国家とその国民に対する詐欺行為だ。
詐欺による合意は、その効力を否定しなければならない。
TPPは、訴訟相手になる国家とその国民にさえ内容を検討させない、衡平でも公正でもない、一方に有利な、不当なものであり、無効なものである。
ここには、信義も誠実も存在しない。弱者を言いなりにする、強者の論理だけが優先されている。
国家間でさえ最低限に尊重されるべき原則を、企業を国家に対峙させることで、無力化しようとする、強者に都合の良い、傲慢で、犯罪的なものである。
国際法の基本原則とされてきた、信義誠実、衡平の原則が、いとも簡単に否定された。
犯罪が、堂々と、肯定された。


***「日本の救世主」ジャヤワルダナ氏の名演説。

日本を窮地から救い出した、セイロンの第二代大統領ジャヤワルダナ(スリランカの初代大統領)が行ったサンフランシスコ講和条約会議での演説は、不朽の名演説と言われた。
彼の演説は、1951年(昭和26年)に開催された、日本の戦争責任を問うサンフランシスコ講和会議で議論された、ソ連(当時)を中心とした日本4分割案を断念させた。
日本4分割案では、北海道と東北をソ連、関東と中部の一部を米国、四国を中華民国、中国と九州を英国が、それぞれ占領地とし、東京は米国、英国、中華民国、ソ蓮が共同管理をする、ということが計画されていた。

日本を絶体絶命から救出した、ジャヤワルダナ氏のスピーチは、
「日本は自由でなければならない。それは、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であったが、日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためです。
私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者のあるものが、彼らの愛する国々が解放されるかもしれないという希望によって日本人と同調した、という、先の大戦中に起こった出来事を思い出すことができるのです」。
「われわれの主要商品の一つである、ゴムを枯渇せしめたことによってもたらされた損害は、その賠償を請求するつもりはありません。何故ならば、われわれは、『憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである』という、仏教の創始者である仏陀のメッセージを信じるからです」。
「故に、日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日本が外部からの侵略及び内部よりの破壊に対して、自らの軍事的防衛力を組織するようにすること、そうするまでには日本防衛のために友好国家の援助を要請すること、並びに、日本経済に害を及ぼすような、いかなる賠償も日本から取り立てないことを保証することです」。
ジャヤワルダナ氏は「日本の救世主」であった。
日本が掲げた、アジア諸国民に提起した、共存共栄の精神は、戦後も生き続けていた。


***日本を再生するために不可欠な、国民の覚醒

今、怪物や悪党の退治が、必要となっている。まず目覚めることだ。
指導者であった神の末裔を、
サムライの末裔とその仲間たちを、復活させなければならない。
しかし、勇猛果敢であったサムライの子孫は、70数年の間、
先人たちを踏みつけにして得られた、儚(はかな)い平和の夢に酔いしれるばかりで、
恐ろしい脅威が、すぐ間近に迫っていることに気づいていない。
いまだに、怪物の実体や悪党の本性がしっかりと認識されずにいる。
その原因の一つに、光を差す、長期の展望が持てないことがある。
国家の予算は、基本的には単年度決算になっている。
何時、国家が消滅しても、清算に困らないような制度になっている。
会社の決算も同様だ。国民は短期志向に拘束され、慣らされている。
中小企業の事業主と労働者は、あたかも外国資本の奴隷の様を呈している。
少子化と相まって、子々孫々に配慮することは乏しく、
個人の今と将来だけが重大関心事になっている。
国民に、日本の国を左右する大きな問題点とそれを解決する糸口を示すことが、必要だ。

考古学の深化と学際的な研究が進むにつれて、
日本の歴史が、これまでの定説が、覆されている。
これまで教科書では、あらゆるものが、西方から日本へ、伝播して来たとされた。
しかし、実際には、稲の栽培も、漆器も、土器も、
日本から支那大陸へ、日本から西方へ、伝播していったことが判明した。
日本の縄文文明が、世界の最先端を行くものであったことが明らかになっている。
人類一般の女性の発祥が、アフリカにあることは、ほぼ解明されたが、
日本人の起源や男性の発祥については、未だ解明されていない。

それでも、女性の遺伝子は人類の存在を示し、
男性の遺伝子は、女性の遺伝子の強さと優秀さとを示し、人類の歴史を語り伝えている。
男性の遺伝子は、賢明な、女性の遺伝子の存在なしには成り立たなかった。
また、このことと、文明が、日本から西方へ伝わることとは、矛盾しない。
時に、日本では、漢字以前の古代文字の存在に、光が当てられ始めた。
漢字より先に、カタカナが使われていたかもしれないのだ。

これまで、古代の日本には、文字が存在しなかった、と言われた。
しかし、これは史実に反する。
文字は、石に刻まれた、ペトログリフだけではない。
3世紀末に書かれた『三国志』の『魏書(ぎしょ)』に、
当時の日本人を描いた、「倭人伝(わじんでん)」という章がある。
そこには、当時の日本人は「黥面文身(げいめんぶんしん)」だったと記述している。
この身体に刻んだ入れ墨こそ、大事な歴史を後世に残すための知恵であり、文字であった。
日本人は、その歴史を、遺伝子だけでなく、身体に刻んで、子孫に伝えてきたのだ。
そのため、紙に記録できるようになると、入れ墨は、歴史書の役目を終えた。

われわれ日本人の祖先は、身体と一体になるほど、文字を大切にしてきた。
文字の普及は、人々の知識と知恵の発展を保障した。
文字を大事にすることは、人々を豊かにすることでもあった。
だからこそ、漢字を真名と言って、大事にしてきたのだ。
日本は、本家本元が疎かにしてきた漢字を、豊かに発展させ、大切にしてきたのだ。
今、中国人が使っている漢字の元でさえ、7割は明治時代に、日本人が作り出したものだ。
支那大陸の古代国家や文明さえ、我々の先祖たちが関与している可能性も出てきた。
日本人は、意識水準を高めながら、一体となって、歴史と伝統を深化させてきた。

これまで欧米諸国は、自国の歴史と伝統を書き換えてきた。
それは、勝者が、敗者が持っていた過去の歴史と伝統を、ほとんど抹殺したからである。
だからこそ、聖書に、出来合いの歴史と伝統を、正当性を、求めた。
これに対して、日本は、歴史と伝統のページを増やしてきた。
日本は、異なる者が共生共存することで、歴史と伝統を書き足したからである。
しかし、明治維新東京裁判の2度にわたって、日本は、書き換えの被害に遭った。
未だに、「日本の歴史と伝統」の復元は実現していない。
これでは、正しく深化させることも叶わない。

世界には、広く国民を豊かにするか、少数者が富を独占するか、
の2種類の違った世界観があった。
この2つの世界観を、仮に、次の通り設定する。
1、金権・独占・主義
2、共存・共栄・主義
金権・独占・主義は、富を独占するために、相手より強力な武器を必要とした。
共存・共栄・主義が目標とする、最大多数の幸福と、強力な武器の発達とは、必ずしも、比例しなかった。
最先端の武器を開発した国家は、国民の生活を大切にする文化国家を滅ぼしてきた。
勝者、権力を握った少数者が、財産を手中に収め、多数者を滅ぼした。
大東亜戦争時には、
金権・独占・主義は、協和・共栄・主義を支配下に置いた。
そして、共存・共栄・主義を貫く国家は、ただ1か国だけが残された。
欧米諸国と中国は、金権・独占・主義に立った。
世界に残された共存・共栄・主義の国家は、タイと日本だけになった。
大東亜戦争は、金権・独占・主義と、共存・共栄・主義との戦争である。
どんな生物も、生きるために、種を保存するために、外敵を警戒している。
平和主義という掛け声に固執する、内外の敵に注意を払わない、民族や国家は、滅びた。

国家と国民を守ることは、歴史と伝統、独自の文化を守ることと、同義であった。
一面的で、形式的な、階級対立の社会観や進歩史観、選良優越主義に立脚した共産主義
鉄と武器を物差しにする、欧米の白人至上主義に立つ歴史観だけでは、
日本も世界も、その本当の姿を、認識することはできなかった。
対局には、外敵と戦いながらも、広く国民が共存共栄することを願い、内乱や戦争を嫌う人々が存在してきた。
内乱や戦争を阻止するためには、それを実現するための、実力が求められた。
独自の文化・文明を持ち、命を大切にする国家が生き残るためには、防衛力が必須であった。
命をぞんざいに扱い専権を掌握しようとする敵に勝る、戦術と武器を開発する必要があった。
命を繋ぐためには、食事と同じように、それは、やむを得ないことであった。


***見方、考え方が変われば、見るもの、考えるものが、中身まで、違って見えてくる。

地球儀であれば、実物の小型版として、位置関係を、ほぼ正確に、確認することが出来る。
これを地図にする時、丸いものが、平面になる。
球状のものを紙に描き直すと、必ず歪みが生じる。
面積、角度、距離を、同時に、全て正しく表示することはできない。
そのため、地図は、使用する目的によって、使い分ける必要がある。

普段、見慣れているのは、メルカトル図法だ。
この地図は、見やすい。地球表面の、すべての部分の、角度が正しい。
図上の2点を結ぶ直線は、等角航路になる。羅針盤による航海に便利だ。海図に利用される。
しかし、本来は丸い地球を、長方形に引き伸ばしているので、面積は、緯度が高くなるにつれ、実際よりも大きくなる。距離も、実際よりも、長く表現される。
この図法も、日本を見やすい位置にすると、太平洋が大きくなるが、
インドあたりを中央にすると、大陸が大きくなり、見えるものが大きく変わる。
  
ポーラ図法(正距・方位・図法)は、球状の地球を丸く表現している。
図の中心から他の1地点を結ぶ直線が、図の中心からの正しい方位、最短経路を表す。
飛行機やミサイルなどの最短経路や方位を見るために使われる。
欠点は、円の端の方に描かれている地図は、非常に形が歪み、かなり見にくい。

弱小国、日本に、今、必要なのは、地球を、世界的、宇宙的視野から、見ることだ。

それは、世界状況を、宇宙空間を、軍事的に、客観的に見ることでもある。
軍事という言葉に、拒否反応を起こしているようでは、生き残れないのだ。
日本の国家と国民を守るためには、軍事問題は、避けて通れないからだ。
日本人がいくら平和を祈っても、相手がそれを、聞き入れないからだ。
否、相手は、自分たちに都合の良いことを、押し付けてくるのが関の山だ。
未だに、それが世界の常識なのだから。近隣諸国がその良い実例ではないか。

国防意識とは、軍事意識だ。

武器を持つ相手から、大切なものを護るためには、あらゆるものを武器にしなければならない。
兵器を持った国から、大切な国家と国民を護るためには、敵に対抗できる、兵器が必要となる。
この兵器は、国家と国民の生存と存続を保持するための、軍事力だ。

軍事力を目の敵にするのは、国民の大事なものを、奪う者か、犠牲にしようとする者、たちだ。
生き物は、自分を護る為に、毒や棘など、様々に工夫している。
命を護る為に、軍事力が必要なのだ。
生き延びようとしない者、それは死んだも同然だ。
生命あるものは、どんなに小さな生き物でも、生き延びようと、一所懸命だ。
先人達や神々は、本気で生き残ろうとする者を、自分たちの魂を受け継ぐ者たちを、加護する。

 

 


***日本国民が、「国家と国民の安全と生存を保持」する方法

憲法 第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第9条は、「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」を、国家権力に対して、禁止じている。
そのため、日本国民が、いかにして、「国家と国民の安全と生存を保持」し、「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を保持」するか、「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立」つ為に、どのような方法がとれるかが問題となる。

国民は知恵を出し合い、対策を講じなければならない。
方策としては、次の3つが考えられる。
一つには、憲法を改正する。国家権力が国防軍を持てるようにする。
二つには、現憲法を維持するとき。治安維持隊を創設する。領土・領海・領空・防衛隊を創設する。地方自治体とその連合が、都道府県・防衛隊、市町村・防衛隊、警察予備隊などを創設する。
三つには、個々人や有志が集い、防御等に関して、様々な技術や知識を結集し、拡充する。


***「日本の歴史と伝統」(自立・共存・共栄)を深化(進化)発展させよう

日本人は、日本人の名前を名乗る者、日本語を話すものに、弱い。無防備になる。
日本人は異国人が日本のことを知ろうとすると、
親切になり、対等の扱いをする習性がある。警戒心が薄れる。
それは古い時代からそうであった。
江戸時代の戦国武将で、長州領域を広大に支配した、大内氏は自ら朝鮮の系統を口にした。
大東亜戦争の時、朝鮮や台湾の兵隊で優秀な人材は、すぐに重用した。
明治の重鎮たちは、日本人が最も弱い、尊崇の対象である、天皇を、巧妙に利用した。
現在も、日本の国籍を取得すれば、
すぐに国会議員という、国民の代表者になることができる。

間違いなく、人間対等主義は弱さを抱えている。
異国人は、日本人の弱点を知悉しているからだ。
日本人を落とすための手法は、
日本語を話し、日本人の名前を名乗ること。それも由緒ある名前は、なお更、効果的だ。
異国人は、通名として、由緒ある名前を当然のように使うことができる。
日本人は、喜怒哀楽の過剰な表現にも弱い。騙され易い。感性が豊かだ、からだが…。
また、家族関係を匂わすこと。オレオレ詐欺は、この手法が有効であることを実証している。
そして絶大な効き目は、「本家」の天皇を利用する時だ。

共生するためには、一体性を築く必要があるが、現実の人間は対等ではない。
対等である人の範囲を拡げるとき、その脆さは、一層、際立つ。
それは無防備にする範囲を拡げることでもある。
安易に対等とみなす人間の範囲を拡大したために、日本人は不幸になってきた。
人間の輪を広げるためには、それを妨害する者への、警戒心や対抗手段を必要とした。
それは、警察力であり、国防力であり、伝家の宝刀である、最先端の武器と軍隊である。
排他的で強力な優越主義に染まった人間を相手にするとき、それは、決定的になった。

「平和」な状態を維持するには、「平和」を乱そうとする者を断念させるしかない。
「戦争に反対」するなら、戦闘行為を阻止しなければならない。
そのためには、「平和」を乱そうとするものが誰か、
「戦争」を仕掛けようとするものが誰か、それを明らかにしなければならない。
「平和」の敵が誰かを明らかにしないのは、見せかけか、茶番でしかない。
「平和」の敵を断念させることも、止めることもできないなら、迎え撃つしかないのだ。

警戒しなければ、強くなければ、国家も国民も守れない。ここに大東亜戦争の教訓がある。
防衛するためには、事前準備が必要不可欠になる。英知を結集しなければならない。
大事なことは、国家と日本国民の生命と身体、生活を守ること。
誤魔化しで、自己満足に「平和」や「戦争反対」と唱えるのは、既に敗北している。
「平和」を乱す者、「戦争」の機会を狙う者は、全く痛痒を感じないからだ。
「平和」や「戦争反対」と唱える人々に、国家と国民を守る気概があるか、そこが問題だ。
「平和」を維持するためには、敵が痛みを感じる、具体的な備えが必要となる。

日本人は、今一度、人間は対等であるという思想の原初に、立ち返るべきだ。
出発点は、日本人の家族にある。日本の国家は、共生する日本人の、家族の連合である。
日本人の家族の連合を妨害する者、分断するものは、排除する必要がある。
嘘をついて騙す者、誤魔化しを平気で行う者を、村八分にすることだ。
対等な人間の範囲を、先ずは、日本の国家と国民を第一に考える者に、絞るべきだ。
そして、日本人としての尊厳を取り戻すことだ。より強く賢くなるために。
対等と認める人の範囲は、徐々に、焦らずに拡張すれば良い。
それは、少しずつ、もう動き出し始めている。

日本の神様は、信じていた。
日本は今や「小国」になった。些細な成果に一喜一憂している。
電子機器や宇宙開発では中国に、食やドラマなどの人気では韓国に負け始めた。
先の大東亜戦争では、日本一国が、死に物狂いで、世界列強を相手に戦った。
日本は勇敢な「大国」であった。しかし、それはアジアにおける「大国」であった。
世界の列強を相手にする時、日本は弱小であった。余りにも力不足だった。
それなら、強くなればいい。弱点を克服し、もっと賢くなればいい。
自分たちの末裔は、日本人の誇りを、きっと取り戻す。
不屈に、真摯に課題と向き合い、必ずや解決する。
そのためには、国民と国家が一体性を取り戻さねばならない。
競い合いながらも、助け合うことが大事だ。孤立分散では強くなれない。

各地がそれぞれに苦しい状態に置かれているのは確かだが、
問題があるところには、解決の糸口も、そこに、ある。
助け合いの網の目を張り巡らさねばならない。
今はまだ、目まぐるしく展開する、虚像に攪乱されているが、
取り組むべき実像は、意外にも足元に、目の前にある。
確かに物事には潮時がある。時機を逃したら手遅れになる。
それでも、祖先の神々は信じていた。その時はきっと来る。


***神々から日本国民へのお言葉

今、アジアで、日本で、「覇権主義」が、活発化している。

 

【自立・共存・共栄】の「国家と国民」・第一主義への転換を。
海外との関係では「国益」第一主義で、国内では「国民」第一主義で。

 

八百万の神々は、子々孫々に向かって、お言葉をかけられた。
われ等は、在りて、在るものである。
日いずる国の勇者たちよ、
いつまで惰眠を貪るのか。
日本は今、建国以来の、存亡の危機に直面している。
神々の魂を受け継ぐ者たちよ、
サムライの魂を受け継いだものたちよ、目覚めよ。
そして、立ち上がり、しっかりと在れ。
平然と嘘をつき、誤魔化しを繰り返す、そんな連中を野放しにしてはならない。
際限のない欲望に駆られ、人々を苦難の底に突き落とす、そんな暴挙を放置するな。
肌の色など問題ではない。言語など問題ではない。
心だ。自立・共存・共栄の、度量の大きい、心意気だ。
先祖たちは、人種を問わず、自立した人々が共存共栄できる社会を理想に掲げ、
それを実現しようと、精魂込めて働き続けた。
道を誤るな。
先人たちの貴重な遺産を、偉業を、決して、無駄にするな。

 

平成31年3月17日(2019.03.17初稿作成)
不二原 岳
令和元年6月27日(2019.06.27更新)

(注意)この文書は、現代の神話です。史実に誤りがあると判断した場合は、随時、訂正します。