【2】

 

日本の土着力、日本化、作り変える力、を取り戻そう。
そして、跳ね返そう。
部落、アイヌ、韓国、朝鮮、中国などが、日本を分断しようとしている。
これは、日本人の、日本の、神々への尊崇が、希薄になっているからだ。
神々への尊崇とは、日本人として、日本として、自信と誇りを、取り戻すことだ。
そして、各人の役割と分担を自覚することだ。
それは、自分にできることを、当たり前に、やり切ることだ。

 

現代版 日本神話 神々の言葉(2/3)

古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず神話は史実を伝えてきた。
伝承にもその基になった史実がある。

 

***ハワイ国王が考えたハワイ・アジア連合

植民地政策に抗う動きはハワイ王国にもあった。
海外貿易の中継点として、ハワイに目を付けたアメリカは、資本家を送り込んだ。
アメリカの財閥は、ハワイ国土の半分を買い取った。
また、アメリカ人は、ハワイの政界にも進出して、政府の主要な閣僚を占めた。
更に、軍事拠点を真珠湾に定めた。
経済、政治、軍事と、徐々に、アメリカはハワイの主権を侵害した。

脅威を感じた、ハワイの国王カラカウアは、次のように考えた。
アジア諸国は列強の支配を受けながら、互いに孤立を深め無策である。この状況を抜け出すには、各国が一致団結し、欧米に対峙する必要がある」。これが「ハワイ、アジア連合」の構想であった。
明治14年1881年)カラカウア大王は、訪日し、明治天皇と会見し、日本を盟主とする
「ハワイ、アジア連合」、あるいは同盟関係を結ぶための政略結婚を申し出だ。
しかし、日本は不平等条約に苦しんでいた。1897年、ハワイはアメリカに併合された。

日本で発見されたシュメール文字は、ハワイで見つかった文字と同系統のものである。
大東亜戦争の方向を決めた、綜合国策基本要綱や基本国策要綱等は、
アメリカに組み込まれる前の、ハワイの国王も共感できるものだった。
そこには、原始的な時代に築かれた世界観をしっかりと受け継ぐ、
人類の歴史に誇るべき、人間対等主義が、優れた思想と理念があった。
日本には、他国民を収奪の対象とする、植民地政策などなかった。
主軸は、「人間は対等」「各国の独立」そして「共生」であった。
そこには、大東亜に国家の連合体を作ろうとする広大なビジョンがあった。
それは、「ハワイ、アジア連合」の構想からハワイを除いたものであった。
しかし、アジア諸国は、そこまで目覚めていなかった。


***日本に今ある危機

日本に住みつき、集団を作り、それを徐々に拡大させ、
地域に自治を敷き、国家に対する政治力を徐々に高め、行使し、
ついには、日本国の内部に独立国家を築くことを目論む、植民地主義の動きがある。
海外から移動してきた少数の民族が、日本の国土を大掛かりに買い上げ、
自分たちの地域、街を作り上げ、日本人の近寄りがたい地帯を築き、
犯罪や争乱の温床となる危険性を高めている。
日本国内に、新たに特殊な部落を作り、差別と対立を作ろうとしている。
国家間における相互主義の貫徹が急務となっている。
意図的に、間違った歴史認識で洗脳し、国民を惑わせようとする動きが、
教育界やメディア界、ネットの世界その他に見られる。
自らを少数者と名乗り、国民の税金を巻き上げることを目論む、
利権主義が蔓延(はびこ)っている。
陳情を鵜呑みにする国際機関を、まるで世界政府の一機関のように操り、
利用して、その無責任な権威を借りて、民主的な団体を標榜しながら、
特定の集団や団体に有利な状況を築く動きがある。

逆差別が拡大している。
苦学する日本人の学生は、奨学金を返済しなければならない。
ところが、海外からの留学生は返済する必要がなく、しかも様々に優遇されている。
外国人の居住者についても、助成金などの、様々な優遇措置が取られている。
納税者である日本人には恩恵が少ない一方で、血税は、外国人の優遇政策に使われている。
遺伝子を編集した食品が氾濫している。
日本人は、薬品漬けになっている。病気を治すのが目的ではない。
人間は多数の生命が共存共栄する。どこか悪いところがあれば、体全体で協力し合う。
西洋流の医学や薬学は、人間を部位ごとに診る。部位を孤立させる。
病気を治しては利益にならないからだ。

日本人は生体実験のモルモットにされている。
虫に毒なものは、人間にも毒に決まっている。
実験の目的は、病気をいかに長引かせることができるかだ。
日本は、日本人は、生体実験の標本にされている。
野菜や果物は、均一が求められてきた。
それは、消費者や販売者のニーズに叶い、経済的であった。
食品は、遺伝子を編集した。人工産物となった。
しかし、ねずみは、外の動物は、それを食べようとしなかった。
店頭を飾ったのは、季節感のない、成型した美女の、雄性不稔種子である。
そこには個性がなかった。濃淡は揃い、苦みも渋みもなかった。
人間も、いつしか、隣を向くと、自分と同じ顔、身体つき、背丈があった。
右倣えした。人間は画一化した。

 

***【真の主権回復と主権在民の実現が課題】

『「日米合同委員会」の研究』の著者・吉田敏浩さんに聞く(要約抜粋)

日米合同委員会は、隔週の木曜日に、都心のニューサンノー米軍センターや外務省で会合を開いている。
外務省・北米局長が日本側代表に、法務省農林水産省防衛省財務省などの、高級官僚が代表代理(2016年10月現在)になっている。
米側は、在日米軍・副司令官が代表で、在日・米大使館・公使を除いて、ほかは全員、軍人です。こんな会合が、何十年も密室で開かれて、米軍優位の、日米・地位・協定の解釈や運用について、協議している。
そこでは、米軍の要求が通っている、のが実態だ。
日本の政治家さえも知らないところで、日本の高級官僚が、米軍と協議している。
その不透明さ、これが、日本の進路にも、大きく影響している。

官僚機構の中に密約を維持する「裏マニュアル」
日本の官僚機構の中に、日米合同委員会での密約にかかわる、一連のマニュアルがある。
例えば、法務省刑事局の「合衆国軍隊・構成員等に対する刑事裁判権・関係・実務資料」、
最高裁・事務総局の「日米・行政協定に伴う民事及び刑事特別法・関係資料」、
警察庁の「地位協定と刑事特別法」、
外務省の「日米地位協定の考え方」など。
官僚機構の中に、秘密資料、部外秘・資料があって、その中で日米地位協定の条文について、米軍に有利になるような解釈をして、それに基づいて地位協定の運用をしている。
しかも、それが国会議員にも、国民にも、まったく知らされない形で情報隠蔽され、ずーっと、秘密の運用がされている。
米軍優位の日米地位協定が、いかに不平等な取り決めであるのかは、かなり知られている。
しかし、地位協定を、実際に細かいところまで解釈する過程で、米軍に有利になるように、官僚機構の中でマニュアル化された、「裏マニュアル」があり、実際に、米軍に有利な運用がされてきている。

米軍関係者の犯罪で起訴率が低い問題のほかにも、横田空域や岩国空域の問題がある。
日本の空であるにもかかわらず、米軍が航空管制権をにぎっている。
横田空域でいえば、厚木基地にやってくる米空母艦載機が横田空域を通って群馬県渋川市周辺の上空に行って、低空飛行訓練をして、爆音や墜落の危険をまき散らしている。
日本各地で行われている、米軍の低空飛行訓練を、日本政府は規制できない。
横田、厚木、嘉手納、普天間などの、米軍機・騒音訴訟でも、米軍機が騒音公害の発生源で、騒音は違法だと認められ、損害賠償も認められていながら、米軍機の飛行差し止めは認められない。
米軍の軍事活動に日本政府の管理権が及ばないから、差し止めはできないというのが、裁判所の判断だ。
地方自治体も対策が打てない。

結局、米軍に対して、日本の司法権も行政権も及ばない。事実上の、治外法権だ。
背景には、米軍優位の地位協定がありますが、地位協定の具体的な解釈・運用面について、日米合同委員会で、在日・米軍高官と日本の高級官僚が密室で秘密協議をして、そこで米軍に有利な合意が蓄積されてきている、という根本的な問題がある。
日米合同・委員会の議事録や合意文書は、原則として非公開だ。
情報公開法に基づく文書開示請求をしても、黒塗りの不開示とされる。
合意の一部は、要旨が、外務省のホームページに出ているが、法務省などの秘密資料や最高裁の部外秘資料などと照らし合わせると、合意文書の重要な部分を削除したり、書き換えたりして、あたかも日米対等であるかのように装っている。
実態は、米軍に有利な、不平等なものだ。

主権在民の下で、国民の選択によって政治が行われる、というのが憲法の原理だが、政府・行政機関が事実を公開していない。説明責任を果たしていない。
主権在民という憲法の規定が、大きく空洞化されている。骨抜きにされている。
いわば、闇の領域に覆われている、ということが、しだいに明らかになってきた。
米軍・上層部から見れば、日米合同・委員会は、日本における米軍の特権を維持するための、リモコン装置のようなもの、と言える。
占領時代からの、フリーハンドの基地使用・軍事活動の特権を維持するとともに、変化する時代状況に応じて、新たな特権を確保していくための、リモコン装置だ。
そのような政治上の装置が、日本政府の機構の中枢に、埋め込まれている。
米軍の事実上の治外法権を維持する、日米合同・委員会の密室協議があることを明らかにしないで、日米関係、日本の政治のあり方はこれでいいのか。
この問題に何一つ手をつけないで、どうして「日本を取り戻す」、などと言えるのか。
日本の主権を損ない、米軍の特権を認める、密約などは廃棄すべきだ。
日米安保など日米関係について、いろいろな意見があっても、少なくとも日米地位協定の抜本改定と日米合同委員会の廃止が必要だ。

今も米軍に支配される日本の空
分かりやすい例として、米軍が航空管制をする横田空域の問題、首都圏の上空を日本の飛行機が自由に飛べない、日本の空の主権が奪われている。
外務省、国土交通省などは、横田空域は日米地位協定にもとづくと説明し、メディアは鵜(う)のみにして報じている。
しかし、どういう法的根拠で米軍にそうした特権が与えられているのか。
国土交通省は、「文書は日米の合意がないと公開されない。公開すると米国との信頼関係が損なわれる。だから不開示」と。
法的根拠を開示しないということは、主権在民に基づく行政のあり方ではない。
この問題の本質に迫る手掛かりは、外務省の「秘 無期限」の機密文書、「日米地位協定の考え方」だ。これは「琉球新報」がスクープし、本にもなっている。
その中の、航空管制に関する日米地位協定の第6条の解釈をめぐって、外務省は「管制業務を米軍に行わせている我が国内法上の根拠が問題となるが、(地位協定第6条を受けた)合同委員会の合意のみしかなく、航空法上・積極的な根拠規定はない」と言い切っている。
そして、「管制業務を協定第6条の『趣旨』により『事実上』委任した」、という程度の意味だと。横田空域は、「(米軍が航空管制を)事実行為として行うことを、日米間で認めている区域にすぎない」と明確に書いている。
自衛隊が航空基地周辺で航空管制をするのは、航空法に根拠がある。
ところが米軍の場合は、そうした法的根拠はなく、日米合同・委員会の合意により「事実上、委任している」と。
戦後、日本占領時代に米軍がやっていたことを、既成事実として認めている。
米軍は横田空域を、戦闘機などの訓練飛行や輸送機の出入りなどに使っている。
輸送機は、グアムやハワイなど海外の米軍基地から横田基地へ飛んできて、そこをハブ(中継)にして、沖縄や韓国などの基地へ向っている。
米軍は、訓練飛行と輸送機などの日本列島への出入りを最優先させるため、航空管制権をにぎって手放さない。
その法的根拠は、日米地位協定に規定されていない。
ただ、日米合同委員会の秘密合意によって、「事実上、委任」されておこなっている。
日米地位協定の考え方」では、「米軍による管制は、厳密な航空法の解釈としては、航空法上の意味がないので、我が国民は、これに従う法的義務はないものと考えられる」とまで、ご丁寧に念押ししている。
しかし、実際は、日米合同・委員会の合意で、外部に公表されない「実施細則」という取り決めが日米両政府を拘束している。
それが、航空管制権という、空の主権が侵害されている、現実を招いている。
そして、米軍機の騒音被害や墜落の危険による人権侵害にもつながっている。

憲法体系を無視した米軍優位の「密約体系」
このように、憲法体系を無視して、米軍に有利な「密約体系」が裏にある。
航空管制の密約も、「氷山の一角」で、「裁判権放棄」密約とか、さまざまな密約があり、それらが「密約体系」となって憲法体系を侵食している。
例えば、横田空域の問題にしても、米兵犯罪の問題にしても、米軍に有利な不平等な取り決めがある、ということを、文書を公開して、国会で、公開された場で審議すれば、大きな問題になる。
しかし、日米合同・委員会の合意文書を非公開にして、大問題にさせないように覆い隠している。
基地の提供についても、日米合同・委員会の密室で合意して決めている。
今、辺野古の海を埋め立てて新基地を建設しようとしているが、どこを基地にするか、いつ、どこに、どんな施設をつくって、どんな手続きを行うかも、日米合同・委員会で決めている。
国土の一部を、領土・領海・領空を基地・演習場などとして、米軍に提供するという、主権にかかわる重大な問題に、国会が関与できない、というおかしな、仕組みになっている。
国民の代表である議員が、一切タッチできないところで、日米合同・委員会の密室協議を通じて、日本の高級官僚と在日・米軍高官によって、基地の提供が決められてきた。
日米・安保条約と日米・行政協定(現地位協定)が、1952年4月28日に発効すると同時に、日米合同・委員会が設置され、基地の提供や米軍の軍事活動にかかわる地位協定の運用に、議員が一切タッチできない仕組みが、制度化された。
主権侵害の出発点だ。主権在民憲法を空洞化させる仕組みが、日本政府の、国家の中枢に、埋め込まれた。

日米合同・委員会に出席する、在日・米軍高官らは、上部組織である米太平洋軍司令部や統合参謀本部に、日米合同・委員会での協議内容について、日本側に何を要求するかなど、常に連絡・報告しながら、米太平洋軍司令部、統合参謀本部からの指示に基づいて、交渉している。
占領軍だった米軍は、その後、安保条約の下で、駐留軍に変わった。
しかし米軍は、在日・米軍基地、日本の領土・領海・領空、日本全土を米軍に有利なように利用するために、日本の官僚を直接コントロールすべく、密室・協議機関として日米合同・委員会という仕組みをつくったというのが、歴史の真相だ。
そうすることで、日本をコントロールできるのだ。
そういう制度が、日本の国家中枢に埋め込まれて、今日まで続いている。これが実態だ。
この実態を明らかにしなければならない。
主権者である国民の目も手も届かない、日米合同・委員会の密室で、基地の提供や地位協定の解釈・運用など、主権にかかわる問題、人権にかかわる問題が、米軍優位の、不平等な状態で取り決められていることを、より多くの人が知って、本当にこんな状態でいいのか。
戦後70年以上過ぎて、まだこんな状態を放置したままでいいのか。

日本政府の上に君臨する闇の権力構造
日米合同・委員会に象徴されるように、日米関係の情報は、官僚機構がにぎっている。
米国政府・米軍との間に、太いパイプを築いている。
だから、外務省・北米局を中心として、米国側と常に密接に協議している官僚たちが、政治家に、「米国との取り決めはこうなっているんだから、こうしなくてはならない」と、報告・進言すれば、詳しい内容までよく分からない政治家は、従わざるを得ないのが実情だ。
結局、官僚機構がお膳立てした通りに、米国との関係を結ばざるを得ない。
つまり、官僚機構が米国との太いパイプをにぎることで、日本の政治家をコントロールできる。
日米関係に関して、官僚機構が実質的に権力をにぎる構造になっている。
そして、米軍が日米合同・委員会を通じて、日本の官僚機構をコントロールし、米国優位の日米地位協定の下での、権力構造を維持している。
その維持装置が、日米合同・委員会なのだ。そのような、隠された、二重の構造になっている。
官僚が「米軍の運用に日本は口出しできない取り決めになっている」と言えば、政治家もそう思い込んでしまう。
例えば、2012年のオスプレイ配備の時も、時の野田佳彦・首相は「配備はアメリカ政府の方針であり、どうこうしろという話ではない」と言い、森本敏防衛大臣も「安保条約上、日本に権限はない」と言明した。

米軍に対しては、日本政府の権力、規制が及ばないと認めている。
米軍の、フリーハンドの、軍事特権を容認している。裁判所もそうだ。
日本の憲法体系、それだけでなく、立法・行政・司法という「三権分立」、憲法の民主主義の原理を、根幹のところで腐食させる、闇の仕掛けが、日本・国家の官僚機構の中枢に埋め込まれている。
日本政府の上に君臨し、日本の主権を侵害する、「闇の権力構造」がある。
トランプ政権になって、日本政府に対して、ますます、軍事的・政治的・経済的に「米国第一」で、米国の利益を最優先する要求を、さらに突き付けてくる時代だ。
これまでも、これだけ不平等な実態があるわけだから、このまま放置しておけば、さらに日本の主権や平和、人権が侵害される事態が、より深刻になっていくことは、目に見えている。
日米合同・委員会に象徴される、不平等な構造を明らかにして、変えていかなければならない。

日本の空の主権を取り返せ
例えば、羽田の新ルート問題では、民間機が大田区、品川区の上空を通過することになるので、騒音問題などで、地元では反対運動が起きている。
これも実は、横田空域の問題とつながりがある。
これまで民間機が通れなかった横田空域の中を、低空で通って、羽田に離着陸する計画がある。
日米合同・委員会ではどう協議されているのかと、国土交通省・航空局に問い合わせたら、「日米合同・委員会の民間航空・分科委員会で、民間機の一部が、新ルートで横田空域の端を通れるように協議していて、最終決定ではないが、米軍側も内諾している。だが、詳しい協議内容は公表できない」と言う。
このように、在日・米軍高官と国土交通省の高級官僚が、日米合同・委員会の密室で、話し合っている。
そこで、米軍の「お許し」が出るので、通れますよと。
国会議員も地方議員もタッチできない、主権者の手が届かないところで、国民不在のままで、秘密裏に話が進んでいる。
そのこと自体が、大きな問題だ。
横田空域の航空・管制権を取り戻し、もっと情報をオープンにして、ルート問題や騒音対策など国会などの場で話し合える状況にして、どういう解決策があるかは分からないが、地元と話し合えば騒音や危険性がないような飛行ルートをつくれるのではないか。

国土交通省が、日本の航空法に基づいて、日本の空を全面的に航空管制するのであれば、どのような新ルートを設けるべきなのか、どうすればよいのか、もっと開かれた場で、あらゆる情報を公開し、話し合い、決定できる場がつくられるはずだ。
ところが、横田空域を米軍が管理しているので、国民がまったくタッチできないところで決められてしまう。これが根本的な問題だ。
だから、このままでいいのか、という問題意識を、多くの人に、もってもらいたい。
国会でも、党派を超えて、日本の主権にかかわる問題、主権在民という国会の存在意義にかかわる問題なので、議論してほしい。
国会が、行政を監視するという、役割を高めるべきだ。
国権の最高機関は、憲法では国会になっているから、本来は、国政調査権を行使して、日米合同・委員会の合意文書や議事録を、国会の審議の場に提供させ、こういう状況でよいのかと、オープンに議論する必要がある。
一部官僚に、こうした重大な問題を、「白紙委任」していていいのか、国会議員の存在意義が、問われている。
国民世論を盛り上げて、政府に迫る必要がある。
以上。


***笑い飛ばせ! 踊りまくれ! 飲めや歌え! いいじゃないか! これが日本だ!

日本の頭上には、神をも恐れぬ、手強い、権力が存在する。
日本の官僚は、日本国憲法ではなく、政府ではなく、頭上の権力に服従している。
日本の高級・官僚は、頭上の権力の奴隷であり、その下位にある奴隷の、日本政府を操る。
日本国民は、最下層の奴隷なのだ。国民に、主権などない。
従順で無知な者は、人任せな者は、奴隷として、最適な存在でぁる。
大東亜戦争までの日本人は、世界に冠たる強者(つわもの)であったが、
敗戦後には、見事に、占領政策が功を奏し、軟弱な、頭の悪い、骨抜きになった。
これは、日本の占領者たちには、予想外の収穫であった。

植民地政策が、これほど首尾よくいった例は、世界のどこにもない。
手順さえ間違えなければ、ちょっと誤魔化すだけで、簡単に服従してくれる。
猜疑心の欠片(かけら)さえ無いのだから、騙すのは簡単だ。
金や女で、いちころさ。証拠はしっかり撮ってある。
古(いにしえ)から、日本人は、近隣などの諸外国に、よく騙された。
他人に優しいことが、仇になった。
自然に乏しい近隣諸国にとって、紛争と身分差別の厳しい諸外国にとって、
日本は、平和で、豊かな生活と自然に恵まれていた。
しかし、それは、決して、自然のままの豊かさではなかった。
自然に手を加えることで、知恵を加えることで、さらに豊かに育て上げてきた。
多くの時間と人力を注ぎ込んだ。

豊かさは、先人たちの測り知れないほどの、血と汗によって得たものだ。
その豊かさは、他国から、喉から手が出るほどに、羨望の的であり、巧みに狙われた。
日本はずっと、侵略の、略奪の、策略の、対象になってきた。
それが、大和政権・誕生前後の、歴史の空白期間であり、大陸からのアイヌの侵略であり、
幕末前後の内紛であり、明治維新であり、敗戦前後の、日本の政治の現実であった。
日本を混乱させる、仕掛け人は、国内にも、国外にも、常時いた。

日本人は、古くは、倭人と言われた。
倭人とは、従順な人、という意味がある。
波風立てないことが、美徳とされた。
その倭人は、海外にも進出して、広く交易をおこなった。
島国根性というのは、史実に反する、教育による洗脳の産物である。
悪魔にとって、犯罪者にとって、無法者にとって、乱暴者にとって、日本は楽園であった。
天国とは、性悪な者のためにある。悪人でさえ往生できるのだ。
それが日本だ。

アメリカとGHQは、やっと、本当に、戦争に勝利したと、宣言することができた。
日本の支配構造を、簡単に示せば、
CSIS>日米・合同・委員会>日本CSIS(VC)>日本の官僚>日本の政府>日本の国民。
見よ! これが、今の日本の、現実だ。
日本国憲法が目指したものとは、正反対ではないか。逆様なのだ。
あっぱれ! 自慢するがよい! 日本国民は、遂に、世界の笑いものになった。
憲法を死守する、と主張する者たちは、腹を立てるだろうか。
このまま行くがよい。そして滅びゆくのだ。
無知で、気弱で、騙されやすい、愚かな、軟弱者には、それが良く似合う。
祖先や神々を気遣う必要などない。
自分の人生は自分で決めるしかないのだ。他人任せでなく。それが可能であるならば。


***軍拡要求の米研究所に寄付金・安倍内閣6年間・税金から3億円

(2019年3月14日(木)付、日本共産党の新聞から要約抜粋)
米国のシンクタンク、米戦略・国際問題・研究所(CSIS)は、日米軍事同盟の強化などを提言している。
外務省によれば、2013年度から18年度までの、6年間の合計で、CSISに対し、安倍晋三・内閣は、寄付金として、3億円もの税金を、投入した。
15年7月9日には、CSIS主催のシンポジウムが開催され、
安倍首相は、CSISについて、「米国の権威あるシンクタンク」であり、「エールを送りにやってまいりました」と発言した。

16年2月29日に、「日米同盟の将来に関する日米・安全保障・研究会」(以降は、「日米・安保・研究会」と略す)は、「2030年までの日米・同盟『パワーと原則』」という報告書を、発表した。
CSISと、笹川・平和財団とが、共同で立ち上げた、「日米・安保・研究会」の報告書は、
以下のように提言している。
*「両国の指導者および世論を形成する人々は、日米が、あらゆる外交手段(必要な場合には軍事力を含む)を用いて、世界で、積極的かつ指導的な役割を果たす」こと、
*「両国が追求する、平和で安全な、繁栄した、自由な世界を守るために、その軍事力を活用する、用意がなければならない」。
日本政府に対し、軍事力行使を、露骨に求めている。

米戦略・国際問題・研究所(CSIS)は、日米同盟強化のための、政策提言である、「アーミテージ・ナイ報告」を発表している。
「第4次アーミテージ・ナイ報告」は、日本の軍事費を、国内総生産(GDP)比1%以上に拡大することを、要求している。
CSISに、多額の寄付金を拠出している企業には、ノースロップ・グラマンボーイングロッキード・マーチンレイセオンなど、米国の巨大軍事産業が名を連ねている。
日本政府が、巨額の寄付をする理由として、外務省は、
*「国際情勢に関する情報の収集および分析」、
*「海外事情についての、国内広報その他、啓発のための措置、
*および日本事情についての海外広報」、などを挙げている。
以上


***日本人が必ず知るべき、米戦略・国際問題・研究所(CSIS)

ネットの記事、浮世風呂さんによれば、(要約抜粋、敬称略)
ジャパンハンドラーと日本の政財界は、繋がっている。
米戦略・国際問題・研究所(CSIS)の構成は、上から順に、
一、デビッド・ロックフェラー
二、キッシンジャーハーバード大学教授ジョセフ・ナイ
三、リチャード・アーミテージとCSIS所長のジョン・ハレム。
四、理事長は、民主党の重鎮で、オバマのアドバイザーもしているサム・ナン元上院議員
五、米国務省カート・キャンベルマイケル・グリーン日本部長。
六、東京常駐は、元海兵隊中将のジェームズ・R・ジョーンズ 前国家安全保障・補佐官。
彼は、首相や官房長官アゴで使う。
日本側エージェントは、
ボスが、前原誠司。サブが、長島昭久。次に、渡部恒三
日本の大手マスコミは、この事実を知っている。報復や暗殺を恐れて、今まで報道しないで来た。
『米戦略・国際問題・研究所(CSIS)』は、ネオコンの牙城と言われる、シンクタンク
小泉純一郎・元首相の息子、小泉進次郎は、CIAエージェントである、コロンビア大学教授ジェラルド・カーティスの推薦で、2年ほど籍を置いていた。
ジェラルド・カーティスは、日米同盟関係の重要性を、日本国民の頭に植え付ける、使命を帯びた、政治学者だ。
また、民主党渡部恒三・最高顧問の息子、渡部恒雄は、以前、主席研究員として、勤務していた。
笹川良一が設立した、笹川財団(現日本財団)は、CSIS日本支部である。
彼は、CIAのエージェントであった。
渡部恒雄は、現在、CSIS日本支部である、東京財団の、主席研究員である。 
マイケル・グリーンは、CSISの、現役、日本部長だ。
彼は、「『政権を握ったら』、公約は捨て去れ」と、民主党政権に提言した。
『米戦略・国際問題・研究所(CSIS)』は、
日本を喰い尽くす策略を、本気で強行しようとしている。
この研究所は、世界の戦略本部で、日本を操っている。
「CSIS」は、日本政府を傀儡政権として操る、巨大な闇の権力だ。
CSISは、イスラエルに武器を供給し、中東での戦闘で、「石油価格を高騰」させた。

マイケル・グリーンは、民主党・政権時に、鳩山に、次のような要求を突きつけ、脅した。
1.インド洋から撤退するなら、アメリカは、周辺諸国と日本との離反政策を行う、可能性がある。
2.日本は、アメリカのアフガニスタン政策を、目に見える形で、支えなくてはならない。
3.日本は、アメリカ、だけでなく、他の三極委員会や主要クラブのエリートの意見を、聞け。
4.日本の官僚は、アメリカが教育済みだ。
彼らは、アメリカとの連携を、まず最初に考える。政治家は、二の次だ。
彼らは、これまでの政策の、流れを作ってきたのだから、民主党・政権は、世論を背景に誕生 
したとはいえ、勝手に政策を決めてはならない。
(日本の官僚が、アメリカとの密約を、決めたのだから)

【米戦略・国際問題・研究所】CSIS(Center for Strategic and International Studies)は、
党派を超えて、国際的な公共政策を研究し、政策選択と問題解決方法を提案する、シンクタンクとして、デイビッド・M・アブシャイア博士とアーレイ・バーク海軍提督によって、1962年ワシントンDCに設立された。
2000年4月より、米国・国防副長官を退任した、ジョン・J・ハムレ博士が、CSIS所長・兼・CEOを、1999年より、元・上院議員のサム・ナン氏が、理事長を務めている。
また、ヘンリー・キッシンジャー・元・国務長官やカーラ・ヒルズ・元・通商代表、リチャード・アーミテージ・元・国務副長官らが、理事を務め、稲盛財団・理事長の、稲盛和夫は、国際評議員を務めている。

稲盛財団は、米国ワシントンD.C.CSIS(米戦略・国際問題・研究所)と共同で、2002年4月1日、政界、経済界等の、若手リーダーを養成するため、稲盛財団からCSISに寄付した、500万ドル(約6.5億円)を設立基金として、「アブシャイア・イナモリ リーダーシップアカデミー」(Abshire-Inamori Leadership Academy:略称AILA)を、同・研究所・内に設立した。
稲盛和夫は、京セラや第二電電(現KDDI)などを創業し、日本航空JAL)の名誉会長を務めるとともに、「京都賞」という、国際的な顕彰事業を行う、稲盛財団を設立し、また、中小企業・経営者を育成する、盛和塾の塾長を務める。
CSISは、現在、世界各国の政策問題、および、その展開を探求する、140名を越える専門家をかかえ、47年間にわたり、世界のリーダーに、グローバルな問題に対する、戦略的な洞察と、政策上の解決策を、提供してきた。
活動の特徴として、
第1に、米国・国防政策および国際安全保障に対する、新しい課題を、広範囲に取り扱っているこ
 と。
第2に、世界の主要な地域すべてに関する、専門家を擁していること。
第3に、グローバル時代に合った、新しい統治方法の開発に、力を注いでおり、その実現に向けて、
 人口、健康、エネルギー、テクノロジー、国際金融と経済システムに関するプログラムを、実施
 している、ことが挙げられる。 
【米戦略・国際問題・研究所】・CSISは、米国ワシントンDCを本拠地とする、超党派の、民間シンクタンクで、非課税措置の適用を受けている、非営利団体である。
                                          以上。

 

***安倍総理に講演の場を与えたCSISとは何か

(ブロガー中島聡氏 2013年02月26日 要約抜粋)
CSISは、表向きは、民間のシンクタンクで、政府や軍需産業のための、調査・研究をする、コンサルタント会社だが、実際には、政権交代で政府を出た高級官僚が、次の政権交代で復活するまでの間、準備をしたり、政府の外から、影響力を行使(ロビー活動)するための場所である。
その典型的な例が、ブッシュ政権下で国務・副長官を務めた、リチャード・アーミテージで、国務・副長官の職を離れた後も、CSISを通じ、オバマと大統領選を争ったマケイン候補のための戦略を立てたり、日本政府に対して、「原発を捨てると日本は二流国に成り下がる」と、警告を鳴らした「アーミテージ・ナイ報告)」を書いたりと、非常に積極的な政治活動をしている。
(軍事マフィアによる、米国政府への、影響力を監視する団体)、Right Web によれば、CSIS は、レーガン政権時代に作られた、「米国は世界の警察官であるべき」という信念の元に、各種メディアを通じて、米国・内外に、多大な影響力を持つ、ネオコンのフロント組織である。
「日本再占領」の作家である、中田安彦は、彼らを「ジャパン・ハンドラーズ」と称して、警告をならしている。
CSISに関しては、外務・審議官・対米・全権大使を務めた加藤良三の娘、加藤和世が、「ワシントン・ジャパニーズ・ウィメンズ・ネットワーク」に、そこで働いた、経験談を書いている。
彼女は、現在は、笹川・平和財団の研究員の1人だが、今でも 、CSIS のフェローの1人でもある。
笹川・平和財団は、CSISへの助成事業として、SPFフェローシップ・プログラムを進めたり、CSISが去年発表した、「アーミテージ・ナイ報告書」のプロモーションを手伝ったりと、CSISとの関係を強めている。
ちなみに、CSISに自分の子供を送り込んだのは、加藤良三だけではない。
小泉純一郎が、次男の小泉進次郎を、
渡辺恒三が、長男の渡辺恒雄を、送り込んでいる。
CSISは、日経新聞と、「日経・CSISバーチャル・シンクタンク」なる組織を、日本に立ち上げ、そこを通じた、保守系・政治家のサポート、若手・政治家の育成、政策提案、などのロビー活動をしている。
アドバイザーとして、自民党石破茂民主党前原誠司他、数多くの霞ヶ関OBが名を連ねる。
「日経・CSISバーチャル・シンクタンク」は、日本版 CSISである。
安倍首相は、CSIS主催のフォーラムでの講演で、「アーミテージ・ナイ報告」を引用して、「日本は二流国にはならない」と宣言した。
下に、「アーミテージ・ナイ報告」に書かれた、日本への提言を、外務省が翻訳したものを、添付しておく。
この報告書が、安倍政権の発足前の8月に書かれたものであるにも関わらず、12月に発足した安倍政権の政策と、ほぼ完全に合致している点は、注目に値する。
これを偶然の一致と解釈するのか、(CSISを通じた)、米国・保守派勢力の内政干渉と解釈するのかは、読者、次第だが、今後、自民党が日本のエネルギー政策をどうするのか、ホルムズ海峡が閉鎖された場合に何をするのか、などを予想するには、とても良い材料になる。

【日本への提言(アーミテージ・ナイ報告)】
(1)原子力発電の慎重な再開が、日本にとって、正しくかつ責任ある、第一歩である。
 原発の再稼動は、温室効果ガスを2020年までに25%削減するという、日本の国際公約5を実現す
 る唯一の策であり、円高傾向の最中での燃料費高騰によって、エネルギーに依存している企業の
 国外流出を防ぐ、懸命な方策でもある。
 福島の教訓をもとに、東京は、安全な原子炉の設計や健全な規制を促進する上で、リーダー的役
 割を果たすべきである。
(2)日本は、海賊対処、ペルシャ湾の船舶交通の保護、シーレーンの保護、さらにイランの核開発
 プログラムのような、地域の平和への脅威に対する多国間での努力に、積極的かつ継続的に、関
 与すべきである。
(3)環太平洋・戦略的・経済連携・協定(TPP)交渉・参加に加え、経済・エネルギー・安全保障・
 包括的・協定(CEESA)など、より野心的かつ包括的な(枠組み)交渉への参加も、考慮すべきで
 ある。
(4)日本は、韓国との関係を複雑にしている、「歴史問題」を直視すべきである。
 日本は、長期的・戦略見通しに基づき、韓国との繋がりについて考察し、不当な政治声明を出さ
 ない、ようにするべきである。
 また、軍事情報・包括保護・協定(GSOMIA)や物品・役務・相互提供・協定(ACSA)の締結に向
 けた、協議を継続し、日米韓3か国の、軍事的・関与を、継続すべきである。
(5)日本は、インド、オーストラリア、フィリピンや台湾等の、民主主義のパートナーとともに、
 地域フォーラムへの関与を、継続すべきである。
(6)新しい役割と任務に鑑み、日本は、自国の防衛と、米国と共同で行う、地域の防衛を含め、自
 身に課せられた責任に対する、範囲を、拡大すべきである。
 同盟には、より強固で、均等に配分された、相互・運用性のある、情報・監視・偵察(ISR)能力と
 活動が、日本の領域を超えて、必要となる。
 平時(peacetime)、緊張(tension)、危機(crisis)、戦時(war)といった、安全保障上の段
 階を通じて、米軍と自衛隊の全面的な協力を認めることは、日本の責任ある権限の一部である。
(7)イランが、ホルムズ海峡を封鎖する意図、もしくは兆候を、最初に、言葉で示した際には、日
 本は、単独で、掃海艇を、同海峡に、派遣すべきである。
 また、日本は、「航行の自由」を確立するため、米国との共同による、南シナ海における監視活
 動に、あたるべきである。
(8)日本は、日米2国間の、あるいは、日本が保有する、国家機密の保全にかかる、防衛省の、法
 律に基づく、能力の向上を図るべきである。
(9)国連・平和維持・活動(PKO)への、さらなる参加のため、日本は、自国PKO要員が、文民
 他、他国のPKO要員、さらに、要すれば、部隊を防護することができるよう、法的・権限の範囲
 を、拡大すべきである。
以上。


***国際機関は、依然として、日本を敵と見做している

現在、日本には20を超える国連諸機関の事務所がある。
国際連合/UNは、サンフランシスコ会議で設立された。
「連合」の構想は、大東亜戦争中に始まり、終戦前に発足が決まった。
当初は、文字通り、 The United Nations であり、「連合国」であった。
それは、白人至上主義に基づくものであった。
そこには「国際」という意味はなく、大東亜戦争で日本と敵対し、戦った、
欧米列強の「連合国」(United nations)そのものであった。
主要機関は、安全保障理事会である。
安全保障理事会は、「国際平和の維持」に特化した役割を持つ。
5大国一致が原則で、本部は、ニューヨークに置かれた。
最初から、資本主義国のアメリカと社会主義国ソ連が同席し、共同した。
いわゆる敵国条項がある。
敵国とは、大東亜戦争で、「連合国」の敵であった国、
つまり、日本、ドイツ、ルーマニアブルガリアハンガリーフィンランド、である。
敵国に対しては、加盟国は「連合国」決議が無くても行動できる、と規定している。
この条文は、まだ生きている。

紛争解決と称して、「連合国」は、日本に、武力行使できる。
しかも、その後、「連合国」の編成が変わった。
中華民国」から「中華人民共和国」に、「ソ連」から「ロシア」に交替した。
この時、「中華人民共和国」と「ロシア」は労せずに、特権を得た。
この2国は、紛争解決のために、敵国である日本へ、決議が無くても武力行使が可能になった。
アメリカは、「中華人民共和国」と「ロシア」の托卵(たくらん)を承認した。
米ソの冷戦が終結すると、地域紛争が発生し、「連合国」の平和維持活動が増えた。
また加盟国が増加した。敵国であった日本もドイツも加盟した。
反面、アメリカの「連合国」離れが起こり、単独行動に走る傾向が強まった。
次第に、「連合国」は変容しながら、拡大していった。
そのために「現・連合国」と「旧・連合国」の世界戦略が必ずしも一致しなくなった。

アメリカの「現・連合国」離れ、「現・連合国」批判の強まりが見られる。
先進国首脳会談(サミット)は、「連合国」を多数の途上国が占めたことに対する、
「旧・連合国」側の巻き返しと考えることもできる。「旧・連合国」中心主義が揺らいでいる。
「現・連合国」の課題は、平和維持だけでなく、
人権、民族対立、人口、資源、環境と幅広くなっている。
しかし、いわゆる敵国条項は、生きたままで、残されている。
つまり、紛争解決のために、加盟国と「安全保障理事会」は日本に対して、
決議が無くても武力行使できる。
大東亜戦争時の世界の対立構図は、依然として、継続している。
敵国条項を削除するか、無力化しない限り、全方向から、
あらゆる武器の発射口が、日本に向けて、集中しかねない仕組みが、温存されている。


***北方領土の占領は、米・ソによる共同作戦だった

ソ連北方四島占領、米が援助、極秘に艦船貸与し訓練も』2017/12/30 北海道新聞によれば、(要約抜粋)
1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島・占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していた。根室振興局が、明らかにした。
米国は、ソ連の対日参戦に備え、艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っていた。四島占領の背景には、米国の強力な軍事援助があった。
ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、米・ソは、「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。
米国は、45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与した。
4~8月には、ソ連兵約1万2千人を、米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1,500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たった。
訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は、樺太南部や千島列島の作戦に投入された。
こうした歴史的・史実が判明したのは、根室振興局が2015年度から取り組む北方領土・遺産発掘・継承事業がきっかけ。
イーゴリ・サマリン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の論文「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」(2011年3月)に米艦船が含まれていることが分かり、経緯を探るうち、米ソの極秘プロジェクトの内実を書いた元米軍人リチャード・ラッセル氏の著書「プロジェクト・フラ」(03年)を米国から取り寄せ、国後島の地元紙「国境にて」の過去記事など各種資料と照らし合わせ、四島占領作戦での米艦船の使用を突き止めた。
北方領土問題・発生の責任の一端が米国にもあることが示された。
米国は、日米開戦前から表明していた「領土不拡大」の原則を曲げて、千島列島を取引材料に持ち出し、同じ連合国だったソ連から対日参戦の確約を取り付けた。
北方領土問題の発端に深く関与していた、米国の責任は、ソ連側に匹敵するほど、大きい。
(相内亮)
以上


***デジタル戦争の脅威

宇宙衛星や通信手段、電子機器の高度化は、
膨大な個人情報の集積と結び付くとき、
便利さと快適さをもたらす一方で、情報が漏洩した時の損害は大きい。
また人々の管理・監視を可能にする。
電子的な携帯機器の高度化は、それが乗っ取られるならば、
あるいは作動不良にされるなら、
人々の生活を容易に混乱させる。
また小型機器の普及と拡大は、利用者を的にした、武器や兵器に転嫁する可能性がある。
便利さ、快適さだけに目を奪われると、
国家と国民の安全確保が疎かになる危険性を秘めている。
便利さや快適さは、それを使った犯罪行為をも、便利で快適なものにする。
防御プログラムは、防御者を攻撃するプログラムへ、切り替わる。
不便で、多少不満が残る程度の方が、安全なのだ。
怪物や悪党は、力を強め範囲を拡大しながら、
国民の日常生活の安寧を密かに脅(おびや)かしている。


***太平洋戦争の呼び方は正しいか?

大東亜戦争、この名称は、戦後、GHQによって禁止され、
「太平洋戦争」とすることが強制された。
「大東亜」を「太平洋」に挿げ替えることで、日本国民の視点を変えようとした。
重点は、「大東亜」というアジアには無く、「太平洋」の向こう側のアメリカにある、と。
大東亜とは、
インドから東南アジア、支那大陸、そして日本列島に至る、東アジアを指した。
日本は、大東亜戦争での勝機を、インド洋の制覇に、インドの独立にあると考えた。
しかし、英傑とされる、山本五十六は、無謀にも、太平洋に固執し、海軍を道連れにした。
真珠湾への攻撃は、「騙し討ち」のプロパガンダとして利用され、アメリカを大いに利した。
西方には勝利の女神が、東方には敗北の魔神が待ち受けていた。
戦後、「大東亜戦争に突入する2年前、陸軍内部に戦争準備のため、密かに経済謀略機関が作られた。いわゆる秋丸機関である」。
「この機関は、英米の経済力を調査したが、結果、到底勝ち目がないとの結論が出た。しかし当時の情勢から、調査結果は闇に葬られ、太平洋戦争へと突入していく」とされている。
しかし、日本は、単なる勢いや感情に絆(ほだ)されて、戦争したのではない。
小さい針の穴を狙うように、困難ではあっても、勝利の可能性を追求していた。
しかし、英傑とされる山本五十六は、なぜか執拗に、太平洋に拘った。
航海図には、メルカトル図法が使われる。
メルカトル図法の中心をメソポタミアに設定するなら、
大東亜戦争にとって、インド洋が、肝心要であることが、簡単にわかる。
山本五十六には、インド洋の重要性が、分かっていたはずであった。
英米・合作・経済・抗戦力・調査】の結果によれば、
「対英・戦略は、…生産力の破壊および海上遮断を強化徹底する…、属領、植民地に対する戦線を拡大して抗戦力の給源を切断して、経済の崩壊を策することもまた極めて有効なり」とし、
「米国は、これに対する戦略は、軍備強化の余裕を与えざるとともに、これが離間に努むるを至当とす」としている。
つまり、短期戦なら、
イギリスに対しては、インド洋の「海上遮断を強化徹底する」なら有効であり、
アメリカに対しては、「離間に努むるを至当」だから、戦争をするな、と提言している。
日本は、大東亜戦争での勝機は、インド洋の制覇にあり、太平洋にはない、と考えていた。
しかも、狙いの対象は、経済であり、それは、人ではなく、物資であった。
秋丸信夫氏は、父親について、次のように語っている。
生前「もっと要領よく立ち回って、御用学者でも集めればよかったのに」と意地悪な質問をしたことがある。それに対し「いや、日本には戦争経済という概念がなかった。学問的に確立する必要があった。そのためには新進気鋭の学者を起用したのだ」と生まじめに答えた。
起用した新進気鋭の学者には、戦争に反対して何度も逮捕された、左翼的な研究者もいた。
このように、日本人は、先人達は、戦争と真面目に向き合っていたのだ。

英米合作経済抗戦力調査 要約抜粋】の結論は、
(三) 英米各々想定規模の戦争を同時に遂行する場合には、開戦初期に於いて米国側に援英余力なきも、1年から1年半後には英国の供給不足を補充してなお第三国に対し軍需資材の供給余力を有す。
(四) 英本国は想定規模の戦争遂行には、完成軍需品の海上輸送力がその致命的戦略点(弱点)を形成する。
(五) 米国の保有船腹は、自国戦時必要物資の輸入には不足せざるも援英輸送余力を有せず。従って援英物資の輸送は英国自らの船舶に依るを要するも、英国抗戦力は急激に低下すべきこと必定なり。
(六) 英国の戦略は、軍事的・経済的強国との合作により、自国抗戦力の補強を図るとともに、対敵関係に於いては自国の人的・物的損耗を防ぐため、武力戦を極力回避し、経済戦を基調とする長期持久戦によりて戦争目的を達成するの作戦に出づること至当なり。
(七) 対英戦略は、英国抗戦力の弱点たる人的・物的資源の消耗を急速化するの方略をとり、空襲による生産力の破壊および潜水艦戦による海上遮断を強化徹底する一方、英国抗戦力の外廊をなす属領、植民地に対する戦線を拡大して全面的消耗戦に導き、かつ英国抗戦力の給源を切断して、英国戦争経済の崩壊を策することもまた極めて有効なり。
(八) 米国は自ら欧州戦に参加することを極力回避し、その強大なる経済力を背景として、自国の軍備強化を急ぐとともに、反枢軸国家群への経済的援助により交戦諸国を疲弊に陥れその世界政策を達成する戦略に出づること有利なり。これに対する戦略はなるべく速やかに対独戦へ追い込み、その経済力を消耗に導き軍備強化の余裕を与えざるとともに、自由主義体制の脆弱性に乗じ、内部的撹乱を企図して生産力の低下および反戦気運の醸成を図り、併せて英・ソ連・南米諸国との本質的対立を利してこれが離間に努むるを至当とす。


***大東亜戦争の史実。近隣に目を奪われるな!。世界史的に見ること

大東亜戦争が起きた時、
東南アジア諸国やインドは、悉く欧米諸国の植民地にされ、
一方的に収奪され、苦しめられていた。
当時の独立国は、タイと日本だけであった。
これに危機感を抱いた日本は、大東亜から欧米諸国の植民地主義を追い出し、
日本を中心とする、各国の共同体である「大東亜共栄圏」を築くために動いた。
タイと日本は同盟関係を結んだ。
日本が侵攻した東アジアにあったのは、英・米・仏・葡などの国々であった。
この戦争中に、日本は、欧米諸国の植民地政府を追い出し、
それぞれの地域の住民による政府と軍隊の創設を支援した。
こうして、戦時中から、東アジア各国は、徐々に、独立を勝ち取って行った。

アジア諸国は、戦後ではなく、戦時中から、独立し始めた。
これが、大東亜戦争が持つ世界史的な意義であり、史実であった。
また日本にとっては、ÅBCDの経済封鎖網に対抗しての自衛戦争であった。
ÅBCDは、アメリカ、イギリス、支那、オランダのことであり、
支那(中国)は、アジア諸国を裏切り、欧米に味方した。
中華思想とは、所詮、お山の大将、でしかなかった。
大東亜戦争が、日本が自衛のために行ったものであることは、マッカーサーが米・上院で証言した。
真珠湾攻撃を奇襲、とする非難は、ハワイ王国を乗っ取ったアメリカが、
ハワイ国民を犠牲にして、自国への攻撃と認めたものだ。
事前に情報を知っていた、非情なアメリカの、巧妙な戦略的プロパガンダであった。
戦後、日本は、事実上、アメリカの属国になり、
その綿密な植民地政策に拘束されてきた。
そのため種々のいびつな事態が生じた。


***アメリカが脅威を抱く、想像を絶する「日本の歴史と伝統」の奥深さ

GHQアメリカは、
日本と日本人の精神を養い、高める、知的財産である文献を処分した。
それを迅速に可能としたのは、日本の最高学府で教鞭に立つ左翼的な知識人たちで、
人の目に触れない旧帝国図書館内で、蝙蝠(こうもり)のように飛び交い、
せっせと手助けした。
彼らは、後に、日を浴びて教授になり、学長になり、最高裁判所の長官になり、
中には、勲章を授与された者もいた。
アメリカが行う焚書を手伝ったのは、戦後に、エリートと言われる人達であった。

焚書の対象になった本の中に、天孫人種六千年史の研究、があった。
著者の三島氏は、「日本人シュメール起源説」を論じた。
彼は、日本に到着したのはシュメール人だけではない、と考えていた。
大陸の東端にある日本列島には、様々な民族が渡来、あるいは漂着していたことに注目した。
たとえば、倭人には前インドのクメール族があり、隼人と前・出雲にはマラヤ・ポリネシヤ族、
後・出雲には朝鮮ツングース族などである。

この本の研究者による要約では、次のようになる。
【古代の日本列島には様々な民族が渡ってきた。
建国の大業を成し遂げた人種は、世界の諸文明の祖であるシュメール系民族だった。
彼らは、今から数千年前その大宗家たる皇室を戴き、
人類文明発祥の地である西にあるメソポタミアの「豊葦原の瑞穂の国」から、
日出ずる東の「豊葦原の瑞穂の国」に移住し、
シュメール人が抱く本来の大理想を表現するために、この日本を築いた】……と。
これは、当時、100万部の大ベストセラーとなり、戦前の日本国民は、この本で、
日本人は様々な民族の混血で、同じ日本人として、共に暮らしていることを知っていた。
日本人のルーツを解明するもので、軍国主義とは何の関係もなかった。

この本の研究者は、次のようにも述べている。
【縄文の漆文化は、12600年前からあり、当時の日本で稲作をしていた。
熊本大学の研究によれば、
証拠品であるプラントオパールという、稲の化石が見つかっています。
ですから、シュメール文明のはるか前から日本に文明がありました。
そうなると、農耕などの文明がむしろ日本から出てオリエントに伝わった可能性があるのです。
シュメール人は、大昔に日本から大陸に行って、また日本に帰ってきた、
帰国組の可能性も強いのです】。

福永晋三氏によれば、阿毎字多利思比孤(あめのたりしひこ)天子=聖徳太子は、「日出ずる處の天子、書を日没する處の天子に致す。無恙きや」と、隋に国書を送った。
聖徳太子は、10人の言葉を聞き分けた。
当時の日本には多数の言語が飛び交っていた。
聖徳太子の時代にも、日本には、多くの民族がいた。
聖徳太子の十七条憲法の一には、
「仲良くすることを、何よりも大切なものとし、争いを起こさないようにしなさい。人は誰もが集団に属しているが、仲良くしようとするものは、少ない。
そのため、父である君主に従わなかったり、周囲の人々とも揉める。
それでも、上位の者が温和で荒立てず、下位の者に親しみを持って接し、打ち解けて話し合うなら、自然と理解し合える。
そうすれば、どんなことも成就(じょうじゅ)する」とした。(意訳)
天皇である阿毎字多利思比孤(あめのたりしひこ)=聖徳太子は、憲法で、真っ先に、
異民族の有力氏族に囲まれた政権の、理想的な方針を掲げた。

ちなみに、【世界大百科事典、新撰姓氏録(しんせんしようじろく)の帰化人】によれば、
弘仁年間(810‐824)に編纂された《新撰姓氏録》をみると,
そのころ京畿在住の氏族で系譜の確認されたもの1065氏のうち,
諸蕃すなわち帰化系氏族は326氏で,全体の約30%を占めており,
その内訳は、漢(周や秦、呉、魏、隋、唐などを含む。引用者注)163氏,百済104氏,高麗41氏,新羅9氏,任那9氏となっている。【関 晃】。

戦前には、「日本人シュメール起源説」を論じたものは他にもいくつかあった。
人類で初めて鉄製の武器を使用した、ヒッタイトも日本にやってきていた、と。
GHQアメリカは、戦後の日本人が本当のことを知るのを、恐れた。
学問や学術が歪(ゆが)み始めた。研究者の良心が真実から離れだした。
何より日本国と日本人を不幸にしたのは、東京裁判極東国際軍事裁判)であった。
それは、欧米諸国が大東亜戦争に負けた日本に、
白人至上主義による侵略と略奪、植民地支配で行った数々の残虐な行為の罪を、
全て、日本国とその軍人及びその協力者に転嫁するものであった。
しかし、それは序の口であった。
本当の狙いは、信じ難いほどに深く長い、「日本の歴史と伝統」を、消し去ることであった。


***大東亜戦争とは何か

大東亜戦争には2つの側面があった。
一つは、いわゆる、軍国主義である。
その背景には、明治維新によって誕生した薩長政権が目論んだ、朝鮮や満州方面への侵略の野望がある。
それが明確になったのは、昭和時代で、軍部が台頭し、政治的に制御できない存在となった。
それを推進したのは、天皇に対抗心を抱き、放送局を上手に利用した皇族と、革命のために戦争を利用する計画を秘めた、新聞社出身の共産主義者ソ連のスパイ達であった。
そして、海外に利権を求めた日本の財閥であり、その背後には欧米の財閥がいた。
ところが、独走した軍部にさえ、協和主義、共存共栄の精神が生きていた。

二つめは、日本の国家と国民の安全と生存を保持するための、自国防衛主義である。
日本を防衛するためには、アジア諸国との連合が必要だと考えた。
しかし、肝腎のアジア諸国のほとんどが、既に、欧米諸国の植民地になっていた。
タイと同盟関係を結んだが、他の近隣諸国は、著しく、独立の気概に乏しかった。
独立したアジア諸国の連合を創設するためには、
各国の政権を支援し、インフラを整備し、教育や医療の設備を整える必要があった。
インフラを日本と同程度に引き上げる必要があった。

軍国主義と協和主義の併存は、大東亜戦争を、世界的にも、例のない、不可思議なものにした。
利権主義を追求する財閥が影響力を持っていたため、
様々な問題を残したが、各国との共存共栄を目指した、特異な軍国主義となった。
大東亜戦争は、日本が、総じて、国防のために、国家を挙げて行った。
それは、欧米諸国の、残虐な、植民地政策との戦いであった。
日本国民は、欧米人による惨殺、凌辱、略奪から逃れるために、必死となった。
大東亜戦争は、アジア諸国と共存共栄するために行った、日本流の、例のない侵略であった。


***東京裁判で犯罪とされたのは「日本の歴史と伝統」

いわゆる東京裁判は、公正を装って、
欧米列強の白人至上主義と戦った、勇敢な指導者達を、戦争犯罪人に仕立て上げた。
裁かれたのは、日本の軍国主義とされた。
それは、欧米の白人至上主義者たちが、寄り集まって行った、非白人である、
有色人種である日本人に対する、リンチ、私刑であった。
戦争犯罪人として巣鴨拘置所に収監されたが、釈放された人々がいた。
彼らは、ほとんどが朝鮮系日本人で、戦中に膨大な財産を築いた者たちであった。
莫大な財産はヘロインによって作られ、その一部は、自民党の設立に使われた。
自民党の背後には、アメリカが、CIAがいた。
その後、彼らは、政界やメディア界に進出し、首相になり、新聞社の社主になった。
外の者は、右翼の大物となり、また特権を得て、私営ギャンブルで膨大な財を成した。
彼らの共通点は、戦後も朝鮮と強く結びつき、またアメリカに裏から協力し続けたことである。
また、支那大陸で生体実験を行った731部隊を主導した者たちは、責任を問われることなく、
その後、病院長となり、あるいは大学の医学部で教授となった。

大東亜戦争の前から、日本は一貫して、「人種差別撤廃」を主張してきた。
領土獲得を求めず、略奪せず、真正面から堂々と理念を掲げて、
欧米の白人至上主義と戦った、非白人の国家は、それまで存在しなかった。
欧米こそが最高の存在と信じてやまない、自分たちの行いが正義であると信ずる、
欧米の白人至上主義にとって、これは脅威であった。
軍国主義、という決めつけは、
彼らが野蛮な存在と思い込んできた、有色人種である日本人を、
事実上、自分たち白人を脅かす存在、と認めるものであった。
GHQアメリカが恐れたのは、
日本の対等主義であり、共存共栄の思想であり、
集団を作りながらも、一人一人が個性を発揮した、勇猛果敢なサムライ魂であった。
東京裁判で裁かれたのは、
日本の国家と国民を形成した、日本の歴史と伝統であった。

日本の歴史と伝統は、ねつ造され、明治維新東京裁判とで、二重に上書きされた。
日本の歴史と伝統の復元と深化発展は、戦後の国民に、最重要の課題として残された。
軍国主義という用語は、
これまで否定的なイメージを作り上げるために、利用されてきた。
しかし、日本の国家と国民に投げつけられた、この蔑称は、実は、名誉なことであった。
この軍国主義は、白人至上主義に対峙するもの、に授けられた、称号であった。
それは、日本の軍国主義が、欧米人に恐怖感を抱かせたことの表現であった。
日本の軍国主義には、歴史と伝統が、まだ生きていた。
日本の国家と国民には、その軍国主義には、人は対等であるという精神が、
息づいていた。また、そこには、侍の精神が貫かれていた。
日本の軍国主義の実態は、これであった。

日本軍ほど、信義を重んじ規律正しい軍隊は、世界にも稀であった。
サムライ魂の根底には、人は対等である、とする、日本思想があった。
それは、先人達から引き継いだ、日本人が誇りとすべき、神髄であった。
日本を弱体化させるには、武装を解除する必要があった。
傀儡政権を作る必要があった。
侍の精神に溢れた、軍国主義の指導者たちを、排除する必要があった。
人は対等であると語り伝える、歴史と伝統をなくす必要があった。
日本国家の一体性を、粉々に、突き崩す必要性があった。
そのために焚書を行い、公職を追放し、
代替として、左翼的な知識人と在日の韓国人、朝鮮人を、取り立て、優遇した。
歴史と伝統を否定する、生粋の日本人とは異質な人々が、日本の国家を操り始めた。
こうして、アメリカの、新たな覇権主義が動き出した。
東京裁判は、その転機、であった。
東京裁判は、質的に変化した、新たな覇権主義の始まりを、告げるものであった。
それは、アメリカによって、巧妙に仕掛けられた。
それまでの植民地政策を質的に変容する、高度な植民地政策の始まりであった。


***日本を植民地とする巧みな政策

アメリカの占領政策は、日本国の中枢にあった軍人と、その他の国民とを、
巧妙に、意図的に、分断する作戦を採った。
悪いのは、戦争を煽った軍人とその協力者であり、
それ以外の人々は、巻き添えを食ったのだから、責任がないのだ、と。
この、国民を二つに分断する、作戦は、
戦中、日本の共産党のリーダーが、支那大陸で、
中国共産党の下で、日本兵に行っていた方法を、取り入れたものであった。
その結果、多くの日本人は、
処刑された軍人とその家族の方々に、顔向けできない心理状態に陥った。
また、国民のために戦地と内地で奮闘し、死傷していった、
兄弟や親類縁者、そして友人や知人に対して、申し訳が立たないものとなった。
何もかも日本が悪かった、という犯罪意識を刷り込まれ、
意図的に仕組まれた、日本が悪かった、という自虐史観に導かれた。
小事があたかも大事であるかのように洗脳され、
当時の日本が置かれた世界的な状況を、国民が置かれた危機的な状況を、
客観的に把握することができなくなった。

それでも大東亜戦争は、総じて、世界中に蔓延していた、
有色人種を人間として扱わない、人種差別、白人至上主義による植民地主義に、
一矢を報いるものであった。
大東亜戦争、この戦いは、2個の原子爆弾が投下されるまで続いた。
原子爆弾の投下は、日本に戦闘能力が既に無いのを、承知で行った。
これは、戊辰戦争と同様、敵に、決定的なダメージを与えるためのものであった。
それは、有色人種を試験用のマウスに見立てた、情け容赦のない、非人道的な実験であり、
かつ、新たな覇権争いで優位に立つための、手段でもあった。
大東亜戦争後の、欧米の覇権争いは、すでに始まっていた。
アメリカは新たな覇権争いの先陣を切った。アメリカは巧者だった。
日本で進んでいた核兵器開発の器具や関連する資料等を直ちに没収した。
また731部隊化学兵器の開発は、アメリカ本土へ引き継がれた。
それでも大東亜戦争は、大きな犠牲の上に建てられた、
地球を覆った巨大な、人種差別の、壁に切り込んだ、
小さいが、大きく拡散する、光の通り道を作るものであった。
それは、日本で縄文時代から連綿と続く、
世界が一つの家族のように生活するという、自立した国家の連合体を作るという、
崇高な、八紘一宇の理想を掲げた戦いであった。

日本は、大きな危険の渦に、飲み込まれそうな状況になっていた。
その状況下で、「戦争反対」を唱えることは、耳障りは良いが、
欧米列強に無防備に屈服すること意味した。
それは略奪、凌辱、残虐な行為を招き入れ、奴隷として、
大切な国家の利益と国民の財産や身体・生命までも、言われるままに、差し出すことを意味した。
反戦を唱道するもの達は、愚かにも、国内の戦闘を革命に転化・利用できると考えていた。
非力な彼らは、当時アメリカを支配していた、強力な共産主義者と共同して、
自分たちの政権を打ち立てることができると、安易で、密かな妄想を抱いた。
しかし、賢明なアメリカが欲しかったのは、自分たちの言いなりになる、愚かな政権であった。
これがコミンテルンの実態であった。強者が独占した。そこには選良優越主義があった。
日本の共産主義者は、唯物論者であるにもかかわらず、概念の世界でゲームに熱中した。
戦後の歴史教育は、戦争の史実を覆い隠し、ねつ造してきた。
日本の歴史を、世界史の中で、的確に位置付けることを避けた。
また、戦争は悪いものだ、という心情に訴えることを主眼とした。
さらには、史実を平気で書き換えた。
全て、戦争で覇権を握った、白人至上主義を一方的に利するものであった。
それは「人種差別撤廃」を主張し続けた先人達の偉大さに
まともに焦点を当てない、祖先を貶める、ものであった。
こうして戦後の日本では、大東亜戦争について、真実を語ることがタブーとなった。

だが、世界的に、覇権主義はそのまま幅を利かせてきた。
東京裁判で、白人至上主義が、その植民地主義が、人種差別が
罰せられることはなかった。戦争犯罪人は、真犯人は、別にいた。
それは、日本にお仕着せた犯罪は、冤罪、であったことを意味する。
白人至上主義に基づく覇権主義に突き動かされる、
国家間の勢力争いは、現在に至るまで、止むことはなかった。
冷戦として、熱い紛争として、間然として継続してきた。
アメリカに、事実上、支配され続けた日本の現実としても。
GHQアメリカは、日本人の公職追放を行った。
教育界、政界、司法、行政等から日本人を締め出し、
開いた席には、左翼的な日本人や在日韓国・朝鮮人を据えた。
アメリカを実際に代表したのは、マッカーサーではなく、情報参謀のウイロビーであった。
そのウイロビーの上司は、財閥のロックフェラーである。
GHQアメリカは、韓国と朝鮮を上手に使い始めた。
強制的に追放されたのは、いわゆる軍国主義の思想を持ったもの20万人以上。
密告の危険を察して自ら身を引いたものは数十万人。
有能な人材が、表舞台から引きずり降ろされた。
戦後復興の中軸となる要職は、GHQに擦り寄った者と在日・韓国・朝鮮人が占めた。
公職追放は、日本の戦後復興を、精神的にも人的にも、大きく阻害する政策であった。


***日本人が意識しない日本の国体の正体

日本は、大東亜戦争で敗れたが、その歴史と伝統を維持するものがあった。
それは、皇室が存続したことである。国民に一縷の望みをもたらした。
敗戦から立ち上がる大きな希望となった。
日本の国体とは、皇室と国民の一体性である。
日本の国体が護持されたというとき、それは日本が一体であり続けた事を言う。
それは、日本人の「柱」が守られたことを意味した。

天皇の役割は、日本人を一つにまとめ上げることである。
歴史と伝統を紡ぎあげてきた日本にとって、これは幸いであった。
日本は、「世界で唯一の単一王朝国家」であり続けることが可能になった。
海外の王室は国民と契約関係にある。
しかし、日本の皇室と国民との間には、契約関係がない。
天皇は、仁徳であることを心掛ける。
天皇は、国民の安寧と繫栄を願い、国民はその期待に応える。
在るのは信頼関係だ。

マッカーサーは知っていた。天皇には、政治的に実権が無かったことを。
そして知った。天皇は、戦争におけるあらゆる責任を、一身に負う決断をしていたことを。
軍人であるマッカーサーは、せめて一つだけでも残そうと考えた。
それは、サムライのような、軍人の魂であり、潔さであった。
日本国民の「柱」としての支えを存続させた。これは奇跡であった。
日本は密かに息づいた。
世界にこのような国家は存在しない。
日本の一体性は、世界でも特異な存在である。

祭政一致は、司祭者が政治権力を保持する神権政治をいう。
政治(まつりごと)には、祭祀政治と権力政治の2種類がある。
ほとんどの国家は、政教分離が普通になるまで、権力者が祭祀と権力の最高位を独占した。
しかし、日本では、古くから、祭祀政治と権力政治は、分離して、併存してきた。
日本の天皇は、権力政治に拘泥しなかった。
「民」の自由な在り方を尊重した。
天皇は、宗教対立に、国家と国民の分断に、与(くみ)しなかった。
宗教対立は、国民を分裂させ、国家を不幸にするからである。
天皇は中立であることを基本とした。
中立とは、国民に対して公平であること、
特定の国民や集団、組織などに肩入れしないことである。
天皇は、権力の運用を、国民の才覚と判断に任せた。
「民」は切磋琢磨した。

国民には広く可能性が生まれた。日本が大きく成長できたのは、この為である。
権力者は、時折り、天皇を仰ぎ見ることで、施政の誤りを反省してきた。
この世は無常である。盛者必衰である。権力者もその理(ことわり)を理解していた。
日本では,先人や祖先の神々を祀ることが、政治の根本にあった。
政治を「まつりごと」と言うのはそのためである。

日本列島は、地震津波、火山の噴火や台風の襲来、地滑りや洪水、飢饉、外敵など、
考えられる、あらゆる災厄に襲われる地域である。
祭祀は、国民の生活が豊かで,社会が平和になることを、神に祈る。
天皇は、自身の住む屋敷が雨漏りしても、構わずに、草民の暮らしを慮った。
家長である天皇は、子供たちの暮らしぶりを気遣った。
そこには草民が抱く、理想の、天皇像があった。
国民は天皇を尊崇してきた。

天皇が神に、子供たちの安全と豊かな暮らしを願うから、国民は安心して生活できた。
これが天皇の政治である。
この思想こそ「皇室」による国家統一の支柱であった。
律令制の時代において、神祇官太政官を並べて設置したのもそのためであった。
日本では、天皇と国民との間には、共通の理想像があった。
それは、民の生活を慮って、3年間、税を取り立てなかった天皇の思いであり、
雨漏りする宮殿に住み続けた、天皇に対する民の感謝である。
民を思いやる天皇を、仁徳、といった。

福永晋三氏の「真実の仁徳天皇」よれば、
史実としては、宇治天皇=太子菟道稚郎子こそが、初代の正当な仁徳天皇であった。
日本国民は、天皇に、仁政を、賢聖を求めた。
天皇に不幸をもたらしたのは、天皇を「現人神」とし,その親政を求めたことである。
明治政府は、挙国一致と称して、天皇を権力争いに巻き込んだ。
天皇を、日本の「柱」を、正当性の証として、表舞台に担ぎ出しからである。


***明治維新は「日本の歴史と伝統」を歪めた

天皇を政治利用する動きは、江戸幕府の時代から始まっていた。
中心となったのは、薩摩と長州であり、吉田松陰とその門下生たちである。
彼らは、北海道や琉球朝鮮半島から満州への進出と侵略を夢見ていた。
江戸時代には、既に、様々な文化や科学技術が高度に発展し始めていた。
明治維新の志士たちはそれを、横取りして、自分たちの手柄にした。
明治維新の実態は、朝鮮系日本人による日本の乗っ取りである。
朝鮮系日本人を財政面で支援したのは、アヘンで富を作った、イギリスの財閥だった。
幕藩体制を崩壊させて、中央集権国家を設立する中心になったのは、薩長藩士である。
薩摩藩長州藩には、国内と国外に対する、利権的な拡張政策の野望があった。
背後には、イギリスの武器商人が付いていた。
坂本龍馬は、金儲けのために、イギリス商人の手先として、倒幕のための武器を斡旋した。

明治維新によって、新たに階級制度が作られた。
明治十九年(1886年)に「華族世襲財産法」が制定され、
いわゆる「薩長土肥」の出身者が大量に「勲功華族」となった。
松陰の門下生たちの多くが、政権の中枢にいて、特権階級となった。
そして、明治二十二年の大日本帝国憲法の制定によって、
吉田松陰に感化された華族たちは、皇族や勅選議員と同様、貴族院議員になった。
初代総理大臣となった伊藤博文や、外務大臣井上馨もイギリスに秘密で留学するなど、
イギリスの財閥は、明治政府の重鎮たちを、その影響下に置いた。
これ以降、薩長出身の華族は、上院である貴族院を舞台に、政治を切り盛りした。
明治維新は、薩長同盟による、クーデターである。
薩長出身者の多くが、朝鮮系の日本人であった。彼らは、両班に、華族になった。
彼らは、日本人に、なり切れていなかった。
薩長出身者による政権は、戦後も、続いている。

明治政府は、侵略の野望を抱く、松陰の門下生たちによる、利権政治を行った。
彼らは、天皇の名を表看板に掲げて、元老となり、実権を掌握した。
まず動き出したのは、薩摩の華族たちで、北海道開拓使の官有物払い下げ事件がある。
彼らは、国民の税金で始めた事業の成果を、格安で手中に収めようとした。
湧き上がる国民の非難の声を逸らすために、生み出したのが、大日本帝国憲法であった。
その内容は、杜撰なものであった。本当の狙いは隠された。
全ての法律は、帝国議会の議決を経る必要があったが、勅令や詔勅は除かれた。
最も重要なものは、規定されないか、勅令や詔勅を利用した。元老も詔勅で作られた。
天皇統帥権は、軍部を、政治的に制御できなくするための、仕掛けであった。
各大臣の輔弼を必ず必要とする、天皇が、直接、軍部を動かすことは不可能であった。
国政を、軍部を、正すのは、軍の配下にあった、国民の声だけになった。
貴族院衆議院は、憲法及び議院法に規定がないものについて、
内部の整理に必要な諸規則を定める事が出来た。

天皇が無答責とされたのは当然であった。
実権を持つ各国務大臣がその責任を負うのは、当たり前であった。 
全ての法律、勅令、その他、国務に関する詔勅についても、国務大臣の副署が必要とされた。 
天皇の諮問に応える形式で、枢密顧問は、重要な国務を審議することができた。
総理大臣のことを内閣首班と言った。しかし、内閣の首長であることを意味しなかった。
各大臣が個々に天皇に対して直接責任を負った。総理大臣は単なるまとめ役でしかなかった。
内閣は、大臣が一人でも反対すれば、「閣内不一致」で総辞職するしかなかった。
 
昭和になると、憲法の欠陥が明白になった。
軍部が大きな発言権を持ったが、政府は軍部を制御できず、軍部優先の国家体制になった。
支那大陸に進出した軍隊は、騒ぎを起こしながら、統帥権を盾にして進軍した。
昭和六年の満州事変。関東軍が柳条湖で満鉄の線路を爆破し、満州全土を支配下に置こうとした。
昭和十二年の支那事変。中央は、これを黙認し、ずるずると戦争に引きこまれる結果となった。
元老たちが、実質的に、天皇に代わって、憲法の欠陥を補う役割を担う形になった。
元勲と云われた特権階級に、元老たちに、絶大な権力が集中した。
イギリスに留学した、夏目漱石は、日本人が西洋にかぶれることを、危惧していた。
西洋は、金儲けの仕組みに溢れていた。人間を争わせる手段に困らなかった。
そこには、個人主義が、自己責任が、利己主義が、疎外が、孤立があった。
一つの家族は最小限に縮小された。その家族から外に出ると、人は独りぼっちになった。
強固な正当性を悪用した権力者たちによって、日本の歴史と伝統が歪(ゆが)められた。

日本人は、意外にも、無防備であった。
それは、「皇室」は、周囲の「子供たちに」に守られていたからだ。
今でも田舎へ行けば、他所から知らない者が来れば、すぐ村中にその情報が回る。
村人は、誰がどこで、何をしているか、何でも知っている。
何キロも先に住む住人の名前は勿論、家族構成や特技や趣味までも、知っていた。
自分たちの村や町は、自分たちで守ってきた。その伝統は、今でも、生きている。
そこには、「防御」と「助け合い」の精神がある。

「部落」をみんなで守るのは、当然、と考えてきたからだ。
だから「御所」には、防壁など作らなかった。
ここに、安全神話が生まれた。
周囲の環境は、次第に、変化していた。
人が多く集まるところは、特にそうであった。
人が密集すると、人の付き合いは無いのも同然となった。
日本人は孤立し出した。防御は個人の自己責任になった。
異国人が多数入り乱れると、言葉が壁となって、孤立は、驚くほど、加速した。

明治時代の権力者たちが求めた正当性には、2つの側面があった。
国内の政敵に対しては、自分たちの背後に天皇が付いていることを見せつけた。
諸外国との関係では、政権を握った者たちは、天皇の使者となった。
その背後には、甘い罠を囁く、欧米の財閥が控えていた。


***天皇と国民の歴史的な関係

日本国民には、古来から自由と民主主義が保障されてきた。
水呑み百姓でも、足軽でも、部落出身者でも、在日朝鮮人でも、あらゆる国民に、
天下を執ることが保障されてきた。
国政の過ちは、愚かな「子供たち」が自ら招いたことであった。
「家長」の天皇は、「子供たち」が冒した過ちを、自らの過ちとして、責任をとってきた。
日本国民は、自由と民主主義を求めて、天皇と対立する必要性がなかった。
自由と民主主義を拒んだのは、時の権力者であり、それは国民であり、天皇ではなかった。
日本に革命を必要としなかった理由は明白である。

古来から国民は自由で対等であった。国民の成長が国家の成長そのものであった。
皇室と天皇の存在は、日本人の誇りであった。
日本の一体性が保持されていることの証であった。
ここには、人類史上に例のない、歴史と伝統があった。
そこには、国民が自ら平和な楽園を築きあげることが可能な、日本独自の仕組みがあった。
人類の文明を開拓した、先人たちが考え抜いた、崇高な世界観が生きていた。


***明治維新天皇と国民の関係が一変した

明治政府の基本方針を示すものとして、1868年に明治天皇が示した、五箇条の御誓文、がある。
五箇条の御誓文
一、 広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ
一、 上下心ヲ一ニシテ 盛ニ経綸ヲ行ウベシ
一、 官武一途庶民ニ至ル迄 各其志ヲ遂ゲ 人心ヲシテウマサラシメンコトヲ要ス
一、 旧来ノ陋習ヲ破リ 天地ノ公道ニ基クベシ
一、 智識ヲ世界ニ求メ 大ニ皇貴ヲ振起スベシ

天皇と国民の関係に、欧米流の思想が持ち込まれた。
明治維新は、天皇と国民との関係を、一方通行にした。
「仁徳」ではなく「権力者」の関係を導入した。
明治維新を境に、国民は、全てを投げ出しても、天皇のために忠誠を尽くすものとされた。
天皇は、国民の幸福のためにあるのではなく、国民は天皇のためにある、とされた。
それまで天皇と国民との間にあった、共存共栄の関係は否定された。
家長と「子供たち」の関係が、断ち切られた。
天皇は上で、国民は下であることが、固定化された。

天皇は絶対者とされた。日本の歴史と伝統は曲げられた。
明治政府を掌握した薩長出身者たちの、侵略の野望を遂行するための、策略であった。
明治政府は、国家神道を推し進めようとした。
明治12年6月14日、陸軍省の達(たっし)甲で、招魂社は、靖国神社護国神社に改名した。
それは、招魂社を、神社に紛れ込ませ、国家の招魂社に、格上げするための策謀であった。
招魂社は、神社を、背乗りした。

江戸時代の末期に、長州の志士を祭るために誕生した、招魂社は、神社ではない。
招魂は、
日本の陰陽道では、衰弱している、生きた人間の活性化のため、
中国の道教では、死者の霊魂の離散防止のためとして、行われる。
神道の、生者と死者の双方に対する、鎮魂祭とは、別のものである。

【慰霊と招魂―靖国の思想】 (村上重良、岩波新書、要約抜粋)によれば、
「慰霊と招魂」だが、
これは、靖国神社に代表される「招魂」の思想というものが、近代日本国家による創作物であって、それは古来の神道民間信仰における「慰霊」の思想の伝統とは、根本的に別物だ。
「招魂」の思想の性格は、次のようなことに尽きている。
幕末維新期に生まれた招魂の思想は、
御霊信仰の広大で奥深い民衆的基盤を背景としながらも、
日本人の宗教的伝統はもとより、神道の伝統とも異質な観念へと展開し、
明治維新直後の神道国教化の過程で固定化した。
(中略)
招魂の思想、靖国の思想では、
天皇に敵対した者は、死後も未来永劫に「賊」であり、
その霊を供養し弔祭することなどは思いもよらぬことであった。

こういう特異な人間観、霊魂観は、
日本人が歴史とともに内にはぐくんで来たヒューマニズムを破壊し去ったのみでなく、
近代天皇制下の七〇余年にわたって、日本国民の人間性を歪め、人類愛を敵視して、
他民族、他国民とのあいだに人間としての共感を育てることを阻害するという、
おそるべき役割を果たすことになった。
(引用者注、「天皇に敵対」の部分は、「長州に敵対」と読み替えるのが適当か。松陰の門下生は、天皇を利用したが、尊崇の意思は無かったのでは。天皇を襲撃する計画を立てた。皇太子を襲撃した虎の門事件。皇室との結びつきを企む、天皇に謝罪を求める、朝鮮人と同じ。)

この著者が言うように、戦後の靖国参拝をめぐる問題は、
反対するものは「賊」とされ、日本国民を分断する、国内に紛争をもたらす火種となる。
靖国参拝が何を意味するのか、その本質を見落としてはならない。
本当に英霊を慰霊したいのなら、お祓いをして、他に安置すれば良いだけのことだ。
「日本の歴史と伝統」を貶めた者たちと英霊とを一緒に祭ることは、英霊を侮辱する。
また、この問題に天皇を引っ張り込むことは、国内を分断させる。


***東京裁判によって絞首刑となった、いわゆるA級戦犯七名の墓地

【宝善院住職 松下隆洪】によれば、
七名は昭和23年12月23日、巣鴨プリズン(跡地は現在「池袋サンシャインビル」となっている)で絞首刑のあと、横浜の久保山火葬場で火葬にされた。
日本占領軍・最高司令官マッカーサーは遺体も遺骨も家族への引渡しを拒否した。
そこで弁護士ら関係者数名は、クリスマスの深夜、浮かれる米兵の目を黒装束で身を隠し、文字どおり命がけで遺骨の一部を火葬場から奪取した。
遺骨はいくつかの地を流転したあと、昭和35年、関係者の努力で、愛知県幡豆郡幡豆町(はずぐんはずちょう)の三ヶ根山(さんがねさん)山頂に合祀墓がつくられた。
以来ひっそりと関係者、遺族により供養されてきた。
日本では、死者に対する招魂は、祖先に対する不遜な行為と考え、禁止してきた。
招魂は、死者の霊魂を、キョンシーとして蘇らせ、利用するものだからである。
招魂では、霊魂が死体から分離できないので、子孫に受け継がれることもない。
ここには、「日本の歴史と伝統」を否定する考えがある。
政府要人の靖国参拝は、この観点からも、再検討する必要がある。
大日本帝国憲法下で、神社に改名した招魂社は、
今の、日本国憲法の下では、神社の名称を、名乗るべきではない。
国民に信教の自由を保障し、国家の宗教を認めない日本国憲法の下では、
招魂社が、神社と名乗ることは、国民を欺くことで、犯罪である。

明治維新は、教育制度も一変させた。
文部科学省、学制百二十年史 第二節 明治維新直後の教育】によると、
明治新政府は、従前の幕藩制社会に対する抜本的な改革に着手した。
維新直後には「復古」の動向が顕著となっていたが、次第に、欧化へ転換した。
大学の編成においては、従前の国・漢・洋という国別の構成を採らず、教科・法科・理科・医科・文科の五科から成る欧米的な分科制を採用した。
新政府の教育政策が「復古」から「欧化」へと大きく転回した。
優位に立った洋学派と国学派・漢学派との対立が激しくなり、政府は、国学派・漢学派が本拠としている大学本校を閉鎖した。
大学の教育機能は、洋学機関のみによって代行的に担われることとなり、新政府の教育政策方針の転換は一層明らかとなった。
こうして、江戸時代までに築かれた、世界的にも先進的な、高度に発展した、
日本独自の、学問や研究、技術は蔑ろにされた。
欧米が崇拝され、思考が、視界が、極端に狭隘になった。
覇権主義者、グローバリズムにとっては、
国境も、自分たちとは違う思想も、歴史や伝統、そして文化も言葉も、
ただ邪魔なだけの障害物でしかない。


***東京裁判で戦争は決着したのか

大東亜戦争は、アメリカが主導した東京裁判で、
決着がついたように思われたが、実際には、何も解決していなかった。
領土の確定も不透明なままで残され、
戦争の火種は、そこ、ここに、残されたままであった。
ただ、一時休戦した状態に過ぎなかった。
新たな覇権主義の争いは、この日本を舞台に、開始した。
東京裁判は、アメリカが日本を植民地として扱いやすいようにするための、下工作であった。
アメリカは、日本を核の傘で守ると、甘い言葉で誘い、軍隊を要所に配置した。
中国共産党は、在日中国人や、日本国籍を取得した中国人や留学生等を足場に使い、
また日本の土地を買い占めることで。
韓国や朝鮮は、日本人の財産を奪いながら、公職追放時に国家の要職に潜り込んだ。
また中華思想の選良意識を抱き続けた、面従腹背の韓国・朝鮮人を使って。
そのため、官僚は、日本国民よりも、外国人に対して配慮するようになった。
ロシアは、シベリアに抑留した補償をすることなく、北方領土を切り札にして。
旧ソ連が盗み取った日本の領土は、北方四島だけではない。
南樺太占守島(しゅむしゅとう)から得撫島(うるっぷとう)に至る千島列島は、
勿論、日本の領土である。
サンフランシスコ講和條約で、日本は、南樺太・千島列島・北方四島、を放棄させられたが、
その講和会議には、旧ソ連は参加していない。
従って、「北方領土」と言うのは、本来、南樺太・千島列島・北方四島、を指す。
北方領土」は、ロシアにとって、国防上の、重要な地帯になっている。
独立国家と言えない日本のままでは、領土の回復は難しい。


***日本が戦争に負けた理由

日本が大東亜戦争で敗戦した理由には様々あった。
一国で欧米の連合を相手にした。
長州勢の侵略政策と軍部の独走に国民が鼓舞された。
戦線の拡大は、戦力を拡散させ、弱体化させた。
特に海外への進出は、支援物資の搬送が重い負担となった。
西のインド洋に勝利の波が残されていたが、何故か、海軍大将は、東の波に拘った。
不慣れな戦地には兵隊を苦しめる病原が潜んでいた。
海外に進出する前に、まず、国土を固めるべきであった。
「知らす」統治の仕方は、利権のためには非常に効果的であったが、
独立・共存・共栄のためには、統治下の国民にその意欲がなければ、効果的でなく、
資金面、人力面、物資面でも、軍人と銃後の国民をいたずらに疲弊させた。
独自の武器開発が十分でなかった。資源も外部から調達するしかなかった。
情報収集力が不足していた。他民族の強い利己的な考えや行動に翻弄された。等々。
豊臣秀吉は、日本を統一して、刀狩りを行い、庶民から武器を取り上げた。
それまでの日本人は、百姓に至るまで闘争心を持っていた。
江戸幕府になると、参勤交代など、諸藩の財政を苦しめる方策をとった。
また鎖国政策によって、海外情報の収集が、狭く、一方的で、偏ったものになった。
鎖国かどうかは、日本人が、直接海外に出かけて、実際に見聞したかどうかにある。
武士階級の所得は米であり、貨幣経済の海外諸国とは、違いが大きすぎた。
日本では、幕府や藩が、小判や藩札などを発行したが、
これは、借金なしの、利子が付かない、公共の、公的な、貨幣であった。
しかし、欧米で進行していたのは、
実際には、政府でなく、銀行が発行する、金利を払う、借金である、債務貨幣であった。
そのため、債務貨幣に対する、銀行制度への、理解が不十分であった。
それに付け込んだ欧米諸国によって、
大量の金銀が、海外へ流出した。国内の金銀は枯渇した。
さらに、諸藩の武力が強化されることを恐れるあまり、
江戸幕府には、国家としての対外的な国防力を強化する政策がなかった。
幕藩体制は、諸藩の連合体であった。国防力は諸藩の裁量に任されていた。
したがって、統一した連合体の国防力は存在しなかった。
そのため、海外の武器商人は日本の弱点を容易に突くことができた。
個別に、藩と幕府に働きかけた。各個に撃破する政策は容易であった。
明治維新を決定づけた「戊辰戦争」は、双方の背後にいた、海外の金融資本に煽られた。
それは、原爆投下と同様、敵に決定的なダメージを与えるもので、日本人の精神に反していた。
この時代の「知らす」統治は、国家を疲弊させる力として強力に作用したが、
対外的に纏(まと)まりのある国防力を成長させることはなかった。


・・・3へ続く。