国民の「勘違い」を利用した詐術・謀略。

 

チュチェ思想は、「金」一族、独裁主義を正当化!


「自主」思想は「主体」思想。
北朝鮮の「自主」思想は、
「独裁」政治を正当化する思想。

人権弾圧を正当化する。
謀略活動を行う。
活動の舞台は日本だ。

資金源は、日本国民の税金と中国共産党
組織は、軍隊式で、
日本共産党と同じ、上意下達。

「自主」や「主体」は「金」一族のこと。
自国「民」や他国「民」の「自主」や「主体」を否定する。
国民の「自主」や「主体」を認めず、民主主義を弾圧する。

「金」一族は、「自主」や「主体」の奴隷「主」。
自国「民」や他国「民」は奴隷。
奴隷に自由は無く、「金」一族に従わなければならない。

恐ろしいことだ。
これは、冗談ではない。日本で、現在進行形だ。
アイヌ」や「部落」とつるんで、日本を転覆させる運動を展開している。

 

 

 

自国の歴史を、正しく、知ることが大事だ。

韓国や中国、いわゆる「科学的社会主義」から学ぶこと、

それは、歴史がいかに大事か、ということだ。

歴史を捏造する者は、信用するな。

 

 

現代版 新・日本の神話 神々の言葉


古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず神話は史実を伝えてきた。
伝承にもその基になった史実がある。


【いわゆる「科学的社会主義」は、正しくは、「非」科学的な社会「破壊」主義だ。】

WEBで「科学的社会主義とは」というページを見つけた。
掲載者は、日本共産党のようだ。
科学的社会主義」すなわち「共産主義」について、幾つかを、以下に記述する。

 

いわゆる「科学的社会主義」は、「非」科学的だ。

日本共産党は、科学的社会主義を、
レーニンが「三つの構成部分」からなっていると指摘している。
 その三つの部分とは、・・・社会主義論に、世界観・哲学の問題、社会を分析する要となる経済学をくわえたもの」としている。
社会主義論、世界観・哲学、経済学、の「三つの構成部分」から成り立っている、とする。

それなら、この中の一つでも誤りであるなら、科学的ではない、ことになる。
結論から、先に言う。
科学的社会主義」は、まったく、科学的ではない。「非」科学的だ。

いかに順を追って記述する。

まず、経済学からだ。

科学的社会主義」が拠り所とする経済学は、マルクス経済学、と言われる。
マルクス経済学は、主流派経済学に属している。アダムスミスから出発している。
したがって、主流派経済学が誤りであれば、マルクス経済学も誤り、という関係にある。
主流派経済学は誤りである。
このことは、MMT(現代貨幣理論)の登場によって、証明された。
証明したのは、イングランド中央銀行だ。
経済の実務は、MMT(現代貨幣理論)による、と明らかにした。
MMT(現代貨幣理論)を知りたい方には、イングランド中央銀行のWEBページ、三橋貴明氏やカリンゴンの怪獣でも分かる経済のお話の動画を見ることをお勧めする。

次に、世界観・哲学の問題だ。

哲学の問題から記述する。

良く誤解されているのは、唯物論だ。

科学的社会主義」は、唯物論の立場をとっているとする。
「・・・哲学者たちは二つの大きな陣営に分かれていた。・・・精神の本源性を主張し・・・みとめた人びとは・・・観念論の陣営を形づくった。自然を本源的なものとみた他の人びとは、唯物論の種々の学派に属する」。
「精神が大元って主張することを観念論で、自然が大元って主張することを唯物論」と言っている。

この哲学は、支持できる。
日本人の祖先は、今から1万6千年以上前から、縄文文化を開花させていた。
人類最古の文明と言ってもよい。
先人達は、木の実や魚貝を、自然の恵みを、受け身で享受していたのではない。
石器や土器を作り、自然に働きかけ、栗や稲などの「種の改良」まで行っていた。
知恵と行動力があった。
鉄の器具が開発される前の時代に、鉄より硬い翡翠に奇麗な穴を穿った
唯物論的に、見て、考えるだけでなく、自然に働きかけた。実践した。
日本の神話や記紀は、唯物論的な見方や考え方で記述されている。
唯物論的な世界観は、神話や記紀より古いのではないか、とされる、カタカムナ文字に記されている世界観とも、整合性がある。
日本人は、古来から、唯物論的な見方や思考を、そして実践を、普通にしてきた。

日本国民に、唯物論を認めようとしない方々がいることは、残念なことだ。
唯物論を認めない方々は、物質主義だから、という。
しかし、それは、唯物論を否定する理由になっていない。
否定する側が、勝手に唯物論を定義して、
唯物論を物質主義と定義して、物質主義だから、相手は間違っている、と言っている。
これは議論になっていない。相手の批判になっていない。
これでは、自分の定義では間違っているから、相手が間違っている、と言っていることになる。
こんなことでは、相手に笑われてしまう。
なぜ、五穀豊穣を願うのか。

せっかく、「精神が大元って主張することを観念論で、自然が大元って主張することを唯物論」と、言ってくれているのだ。
喜んで、自然が大事だ、と言ってあげなければならない。
生きるためには、食べなければならず、自然が大事に決まっている。
水も空気も、お米も麦も、イモや栗や、魚貝類、・・・。川も海も山も空も。
そして、金、鉄、銅、・・・などの資源も。
自然界の他の動植物には、ほとんど精神など意味をなさない。
草木や犬や猫は、神や仏など意識しないだろう。
人間だって、飢餓になれば、神や仏より、水や食糧が大事だ。
日本人は、古来から、自然に働きかけるだけでなく、素晴らしい景観を描きこんだ。
和歌や絵画などに、芸術作品にも、それを様々に表現して、後世に残した。

共産主義者の誤りは、唯物論にはない。
唯物論の使い方にある。
特殊な仮説に唯物論弁証法という冠を付ける。
彼らは、逆に、唯物論を、弁証法を、貶めている。

これまで、いわゆる「科学的社会主義」を否定する者は、
唯物論という、否定しがたいものを、やっきになって、否定しようとしてきた。
不可能なものを、可能にしようとしてきた。
ところが、いわゆる「科学的社会主義」者は、唯物論的でも、弁証法的でも、どちらでも、ない。
かれらは、端に、相手を煙に巻くために、誤魔化すために、使用している。
彼らは、唯物論者でも、弁証法論者でもない。
いわゆる「科学的社会主義」を否定する者は、ドン・キホーテになっていた。
存在しない、見えない、敵を相手にしてきた。
本当の敵は、外にいた。

それでは、世界観に移る。

科学的社会主義」は、
「ただ現実世界を実在なものと見るという一般的な唯物論の立場をくりかえしていたのでは、社会や歴史の問題は解決しない。社会については、それを見る「独自の唯物論的な見地」を確立することが大事であることに行きついた」。
ここで、正直に白状している。「独自の・・・見地」だと。
もう、はっきりした。科学ではない。

史的唯物論は、唯物論のものの見方の社会版」。
史的唯物論は、社会とその歴史をどう見るか」。
「第一に、社会を見るとき、人間がものを生産する経済を土台にして見る」。
「第二に、社会の土台をなす経済の型は、・・・、働く人間と生産手段との関係が、そのいちばん大事な要になる」。
「経済の型から見て、原始共産制奴隷制封建制・資本主義という四つの型があった」。
「日本は、日本列島という同じ土地のうえで、原始共産制から資本主義まで、マルクスがあげた四つの型の社会をすべて、しかも順序正しく経験してきた、世界でほとんど唯一の社会」。
と言っている。

ここに、とんでもない嘘、間違いがある。
史的唯物論」は、全く、科学的でない。
原始共産制奴隷制封建制・資本主義という四つの型」は、経済の型ではない。
例えば、奴隷制封建制も、奴隷と農奴を予定している、と思われる。
どちらも、奴隷主や封建領主の所有物だ。
奴隷と農奴は、いずれも、労働力でしかない。いわば、主とは略奪の関係にある。
所有者と所有物との間には、経済の関係はない。全て所有者のものだから。

問題は、「働く人間と生産手段との関係」と言いながら、奴隷と奴隷主、封建領主と農奴、労働者と資本家、とを対立させていることにある。
敵対関係を、接近したものに限定していることにある。目を塞いでいる。
ここには、教皇も法王も、貴族も王様も登場しない。
民間企業である銀行も、国際金融資本も、多国籍企業も、その影さえ見せない。
最も利益を享受する者は、名前を連ねていないのだ。

しかも、「日本は、・・・、原始共産制から資本主義まで、・・・四つの型の社会をすべて、しかも順序正しく経験してきた、世界でほとんど唯一の社会」と、大嘘を言っている。
封建制と言われる時代、信長は、庶民が安心して生活できるように、治安に気を配った。
「一銭切り」で、家臣やその配下に対して、略奪や暴行を一切禁じた。必要な物資は購入した。
そして、百姓出身の秀吉は、天下を執った。
この時代のポルトガルは、キリスト教徒に改宗した、日本人の選良と結託して、
大勢の日本人の女性を、奴隷として海外に売り飛ばし、また本国へ持ち帰った。
1587年。豊臣秀吉は、イエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに、手紙を書いた。
日本人の女性を買い付けて、ポルトガル人、タイ人、カンボジア人の、奴隷にする事を、即刻中止するよう命じた。
確かに、戦国時代までは、日本でも、奴隷市場が開かれ、人身売買が行われていた。
しかし、日本の経済制度が、奴隷制で成り立っていたわけではない。
この時代には、様々な制約はあっても、百姓は、奴隷ではない。
年貢は、百姓が独立した存在だから、徴収できた。

彼らは、卑弥呼邪馬台国の時代は、奴隷制の時代、だと言う。
その時代に近い世相を、日本書紀が、記述している。
その中に、聖徳太子が作ったと言われる、十七条の憲法がある。
そこには、民を公平に扱いなさい、とある。
民の苦情が増えているから、適切に対処しなさい、とある。
臣下に賄賂や接待が増えて、行政が私情に流されているから、正しなさい、とある。
徴税を勝手に行ってはならない、と言っている。
次の二つのことは、「古くからの、良いしきたり」と書いてある。
へつらいや嘘つきは、国を滅ぼし、民を傷つける。悪いことは必ず正しなさい。
むやみに民を使役してはならない。天皇と臣下の生活は、民のお蔭だ、と。
日本の天皇は、聖人や賢人を求めて、人材を登用した。

十七条の憲法は、「史的唯物論」が嘘である、ことを証明している。
いわゆる「科学的社会主義」が唯物論でも弁証法でもないことを示している。
日本は、建国以来、皇室を中心とする、聖賢政治を目指してきた。
様々に制約はあっても、基本、民を大事にしてきた、「世界でほとんど唯一の社会」だ。
これは、日本人の誇りだ。

最後は、「未来社会論」、「社会主義論」だ。

結論から言えば、これは、科学ではない。詐術の展開だ。
社会主義論」が必然だ。法則だ。と言って、素直に受け入れろと、洗脳している。

科学的社会主義」は、
「第一に、空想家であった先達のように願望から出発するのではなく、いまの自分たちが生きている現実社会を「科学の目」で分析し、そこから資本主義の矛盾や害悪を乗り越えた新しい形態とは、どんな社会にならざるをえないか、また、より高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかでどのように準備されていくかを、「科学の目」で明らかにした」と言っている。

しかし、
「第一に、空想家であった先達のように願望から出発する」のは、悪いことではない。
空想的社会主義者」たちが駄目という理由にならない。
むしろ、現実に存在する課題に直面したら、それを解決したいと願望し、解決しようとするのは自然の流れだ。

「資本主義の矛盾や害悪を乗り越えた新しい形態とは、どんな社会にならざるをえないか」また、「より高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかでどのように準備されていくか」を、「科学の目」で明らかにした」というが、
人間社会は、「ならざるをえない」ものであり、また、誰かによって「より高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかで・・・準備されていく」という、宿命的な存在を想定している。
どうやら、見えない力によって、準備され、従うしかないようである。
人間社会は、災害の発生を予測した、自然災害と同じようなものなのだろうか。

一方では、
社会主義というのは、人間にとってより豊かなすばらしい社会をつくる、これが僕たちの目標」と言っている。
これは矛盾しないのだろうか。
しかも、
「第二に、未来社会と言うものは、将来、そういう社会づくりが現実の問題となるときに、その世代の人間が、そのときの歴史的な条件のもとでつくってゆくもので、なにか青写真や設計図があらかじめつくられていて、それにそって社会を組立ててゆけばよい、といったものでは絶対にない」と断言している。

どうも、破壊的な「革命」が前提になっているようだ。
これは、シナの易姓革命に通じるものがある。
小中華の朝鮮も、同様に、前王朝の文化を破壊する、それを繰り返してきた。
ここには、継承して、発展させる、という考えはない。
しかし、
問題は、気付いたものから、徐々に解決する方法もある。
壊したくない、既存の大事なものを継承・保存しながら、改善・発展したいときは、なお更だ。
コンクリートや石などの建造物を改良するのと、木造建築物を改良するのでは、やり方が違う。

普通に考えれば、出費や、損害などが、少ない手法こそ、理想的なはず。
ところが、痛手を少なくするための、周到な事前の計画や準備を、絶対に否定する。
これは、突発的で、痛手が大きい方がよい、と主張している。
社会を組み立てるために、破壊が絶対に必要だ、と言っている。
しわ寄せを食うのは、庶民であり、国民だ。
まるで、社会がブロックで積み上げられていて、新しいものを作り上げるためには、一旦、全て打ち壊す必要がある、と考えているようだ。
これは、いわゆる暴力革命だ。本当は、社会・破壊・主義だ。
紛れもない、抑えきれない、破壊・願望の表明だ。

これまでの社会は、多くは、試行錯誤を繰り返しながら、不完全ながらも「青写真や設計図」を「あらかじめつくり、それにそって社会を組立てて来た」と言えるのではないだろうか。
むしろ、「青写真や設計図」を作ることが、賢明なやり方だ。
それが民主的で、英知を結集するやり方だ。
国民に支持されない、国民の意欲を削ぐ、稚拙な「青写真や設計図」に問題がある。
いわゆる「科学的社会主義」は、どうやら、最初から、民主的でない。
国民には秘密にする。破壊するために、暴力を行使する。
全てをぶち壊す、破壊的な「革命」しか、眼中にない。

科学的社会主義」者は、
マルクスは、資本主義は、階級と階級の「敵対」関係を特徴とする社会としては、人類史上の「最後の・・・・形態」であり、「この社会構成体でもって、人間社会の前史は終る」という意味深長な言葉で、文章全体を結んでいる。「最後の敵対的形態」につづくのが、階級による階級の搾取のない社会主義共産主義の社会であり、そこから「人類の本史」が始まるのだ、という壮大な未来論が、この一文にこめられている」とする。

しかし、資本主義は、「階級と階級の「敵対」関係を特徴とする社会」ではない。
資本主義に限らず、仮に、階級が存在すると仮定しても、階級と階級の「敵対」関係を特徴としない。
労働者と経営者が、「敵対」関係にあって、抗争してきたのだろうか。
労働者と敵対するものとして、資本家という、曖昧なものがあげられる。
どうにでもなる、言い逃れできる、言葉になっている。
「敵対」関係を特徴とするのは、国家と国家の「敵対」だ。資本家と資本家の「敵対」だ。
略奪者と略奪者の敵対だ。そして、略奪者間の代理戦争だ。
そこには、経済関係はない。言ってみれば、略奪をめぐって、敵対する。

階級と階級との間に生まれるのは、格差である。
役割に応じて格差が生まれるのは自然である。
その格差が不合理な場合に、格差の調整が、問題となる。
いわゆる共産主義者たちは、格差によって生まれる、不平不満を、巧みに利用する。
不平不満を、「敵対」関係と煽って、騒ぎ立てる。

肝腎なことは、いわゆる「科学的社会主義」者の会話には、
資本主義社会と切っても切れないはずの、民間企業の銀行や国際金融資本家や多国籍企業が登場しないことだ。
いわゆる「科学的社会主義」者は、お金を、無から作り出す銀行や、株を買い占め、大企業を裏で操る国際金融資本家や、市場を独占する多国籍企業について言及しない。
中国共産党のように、国家の上に存在し、国民から略奪していることを問題にしない。
中国共産党の幹部が、巨万の富を蓄積し、財閥になっていることに、触れようとしない。
中国共産党が、チベットウイグルを弾圧し、人権を侵害していることに、目を閉ざす。

ここに、いわゆる「科学的社会主義」者の本性がある。

身近なものに焦点を当てて、巨大な悪には、注意を逸らさせる、のだ。

科学的社会主義」の「未来社会論」、「社会主義論」は、
端に彼らの理想、願望を語るものだ。
自分たちの理想は、必然だと、勝手に、正当化しているにすぎない。
自己中心思想だ。したがって、科学ではない。

なぜ、彼らの理想、願望を「社会主義論」と言って、正当化するのか。
それは、彼らが政権を取りたいからだ。
労働者のために、と偽って、
国家の政権を、そして世界の政権を、掌中にしたいのだ。
彼らの最終目標は、世界を支配することだ。


科学的社会主義、すなわち共産主義の特徴】

共産主義は、生命体を破壊しようとする。がん病巣のようなもの。
共産主義は、接近するものを、飲み込もうとする。ブラックホールのようなもの。
共産主義は、自然治癒力を無視して、外科手術を強硬しようとする。破壊主義。
共産主義は、個性をなくそうとする。画一主義。
共産主義は、自立・共存・共栄、を否定する。覇権・金権・独占・主義。
共産主義は、言葉とは裏腹に、経済的、政治的、独占の野望を、隠し持っている。
共産主義は、生み出さない。彼らは、否定し、破壊する。
彼らは、唯物論弁証法を、名乗って、それを否定する。
彼らは、エリート主義の、唯我独尊だ。
彼らの目的は、自分たちの政権を打ち立てること。

そのために、あらゆる行為を正当化する。
国民を犠牲にして、野望を遂げようとする。
彼らの考えは、社会・破壊活動・正当化・主義だ。

 

【結論】

いわゆる「科学的社会主義」は、
実際には、「非」科学的・社会「破壊」主義だ。
彼らは、唯物論弁証法という、空虚な知識を振り回す。
知識を自慢するだけでなく、社会を混乱させる。
問題は、かれらが、唯物論弁証法を、悪用している、ことだ。
物事の見方や考え方を狂わせる。
歴史を歪曲する。ねつ造する。
そして、社会を、国家を、世界を、それらを見る目を狂わせる。
つまり、彼らは、反面教師だ。

哲学や歴史が、いかに大事なものであるかを、教えている。

だからこそ、いわゆる「科学的社会主義」者は、
自分たちの仮説が、「史的唯物論」が「科学的」であると、洗脳している。
社会を破壊するために、国民の不平や不満を利用して、人々に工作活動を行っている。

 

共産主義と略奪の関係】

生命のもとは、一つの細胞から複数に分化し、
様々に違った器官を作り出し、それが一体となって、機能する。
その一体となったモノが、人間だ。
人間そのものが、格差や違いに満ち溢れた、集合体だ。
集団も、社会や国家も、格差や違いの宝庫と言える、集合体だ。

人類の歴史は、階級闘争の歴史ではない。
階級と言われるモノの間に、格差や違いはあるが、
格差や違いが生じるのは、むしろ健全で、当然だ。
生産手段によって、富の生産量は、変わるが、
当然には、闘争の原因にならない。
問題は、格差が著しく不当な場合、合理性をなくす場合だ。
不平不満が闘争に発展する可能性がある。
しかし、主に、闘争の原因になるのは、富の、奪い合いだ。
闘争の原因は、生産手段を持つか、持たないか、ではない。
経済関係にないところで、略奪のために、闘争が発生する。

日本の皇室と国民との間には、略奪の関係が無かった。
民を第一に考え、仁徳政治を根本方針とした。
皇室が存続する日本は、「世界でほとんど唯一の社会」だ。

共産主義者は、世界をありのままに見ることができなかった。
彼らは、唯物論弁証法、という、知識を得たに過ぎない。
それを駆使することはできなかった。
なぜなら、彼らは、頂点に立ちたかった、からだ。
ソ連や中国は、自分たちの理想とは違う、と言っても、意味がない。
自分たちが頂点に立っていない以上、あれは違う、と言うに決まっている。

「革命」の要因は、社会制度の矛盾ではない。
格差や違いが生じない社会など存在しない。
どの社会制度にも、政治的な、経済的な、覇権争いがある。
共産主義者は、本心を、隠した。
弱者を救済しようとした、誠実な社会主義者たちを、空想的と言って、貶めた。
いわゆる「科学的社会主義」は、空想的社会主義を、高めた、ものではない。
自分たちを、優れたものと、見せかけた。

欧米の歴史は、略奪の記録だ。
歴史は、領土と利権争いを綴った。
覇権を競った。
決め手は、武力であった。策略であった。
そして、強者は、略奪し、弱者の男系を、根絶やしにしてきた。

今、中国で、略奪が起こっている。
しかし、共産主義者とその協力者たちは、その歴史を隠蔽しようとしている。
領土と利権の争いは、決して、過去のものではない。
まさに今、目の前で、日本に近いところで、展開している。
民族の男系が、何百万人もの生命が、危険に曝されている。
臓器狩りが行われている。
共産党に反対する者たちは、臓器移植のたびに殺される。
これは、日本への、日本人への、脅威だ。
今、日本では、中国による、日本領土の爆買いが、起きている。
彼らは、一旦手に入れたものは、返そうとしない。
相手の物でも、手に入れたら、自分の物にする。
これは、他人事ではないのだ。

 

民族差別に反対だ。
ヘイトスピーチにも反対だ。
しかし、友好関係を作る為にも、相手を知ることは大事だ。
相手が、どんな民族なのかは、知らなければならない。

 

現代版 日本神話 神々の言葉

古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず神話は史実を伝えてきた。
伝承にもその基になった史実がある。

  
韓国人の民族性を示す、いくつかの事例がある。
宗主国である支那の王様に、大勢の貢女や宦官を提供し続けた、長い歴史がある。
かつて韓国政府の女性家族部は、自国民の売春婦は全世界に10万人余りいる、
と明かしたことがあった。
またベトナム戦争に参戦した韓国軍は、ベトナムの女性に暴虐の限りを尽くした。
アメリカの議会で、日本軍慰安婦問題・非難決議案が出された際、資料の報告書には、
日本軍による女性の強制徴用について、
『日本は恐らく殆んどの徴募を直接に実行はしなかっただろう。特に朝鮮半島ではそうだった』とあった。
日韓併合時代には、日本は、病身舞を「不適切な踊り」として中止させた。
「病身舞」とは、乞食階級の「白丁」が、自分たちより弱い病者や身障者などを、差別したり、
苛めたりして、憂さ晴らしをするための歌舞。
「白丁」は、日本が日清戦争で解放するまでの間、奴隷として、永い間、虐げられた。
朝鮮国内では、特権階級の「両班」から奴隷として、玩具のような扱いをされてきた。
彼らが信奉する儒教の教えでは、病者や身体障害者は、前世に悪行をやった祟りだとされた。
大東亜戦争が終了すると、「病身舞」は、「併合時に日帝が朝鮮文化を禁止した」と言って、復活させた。

韓国のソウル大学の名誉教授、李承晩学堂の校長・李栄薫(イ・ヨンフン)氏は、韓国民を「嘘をつく国民」と言っている。「嘘をつく文化」と言い、反日種族主義と言っている。
売春業の海外進出、いう動画の中で、満州での朝鮮人の生業は、アヘン商売、と言ってよいほどだと言う。朝鮮人は、巨大な利益を求めて前線に進出した。
1933年に、実際に現地を見た李光洙(イ・クアンス)氏の話に言及している。
当時の朝鮮では、人身売買が流行っていた。父親が娘を売った。
朝鮮人の売春業は、女性が日本語を話せることから、下層の日本人をターゲットにした。日本軍の後について中国に進出した。慰安所朝鮮人が経営していた。外に中国人も商売をしていた。
慰安所は、日本の公娼制に組み込まれた。公娼制に組み込まれることで、営業活動が保障された。酌婦は経営者の暴力から守られ、定期的な検診は、日本の軍人を病気から守った。
朝鮮人の料理屋が存在しないところはなかった。
李光洙氏が驚いたことに、朝鮮人たちは、人肉市場を開いて商売をしていた。奉天吉林、ハルピン、新京など、朝鮮人の料理業者のいないところはなかった。奉天では、人肉商売をして、金持ちになった朝鮮人もいた。
朝鮮人の売春業や料理業者は、台湾や日本へも進出した。

「白丁」の夢は、「両班」になることだ。対等な人間になることではなかった。
彼らは、本国では不可能な「両班」になる目標を、共産主義や、明治維新に見出した。
日本の政権を掌握することで、目標を実現しようとした。
それは、日本人を、朝鮮人の、支配下に置く、ことを意味した。
日韓併合によって、日本人になった朝鮮人には、1925年の選挙によって、議員になる者もいた。

朝鮮日報」(2012年)は、自国民の有罪となった刑事事件の割合について報じた。
誣告罪(嘘で人を罪に陥れる犯罪)は、日本の305倍
詐欺罪は、日本の13.6倍
偽証罪は、日本の165倍
(以上は、同一人口当たり。)
韓国人には嘘が多い。平気で嘘をついてきた。
李栄薫(イ・ヨンフン)氏は、これより更に高い倍率の数字を挙げている。

昭和30年代頃までの日本には、終戦直後の余韻を、まだ残していた。
当時、朝鮮人と言えば、それは、凶悪犯罪者の代名詞であった。
敗戦と同時に、全国で一斉に、朝鮮人による強盗、強姦、恐喝などが頻発した。
朝鮮人による刑事事件が、報道されない日は無かった。
警察署(官)まで襲撃された。
日本が治安を回復し始めると、朝鮮人は、「在日に対する言われなき差別」と言い始めた。
しかし、放送記録、新聞記事、公的な刑事記録は、残された。

943年、67歳で朝鮮の太祖王建は死去した。
死の1ヶ月前の4月、「訓要十条」を作り、大匡官職の朴述熙に伝えた。
これは、高麗の後代の王たちが、必ず守らなければならない、教訓とした。
第8条には、朝鮮の人々を登用するときの、注意事項が記されていた。
「訓要十条」には、
「車嶺の南、公州の錦江の外は、山を作っているが、反対方向に走っている。人心もまたそうだ。かの地域の人々を朝廷に参画させたり、王侯や国政に繋がる者と婚姻させたりすれば、国政を乗っ取られる。すなわち、あるいは国家に混乱を生じさせ、あるいは統合の怨みを根に持ち、王を利用して国政を乱す。」とあった。
「車嶺の南、公州の錦江の外」は、嘗て、百済があった地域を指すと言われる。
この十戒は、皆、「心の中に深くおさめること(中心蔵之)」という、君の字で結ばれている。
後代の朝鮮の王たちは、後継者へ伝えて、宝物にしたという。
多くの日本人は、朝鮮の国王たちが厳守してきた、この注意事項に、無頓着であった。

李栄薫(イ・ヨンフン)氏は、動画で、韓国とその国民を、「嘘をつく国民」「嘘をつく政府」「嘘をつく裁判」と言った。
ところが、韓国には、親分がいる。
その隣には、「嘘をつく国」「嘘をつく政党」「嘘をつく政府」がある。
国内にどんどん取り込むが、国外への移動を、渋り、困難にする国がある。
何が真実か、はっきりとしない、国がある。
聖徳太子の十七条の憲法は、へつらいや嘘をつくことは、国を滅ぼし、民を傷つける、と言っている。

もし、朝鮮が日本に、様々なことを教えてきたのであるなら、「へつらいや嘘をつくことは、国を滅ぼし、民を傷つける」ことを、とっくに、ご存知のはず。 

今に生かそう、十七条の憲法の精神

 

 

現代版 新・日本の神話 神々の言葉 


古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず神話は史実を伝えてきた。
伝承にもその基になった史実がある。


***今に生かそう、十七条の憲法の基本的な精神を!

聖徳太子の十七条の憲法とは、
第1条 所属する集団が違っても仲良くしなさい。
第2条 「仏様」と「真理の教え」と「僧侶」を敬いなさい。
第3条 人の上に立つ者は、天皇陛下のお言葉に、謹んで従いなさい
第4条 国家安泰の基本は、役人の間でも民の間でも、礼儀を重んじることである。
第5条 官僚は、賄賂を受け取らずに、民を公平に扱いなさい。
第6条 へつらいや嘘つきは、国を滅ぼし、民を傷つける。悪いことは必ず正しなさい。
第7条 聖賢政治の基本は、人材を登用するが、官職を必要なものに限定すること。
第8条 官僚は、勤務時間でなく、仕事を完了させることを、優先しなさい。
第9条 何事にも、信頼関係を築くことが、何より大事だ。
第10条 完璧な人間はいない。どんな人も、他人の意見を受け入れなさい。
第11条 官僚は、部下を評価するとき、私情でなく、功績や過ちを明確にしなさい。
第12条 地方の首長は、民から、勝手に徴税してはならない。
第13条 官僚は、どんなことがあっても、公務を停滞させてはならない。
第14条 官僚は、自分より優れた人材を、妬まずに、登用しなさい。
第15条 官僚が私情で行動したら、和を乱し、公務を阻害する。
第16条 むやみに民を使役してはならない。天皇と臣下の生活は、民のお蔭だ。
第17条 重要な事柄は、過ちが無いように、必ず、他の者と議論して決めなさい。

 


現代語訳 【十七条の憲法】 

第1条 所属する集団が違っても仲良くしなさい。

仲良くすることを、何よりも大切にし、争いを起こさないよう心掛けなさい。
人は皆、いずれかの氏族や集団に所属しているが、仲良くする心を持ち合わせる者は少ない。
だから、父である君主に逆らったり、周囲で揉めたりする。
しかし、人の上に立つ者が温和に対応し、下の者たちと仲良くし、お互いに腹を割って話し合い、意見を出し合えば、物事の道理は自然と判るようになる。そうなれば、どんな事でも成し遂げられる。


第2条 「仏様」と「真理の教え」と「僧侶」を敬いなさい。

三つの宝を敬いなさい。三つの宝とは、仏と真理の教えと真理に従う僧侶である。
これらは、この世に生きる全ての生命の、最後の拠り所である。全ての国における、究極の規範である。
どんな世の中のどんな人であれ、仏の教えを尊ばない者があるだろうか。
どうしようもない悪人というのは、少ないものだから、彼らを正しく教え導けば、正道に従うようになる。
教え導くにあたって、この三つの宝を拠り所とするのでなければ、一体どんな教えをもって、捻じ曲がった人の心を、正せば良いのか。


第3条 人の上に立つ者は、天皇陛下のお言葉に、謹んで従いなさい

天皇のお言葉には、必ず、謹んで従いなさい。
君主を天とするならば、臣下はいわば地である。天は地を覆い、地は天を戴くのが、この世の道理である。その理に従って四季は巡り、万物の気は通うことができる。
もし、ここで、地が天を覆おうとしたならば、この循環が壊れてしまうことだろう。
だから、君主の言葉に、臣下は、従わねばならない。
人の上に立つ者たちが君主の言葉に従えば、下の者たちもそれを見習うものだ。
だから、天皇のお言葉には、必ず、謹んで従いなさい。さもなければ、国の秩序を駄目にしてしまうだろう。


第4条 国家安泰の基本は、官僚の間でも民の間でも、礼儀を重んじることである。

朝廷に仕える官吏たちは、礼儀を、行動の基本としなさい。
民を知らすことの基本は、礼儀にある。人の上に立つものが礼を軽んじれば、下の者たちの秩序は乱れる。下の者たちが礼を軽んじるようになれば、必ず、罪を犯す者がでてくる。
だから、臣下の間に礼が行われていれば、身分秩序は乱れない。民の間に礼が行われていれば、国家は自然と治まる。


第5条 官僚は、賄賂を受け取らずに、民を公平に扱いなさい。

朝廷に仕える官吏たちは、接待や金品への欲望を捨てて、公正な態度で訴訟に臨みなさい。
民からの訴えは一日に千件もある。一日でさえこれほどだから、一年ではどれ位の訴訟があるだろうか。
それなのに、近頃の訴訟に携わる者たちは、賄賂を受け取る事が当たり前となっている。賄賂の額を確認してから訴えの内容を聞いている。
それだから、裕福な者たちの訴えは、水面に石を投げ込むかのように、容易く受け入れられるが、貧しい者たちの訴えは、石の上に水をかけるかのように、退けられる。
このため、貧しい民は、誰に頼ったら良いのか解らずにいる。このようなことは、臣下の道に反する事である。


第6条 へつらいや嘘つきは、国を滅ぼし、民を傷つける。悪いことは必ず正しなさい。

悪を懲らしめ、善を勧める事は、古くからの、良いしきたりである。
そこで、人の善行を隠すことなく、悪行を見たら、必ず、正しなさい。
他人にへつらって、嘘をつく者たちは、国家をくつがえす強力な武器であり、民を傷つける鋭い剣である。
また、他人におもねり、媚びる者たちは、目上に対しては目下の過失を言いつけ、目下に対しては目上の陰口を叩く。
このような者たちは、君主に対しては忠誠の心を持たず、民に対しては仁愛の心を持たぬものだ。これらは、国家の大きな乱れの原因となる。


第7条 聖賢政治の基本は、人材を登用するが、官職を必要なものに限定すること。

人にはそれぞれの役目というものがある。自分の役目を超えて職権を濫用してはいけない。
賢明な人物が役職にある時には、周囲から褒める声があがり、邪な人物が役職にある時には、災いや乱れが頻繁に起こる。
生まれながらに道理の解った人間というのは少なく、誰しも思い悩んで聖人となる。
事の大小に関わらず、適任の人材が得られれば、必ず、問題は解決する。
時代の変化の速度に関わらず、賢人が現れれば、国は自然と豊かになる。
これによって、国家は、長く栄えて、滅びを避ける事ができる。
だから、昔の聖なる王たちは、必要な官職のために、人材を求める事はあっても、人材のために、不必要な官職を設ける事はなかったのである。


第8条 官僚は、勤務時間でなく、仕事を完了させることを、優先しなさい。

朝廷に仕える官吏たちは、早く出勤して遅くまで働きなさい。
公の仕事が尽きるという事は無く、一日かけても終わらせるのは難しいものだ。
それだから、遅くに出勤したなら急な事態に対処できず、早く帰宅したなら仕事を終わらせる事ができない。


第9条 何事にも、信頼関係を築くことが、何より大事だ。

信頼は正義の根本である。どのような事でも、信頼を大切にしなさい。
物事が善くなるのも悪くなるのも、成功するのも失敗するのも、すべて、信頼があるかどうかにかかっている。
臣下たちが、互いに信頼しあっていれば、どんな事でも成し遂げられるだろう。
臣下たちが、互いに信頼しあっていなければ、どんな事でも失敗するだろう。


第10条 完璧な人間はいない。どんな人も、他人の意見を受け入れなさい。

心の中の怒りを静め、顔の表情に出さないようにしなさい。他人の意見が自分と違っても怒らないようにしなさい。
人には、それぞれの心があり、それぞれの考え方というものがある。
相手が良いという事でも、自分にとっては悪いという事もあり、自分が良いという事でも、相手にとっては悪いという事もある。
自分は、決して間違いを犯さぬ聖人ではないし、相手が、間違いだらけの愚者というわけでもない。
お互いが、平凡な、ただの人間なのだ。
そもそも、良いとか悪いとか判断する道理を、ただの人間の身で、どうやって決めるというのか。
お互いに、賢くもあり、愚かである、という事は、耳輪に端がないようなものだ。
それだから、相手が、自分に対して、怒っている時には、自分に過ちがなかったかどうか、よく考えなさい。
自分の意見に自信がある時でも、人々の意見に耳を傾けて、受け入れなさい。


第11条 官僚は、部下を評価するとき、私情でなく、功績や過ちを明確にしなさい。

部下の功績と過失を正しく評価して、それに見合った、賞罰を与えるようにしなさい。
近頃は、功績も無いのに賞されたり、過失も無いのに罰せられる事がある。
賞罰を与える立場にある官吏たちは、適正かつ明確に行うこと。


第12条 地方の首長は、民から、勝手に徴税してはならない。

地方を治める長官たちは、民から勝手に徴税してはならない。
国に二人の君主はおらず、民にも二人の主はいない。
この国に暮らす全ての民にとって、主は天皇ただ一人である。
天皇が任命する地方官は、皆、その臣下である。
どうして、天皇が定める税と一緒に、勝手に税を取り立てる事ができようか。


第13条 官僚は、どんなことがあっても、公務を停滞させてはならない。

官職に任じられた者たちは、自分の職務をよく理解しなさい。
病気になったり、出張をしたりして、職場を離れる事もあるだろう。
しかし、再び職務に戻った時には、以前よりも熟知しているかのように、遅れを取り戻しなさい。職場に居なかった間の事は知らないと言って、公務を停滞させてはならない。


第14条 官僚は、自分より優れた人材を、妬まずに、登用しなさい。

朝廷に仕える官吏たちは、嫉妬の心を抱く事がないようにしなさい。
自分が他人を嫉む、という事は、自分も他人から嫉まれる、という事である。
嫉妬が人間関係に与える弊害は、とどまる所を知らない。
自分よりも賢い人がいれば、不愉快に思い。自分よりも才能豊かな人がいれば、嫉妬する。
そんな事では、500年に一度現れるという、賢人に会ったとしても、その人を認めず、我々は、1000年経っても、聖人を得ることは、難しいであろう。
聖人や賢人を人材として得られなければ、どうやって国を治めていけばよいのか。


第15条 官僚が私情で行動したら、和を乱し、公務を阻害する。

私情を捨てて公務に向かうのは、臣下たる者の道である。
どんな人間でも、私情から他人を恨むようになり、恨みの気持ちがあれば、人の和を乱すことになる。人の和が乱れていれば、私情によって、公務に弊害を及ぼす。
また、恨みの気持ちから、規則や法を破る者もでてくる。
私が第一条で、上の者も下の者もお互いに仲良くしなさい、と言っているのは、こう言った事なのである。


第16条 むやみに民を使役してはならない。天皇と臣下の生活は、民のお蔭だ。

民を使役する時には、時節を選びなさい。それが、古くからの、良いしきたりである。
だから、冬の間の手が空く時に、民を使役するようにしなさい。
春から秋にかけては、農耕や養蚕をしなければならないから、民を使役してはならない。
彼らが農耕をしなければ、我々は一体何を食べるというのか。養蚕をしなければ、我々は一体何を着るというのか。


第17条 重要な事柄は、過ちが無いように、必ず、他の者と議論して決めなさい。

物事は一人で判断してはいけない。必ず他の者たちと一緒に議論して決めなさい。
些細な事については、必ずしも、他の者の意見を聞かなくても良い。
しかし、重要な事を議論して決める時には、過ちがあってはならない。他の者たちと相談して判断するならば、道理の通った結論が得られるであろう。


(注意)この現代語訳は、へいはちろうさん他、ネット上の多数の記事を、参考にさせて頂いた。感謝する。他の記事や原文に直接当たることをお勧めする。

日本の政治の伝統は、目指せ聖賢政治
そのことは、十七条の憲法に、はっきりと、書いてある。
それを支えたのは、他でもない、日本の女性自身なのだ。
皇室の男系継承は、子孫繁栄の願いであり、日本の繁栄を祈願したものだ。
それは、日本の女性の幸せと安全を保証するものでもある。

 

現代版 新・日本の神話 神々の言葉 


古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず神話は史実を伝えてきた。
伝承にもその基になった史実がある。


日本の女性よ、目覚めよ!
男系の存続は、女性の力強さの証明だ。
皇室の男系の承継は、日本の女性が賢いことの証明なのだ。
日本の皇室は、聖人や賢人の政治を心掛けてきたからだ。
他国との違いがここにある。
他国はこれを真似できないのだ。
皇室は、聖人や賢人による政治の、象徴なのだ。

日本の政治は、古来、聖賢政治を心掛けてきた。
そのことは、十七条の憲法に、はっきりと、書いてある。
それを支えたのは、他でもない、日本の女性自身なのだ。
皇室の男系継承は、子孫繁栄の願いであり、日本の繁栄を祈願したものだ。
それは、日本の女性の幸せと安全を保証するものでもある。
皇室の男系継承は、日本の女性が、自ら、日本の繁栄と安全を祈願し、確立したものだ。

アダムの肋骨から、イブが誕生したのではない。
アダムは、イブから、誕生した。
男性は女性から誕生した。
それは女性の知恵だったのだ。
子孫が繁栄するための、知恵だ。
アダムの肋骨から、イブをつくった、と考える、欧米人には理解し難いのだ。

男系の継承は、子孫繁栄の象徴。願い。祈り。
だから、端午の節句がある。
子孫繁栄のためにオスは強いメスから誕生した。
だから、桃の節句がある。

男女の画一化、均一化は人類を絶滅させる道だ。

男女は、生まれながらに、機能も役割も、違う存在だ。
男性と女性の違いを否定することは、人類の進化を否定するものだ。
男女平等は、男女を一律に扱うこと、と考えるのは、間違いだ。
男女を、異なるもの、と考えることこそ、正しい。
 
あえて言うなら、女性が主人で、男性は使用人として生まれた。
これが人類誕生の歴史だ。
本来なら、男女平等というのなら、男性を女性と同等にしろ、というべきなのだ。
今、皇室をめぐって展開されている議論は、科学的ではない。
人類誕生の史実にも反している。
謀略的な議論がまかり通っている。

男女の差異を、否定することは、子孫を繁栄させない、ことになる。

朝鮮やシナの歴史を見てみよう。
朝鮮には、大勢の未婚の女性と男性を宦官として、シナの王様に、献上した時代がある。
それは、朝鮮人の子孫をシナに残さず、シナの子孫を増やすためだ。
日本は、宦官の風習を受け入れなかった。
欧米が戦争で何をしたか思い出してみよう。
男性を虐殺して、女性を蹂躙した。
中国で、今、何が起きているか見てみよう。
ウイグル人の男性を監禁し、殺戮し、
女性の結婚相手を制限している。
中国は、嘗て欧米が行った、野蛮な時代を再現している。
それだけではない、臓器狩りを行っている。
政府に反対する者たちの臓器を、生身の体から取り出し、
臓器移植する。
政府が、反対者を弾圧するために、殺人を行い、それを商売にしている。
医師たちは、それを、当然のように、受け入れ、繁盛している。

男系の継承を認めないことは、男性を殺戮するのと同じことだ。
砲火こそ飛び交っていないが、戦争と同じこと、なのだ。
戦争反対と言いながら、平和の推進者を装って、民族を根絶やしにすることだ。

男女平等とは、男女が違ったものとして、存在することだ。
男女が同質であること、均一であること、ではない。
それでは、男女が違って存在する意味がない。
女性が、男性を、違うものとして生み出すことに、意味がある。
女性は、自分と違う役割を持たせるために、男性を作り出したのだ。
女性は、女性自身が繫栄するために、男性を生み出したのだ。
女性は、子孫を残す賢明な方法として、男性を手に入れたのだ。

栄養分を蓄える卵と、性を決定するだけの精子
人間は、生殖という現象によって、生命体を連綿と繋いできた。
自然災害が多いにも拘らず、自然に恵まれ、平和に暮らせる、
女性にとって、子孫を繁栄させやすい国、それが日本だ。
男系を残すことは、女性の願いに起源がある。
男系の存続は、実は、女性自身の命を長らえさせることだ。
男系の廃止は、女性のために見えても、実際には、女性自体を危機に導く。
日本の女性は、現代の科学で解明されていることを、古来から、実践してきたのだ。

皇室の男系継承を止めることは、日本女性の愚かさを示すことになる。
それは、日本女性が短命になることだ。

皇室の廃止、女性宮家の創設、女性天皇女系天皇の創設、等々を訴える者をよく見よう。
そして、記録しよう。新たな特権や身分を作り出そうとしている。
テレビやラジオ、新聞や雑誌、ネットの記事や動画、選挙公報を、注意深く見よう。

男女平等をやたらと口にする連中には注意をしよう。
日本人の男性と女性を「敵対」させようとする者たちだ。
科学的とか、唯物史観とかに、気を付けろ。
それに似た者にも、気を付けろ。
かれらは、男女平等とか、科学的とか、唯物史観とかを、通名で使用する。
日本人女性に味方をするふりをして、窮地に陥れようとするつもりなのだ。
日本人女性の繁栄を妬む者たちだ。
日本人女性から日本を乗っ取る者たちだ。
皇室の男系継承の阻止に結びつくことを唱える者たちは、日本人女性の敵なのだ。

再び、言う。
日本人女性よ、目覚めよ。
騙されるな。
男系の継承は、女性自身のためにある。

 

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リプロ・ヘルス情報センター、連載物語「生命の神秘」
【第三章:性の決定における自然淘汰から学ぶもの】(抜粋引用)

最初の生命体の生殖行動は、単性生殖でした。
ただ単に細胞分裂を繰り返して増殖をしていたのです。でも只,単に増殖を繰り返す生命体の存続には限界が見られ始めていたのです。

環境の変化や病原菌によって絶滅する危機に瀕する。
今日の現代社会が築き上げようとしているクローン生き物と同じように短命だったのです。

そこに生まれた新しい配偶子、性を決定する配偶子としてXの代わりにY染色体が生まれたのです。XとY、二つの性を持つ有性生殖の生命体の誕生なのです。それは今から15億年前のことでした。

性の決定は、Y染色体のSRY (性決定遺伝子) による。
このSRYをXXというメスの受精卵に注入してもオスとしての性分化が始まる。

逆に、SRYがないと、卵巣が作られ、同時に子宮や腟が発達していくのです。1週遅れてメスとしての性分化が始まります。
脳がエストロゲンに暴露されないため女性性の脳が培われるという不思議な現象がみられるのです。

Y精子は、X精子に比べ動きが早く卵子をゲットする確率が高いのです。X精子に比べ1.6倍といわれています。でも、生れるときには、男女比が1対1.05とほぼ同等となります。そして、年齢が増すことにより、男性の割合が少なくなっていきます。平均寿命でも分かりますように男性の方が、どちらかというと短命なのです。

同じ生命体が細胞を分裂させ増殖しても、誕生したての宇宙の中の地球という中でマグマの変化が未だ激しい環境では、モノセックスの生命体の存続は対応しきれない環境にありました。ウィルスや細菌などの病原菌に蝕まれやすく、環境の変化にも持ちこたえることが出来なかったり、絶滅の危機にも追いやられたりもしました。そこには、幾多の生命体が絶滅の現実にあっていました。生き抜くためのひとつの知恵として、染色体の中の一つに突然変異が起きたのです。
対を成している染色体の片方が大きく削られ小さくなったのです。

二つの異なる配偶子は同じ大きさをしていました。ところが進化の過程で、その大きさが異なってきました。二つの配偶子が結び合った後、新しい生命体が育っていくために栄養を蓄えるように大きくなってきたのです。それにあわせ動きを失うようになり待ち受ける性となったのです。一方、小さいほうの配偶子は追い求める性として運動性を持つようになり、益々小型化して必要最小限の遺伝子の塊だけになってきたのです。これが卵子精子の始まりなのです。

卵子は100μmに対し精子は僅か5μmほどでしかありません。しかも、ひとつの卵子に対して、数億の精子を競わせて新たなる生命体を作るという生殖行動を取らせる働きがあるのです。

卵子は胎生期20週頃の卵巣中には700万個の卵祖細胞が作られておりもっとも多い時期といわれています。しかし、生まれたときには両側卵巣中には200万個と激減しまっているのです。しかもうまれてから新しく卵子を作り出すことはできません。

排卵が起こり始める思春期頃には40万個にまで減少しているという、卵の自然淘汰が営まれているのです。卵の成熟は出生前後で第一減数分裂前期のところで止まって排卵時まで長い冬眠期に入っているのです。排卵というひとつの引き金現象が今まで長い間眠っていた卵が眼を覚まして卵の最終成熟分裂が始まり、精子を受け入れる(受精)準備を再開するのです。精子卵子細胞膜に接触した時点で減数分裂が完了し23,Xとなり雌雄前核融合が始まるといわれています。

子孫繁栄という生殖には、女性が大きな役割を演じています。精子を自らの生殖器内へ受け入れ、卵子とめぐり合わせ(受精)、子宮の中で、新しい生命を育み、そして、出産、新しい生命体の誕生を迎えるのです。

赤ちゃんを娩出するときに分泌される子宮収縮ホルモンであるオキシトシンは、母になるという母性本能を強めるホルモンであり、母と子の絆のホルモンともいわれております。だから、分娩時のあの痛みにも耐えることができるのです。また、赤ちゃんを育てる母乳を促す際に分泌される催乳ホルモンであるプロラクチンも母と子の絆を強めるのにとても大切なホルモンといわれています。
一方、男性は精巣の中の精細管で精子を作り続け、精子を女性の生殖器内へ運び込むだけの役割にしかすぎません。

女性の胎内で行われている自然淘汰のことも考えておかなければならないでしょう。卵子は生まれたときに既に両側の卵巣に200万個の卵子を持っています。生まれてから女性は新たに卵子を作ることはありません。排卵の起きる思春期の頃には4-50万個に退行変性を起して減ってしまっているのです。40歳の頃には数千個と激減しているのです。それは卵子そのものの自然淘汰が起きているのです。

そこには強く逞しい種を残すという女性の身体の中で起きている自然淘汰なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上。(できれば、詳細な原文をお読みください。ネットで読むことができます。)

十七条の憲法で、皇室と日本国民の関係が分かる。

 

現代版 新・日本の神話 神々の言葉 


古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず神話は史実を伝えてきた。
伝承にもその基になった史実がある。

 

【十七条の憲法で、皇室と日本国民の関係が分かる。】

今、皇室が、マスコミで騒がれている。
だけど、なんか変だ。
男女平等は、男女を違う存在として、認め、尊重することでは?
皇室がどんなことを考えてきたか、知りたいなら、十七条の憲法を読もう。

【十七条の憲法で、皇室が2,600年以上続いた理由がわかる】

皇室がなぜ、日本で、2,600年以上続いたのだろう。
その秘密が知りたいなら、十七条の憲法を読んでみよう。
民の苦情を聞き入れていたことが分かる。
民を、貧富の差にかかわらず、公平に扱うようにしなさい、と言っている。
民は、奴隷ではなかった。酷使されてはいなかった。皇室は日本の自慢だ。

【十七条の憲法で、古の日本の、根本的な政治姿勢が分かる】

天皇は、仁の文字を大事にしているようだ。
その秘密が知りたいなら、十七条の憲法を読んでみよう。
天皇は、政治が、聖人や賢人が行うことを望んでいた。
天皇は、臣下に、民を第一に考えることを、指示していた。
国民を第一に考えることが、デフレから脱却するために、今こそ必要だ。

【現代の政治に生かしたい、十七条の憲法

今の政治には、嘘が多い。
噓は、国を滅ぼし、民を傷つける、と書いてある。
人の上に立つ者は、民の手本になれ、と書いてある。
過ちは正せ、と言っている。
政治家と官僚は、過ちを正さなければならない。

【十七条の憲法で、皇室の必要性が分かる】

皇室は、みんなの鑑(かがみ)だ。
古から、民を大事にしてきた。こんなにすごい国は他にない。
世界にただ一つの国。第一に、民のことを考える国。皇室は日本の誇りだ。

【みんなで読もう、十七条の憲法
みんなで読もう。僕らのために。
そして、広めよう。みんなのために。一人でも多くの人に。
この日本を良くするために。

【原初・共産主義の思想は、日本に、脈々と、生きている。】

日本書紀には、十七条の憲法が書いてある。
この憲法は、皇室の基本的な考えを示したものだ。
国家の基本原則を、簡明に書いてある。
それは、根本に、民を大切にする、仁徳政治を、貫いている。

皇室は、建国以来、現在に至るまで、存続している。
長い皇室の歴史を持つ日本は、「世界でほとんど唯一の社会」だ。
仁徳政治の象徴を存続させている。これは、日本の誇りだ。

歴代の権力者達は、皇室を仰ぎ見て、自省してきた。
それは、何故か。
皇室は、仁徳政治という、古来からの、日本政治の根本方針を指し示してきたからだ。

聖徳太子は、10人の言葉を聞き分けた、と言われる。
その聖徳太子が、憲法の第一番に、なぜ、和をもって貴し、としたのか。
それは、当時の日本には、多数の氏族が、帰化人が、ひしめいて、いたからだ。

日本は、帰化人であっても、差別しないで、人材を登用した。
その結果、賄賂や接待が横行し、私情で行政を行い、嘘と諂(へつら)いが蔓延した。
政治家や官僚が、私腹を肥やし始めた。国政が乱れ始めた。
民を貧富の格差で扱いを差別し始めた。金持ちを優遇し出した。
有能でも、生活習慣や文化が違う人々を受け入れることの、難しさを示している。

十七条の憲法は、新たに作り出したものではない。
日本では当然であったことを、他国からの帰化人に対して、示したものだ。
民を、貧富の格差で、差別してはならない、と。
民を第一に考えて、仕事をしなさい、と。
政治の基本を再確認したものだ。

何故、日本では、天皇が、皇室が、尊重されてきたのか。
それは、民を大事にすることが、政治の根本方針とされたからだ。
それは、建国以来の伝統が、仁徳(神徳・人徳)政治にあったからだ。

仁徳(神徳・人徳)政治、これが、十七条の憲法の神髄だ。

いわゆる「科学的社会主義」者は、日本が「史的唯物論」の典型だと言う。
経済の四つの型を順序良く進んできたという。
その全てが、真っ赤な嘘であることが、十七条の憲法で分かる。
日本には、奴隷制など存在しなかった。
日本は、古来から、民を第一に、考えてきたからだ。
十七条の憲法は、いわゆる「科学的社会主義」への強烈な反論になっている。

この「原初・共産主義」思想は、日本に生き続け、そして、進化してきた。
日本は、いわゆる「科学的社会主義」と言われる、偽物の共産主義でなく、
現実的な、生粋の共産主義として、発展した、「世界でほとんど唯一の社会」なのだ。

「原初・共産主義」思想は「本来的」共産主義・思想である。
未来社会」の理想型は、日本では、古来より、手作りしてきたのだ。
「破壊的・破滅型」でなく、「建設的・成長型」の社会として。

その「建設的・成長型」の社会が、今、危険に曝されている。
日本を脅かしているのは、いわゆる「科学的社会主義」であり、グローバリズムだ。
政治家や官僚がハニートラップにかかり、私情で行政を行い、嘘と諂(へつら)いが蔓延した。
国政が乱れ始めた。
日本国民のお金が、土地が、魂が、歴史と伝統が、略奪され、破壊されようとしている。

今、必要なのは、十七条の憲法が示す、政治の根本原則に、仁徳政治に帰ることだ。

 

以下に十七条の憲法の現代語訳を記述する。
なお、この現代語訳は、へいはちろうさん他、ネット上の多数の記事を、参考にさせて頂いた。感謝する。他の記事や原文に直接当たることをお勧めする。


現代語訳 【十七条の憲法】 

第1条 所属する集団が違っても仲良くしなさい。

和というものを何よりも大切にし、争いを起こさないよう心掛けなさい。
人は誰しも、いずれかの氏族や集団に所属しているが、協和の心を持ち合わせる者は少ないものだ。
そんな事だから、父である君主に逆らったり、周囲で揉めたりする。
しかし、人の上に立つ者が和を心掛け、下の者たちと仲良くし、お互いに議論して意見を出し合えば、物事の道理は自然と判るようになる。そうなれば、どんな事でも成し遂げられるのだ。


第2条 仏様と真理の教えと僧侶を敬いなさい。

三つの宝を敬いなさい。三つの宝とは、仏と真理の教えと真理に従う僧侶である。
これらは、この世に生きる全ての生命の、最後の拠り所である。全ての国における、究極の規範である。
どんな世の中のどんな人であれ、仏の教えを尊ばない者があるだろうか。
どうしようもない悪人というのは少ないものだから、彼らを正しく教え導けば正道に従うようになる。
教え導くにあたって、この三つの宝を拠り所とするのでなければ、一体どんな教えをもって、捻じ曲がった人の心を正せば良いのか。


第3条 人の上に立つ者は、天皇陛下のお言葉に、謹んで従いなさい。

天皇のお言葉には必ず謹んで従いなさい。
君主を天とするならば、臣下はいわば地である。天は地を覆い、地は天を戴くのがこの世の道理である。その理に従って四季は巡り、万物の気は通うことができる。
もし、ここで地が天を覆おうとしたならば、この循環が壊れてしまうことだろう。
だから、君主の言葉に臣下は従わねばならない。
人の上に立つ者たちが君主の言葉に従えば、下の者たちもそれを見習うものだ。
だから、天皇のお言葉には必ず謹んで従いなさい。さもなければ、国の秩序を駄目にしてしまうだろう。


第4条 国家安泰の基本は、役人の間でも民の間でも、礼儀を重んじることである。

朝廷に仕える官吏たちは、礼儀を行動の基本としなさい。
民を知らすことの基本は礼儀にある。人の上に立つものが礼を軽んじれば、下の者たちの秩序は乱れる。下の者たちが礼を軽んじるようになれば、必ず罪を犯す者がでてくる。
だから、臣下の間に礼が行われていれば、身分秩序は乱れず、民の間に礼が行われていれば、国家は自然と治まるものだ。


第5条 役人は、賄賂を受け取らずに、民を公平に扱いなさい。

朝廷に仕える官吏たちは、接待や金品への欲望を捨てて、公正な態度で訴訟に臨みなさい。
民からの訴えは一日に千件もある。一日でさえこれほどならば、一年ではどれほどの訴訟があるだろうか。
それなのに、近頃の訴訟に携わる者たちは、賄賂を受け取る事が当たり前となっている。賄賂の額を確認してから訴えの内容を聞いている。
それだから、裕福な者たちの訴えは、水面に石を投げ込むかのように容易く受け入れられるが、貧しい者たちの訴えは、石の上に水をかけるかのように退けられる。
このため、貧しい民は、誰に頼ったら良いのか解らずにいる。このようなことは臣下の道に反する事である。


第6条 へつらいや嘘つきは、国を滅ぼし、民を傷つける。悪いことは必ず正しなさい。

悪を懲らしめ善を勧める事は、古くからの良いしきたりである。
そこで、人の善行を隠すことなく、悪行を見たら必ず正しなさい。
他人にへつらって嘘をつく者たちは、国家をくつがえす強力な武器であり、民衆を傷つける鋭い剣である。
また、他人におもねり媚びる者たちは、目上に対しては目下の過失を言いつけ、目下に対しては目上の陰口を叩く。
このような者たちは、君主に対しては忠誠の心を持たず、民に対しては仁愛の心を持たぬものだ。これらは国家の大きな乱れの原因となる。


第7条 政治は能力で左右される。人材を登用しても、濫りに官職を増やしてはいけない。

人にはそれぞれの役目というものがあります。自分の役目を超えて職権を濫用してはいけない。
賢明な人物が役職にある時には、周囲から褒める声があがり、邪な人物が役職にある時には、災いや乱れが頻繁に起こる。
生まれながらに道理の解った人間というのは少なく、誰しも思い悩んで聖人となる。
事の大小に関わらず、適任の人材が得られれば必ず問題は解決する。
時代の変化の速度に関わらず、賢人が現れれば国は自然と豊かになる。
これによって、国家は長く栄えて滅びを避ける事ができるのだ。
だから、昔の聖なる王たちは、必要な官職のために人材を求める事はあっても、人材のために不必要な官職を設ける事はなかったのである。


第8条 役人は、勤務時間でなく、仕事を片付けることを、優先しなさい。

朝廷に仕える官吏たちは、早く出勤して遅くまで働きなさい。
公の仕事が尽きるという事は無く、一日かけても終わらせるのは難しいものだ。それだから遅くに出勤したなら急な事態に対処できず、早く帰宅したなら仕事を終わらせる事ができない。


第9条 何事にも、信頼関係を築くことが、何より大事だ。

信頼は正義の根本である。どのような事でも、信頼を大切にしなさい。
物事が善くなるのも悪くなるのも、成功するのも失敗するのも、すべて、信頼があるかどうかにかかっている。
臣下たちが、互いに信頼しあっていれば、どんな事でも成し遂げられるだろう。
臣下たちが互いに信頼しあっていなければ、どんな事でも失敗するだろう。


第10条 完璧な人間はいない。どんな人も、他人の意見を受け入れなさい。

心の中の怒りを静め、顔の表情に出さないようにしなさい。他人の意見が自分と違っても怒らないようにしなさい。
人には、それぞれの心があり、それぞれの考え方というものがある。
相手が良いという事でも自分にとっては悪いという事もあり、自分が良いという事でも相手にとっては悪いという事もある。
自分は決して間違いを犯さぬ聖人ではないし、相手が間違いだらけの愚者というわけでもない。
お互いが、平凡な、ただの人間なのだ。
そもそも良いとか悪いとか判断する道理を、ただの人間の身で、どうやって決めるというのか。
お互いに賢くもあり、愚かであるという事は、耳輪に端がないようなものだ。
それだから、相手が自分に対して怒っている時には、自分に過ちがなかったかどうか、よく考えなさい。
自分の意見に自信がある時でも、人々の意見に耳を傾けて、受け入れなさい。


第11条 役人は、部下を評価するとき、私情でなく、功績や過ちを明確にしなさい。

部下の功績と過失を正しく評価して、それに見合った賞罰を与えるようにしなさい。
近頃は、功績も無いのに賞されたり、過失も無いのに罰せられる事がある。
賞罰を与える立場にある官吏たちは、適正かつ明確に行うこと。


第12条 地方の首長は、民から、勝手に徴税してはならない。

地方を治める長官たちは、民衆から勝手に徴税してはならない。
国に二人の君主はおらず、民衆にも二人の主はいない。
この国に暮らす全ての民衆にとって、主は天皇ただ一人である。
天皇が任命する地方官は、皆、その臣下である。
どうして、天皇が定める税と一緒に、勝手に税を取り立てる事ができようか。


第13条 役人は、どんなことがあっても、公務を停滞させてはならない。

官職に任じられた者たちは、自分の職務をよく理解しなさい。
病気になったり、出張をしたりして、職場を離れる事もあるだろう。
しかし、再び職務に戻った時には、以前よりも熟知しているかのように、遅れを取り戻しなさい。職場に居なかった間の事は知らないと言って、公務を停滞させてはならない。


第14条 官僚は、自分より優れた人材を、妬まずに、登用しなさい。

朝廷に仕える官吏たちは、嫉妬の心を抱く事がないようにしなさい。
自分が他人を嫉むという事は、自分も他人から嫉まれるという事である。
嫉妬が人間関係に与える弊害はとどまる所を知らない。自分よりも賢い人がいれば不愉快に思い、自分よりも才能豊かな人がいれば嫉妬する。
そんな事では、500年に一度現れるという賢人に会ったとしても、その人を認めず、我々は1000年経っても聖人を得ることは難しいであろう。
聖人や賢人を人材として得られなければ、どうやって国を治めていけばよいのか。


第15条 役人が私情で行動したら、和を乱し、公務を阻害する。

私情を捨てて公務に向かうのは、臣下たる者の道である。
どんな人間でも、私情から他人を恨むようになり、恨みの気持ちがあれば、人の和を乱すことになる。人の和が乱れていれば、私情によって、公務に弊害を及ぼす。
また、恨みの気持ちから、規則や法を破る者もでてくる。
私が第一条で、上の者も下の者もお互いに仲良くしなさい、と言っているのは、こう言った事なのである。


第16条 むやみに民を使役してはならない。天皇と臣下の生活は、民のお蔭があるからだ。

民を使役する時には、時節を選びなさい。それが古くからの良いしきたりである。
だから、冬の間の手が空く時に、民を使役するようにしなさい。
春から秋にかけては、農耕や養蚕をしなければならないから、民を使役してはならない。
彼らが農耕をしなければ、我々は一体何を食べるというのか。養蚕をしなければ、我々は一体何を着るというのか。


第17条 重要な事柄は、過ちが無いように、必ず、他の者と議論して決めなさい。

物事は一人で判断してはいけない。必ず他の者たちと一緒に議論して決めなさい。
些細な事については、必ずしも、他の者の意見を聞かなくても良い。
しかし、重要な事を議論して決める時には、過ちがあってはならない。他の者たちと相談して判断するならば、道理の通った結論が得られるであろう。

科学的社会主義」は本当に「科学的」か?

 

現代版 新・日本の神話 神々の言葉


古来より神話は叙事詩であった。洋の東西を問わず神話は史実を伝えてきた。
伝承にもその基になった史実がある。


***疑義あり! 「科学的社会主義」は本当に「科学的」なのか?

WEBで「科学的社会主義とは」というページを見つけた。
掲載者は、どうやら日本共産党のようだ。
科学的社会主義とは」何か、興味津々、読んでみた。
これって、本当なのか、と疑問を感じた点の幾つかを、以下に記述する。


【1.科学的社会主義とは】への疑義

【引用】
「第一に、空想家であった先達のように願望から出発するのではなく、いまの自分たちが生きている現実社会を「科学の目」で分析し、そこから資本主義の矛盾や害悪を乗り越えた新しい形態とは、どんな社会にならざるをえないか、また、より高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかでどのように準備されていくかを、「科学の目」で明らかにしたんだ。」

【疑義】
「第一に、空想家であった先達のように願望から出発する」のは、悪いことではない。
空想的社会主義者」たちが駄目という理由にならない。
むしろ、現実に存在する課題に直面したら、それを解決したいと願望し、解決しようとするのは自然の流れだ。
「資本主義の矛盾や害悪を乗り越えた新しい形態とは、どんな社会にならざるをえないか」また、「より高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかでどのように準備されていくか」を、「科学の目」で明らかにしたんだ」というが、
人間社会は、「ならざるをえない」ものであり、また、誰かによって「より高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかで・・・準備されていく」ようである。
どうやら、見えない力によって、準備され、従うしかないようである。
人間社会は、自然災害と同じようなものなのだろうか。
それが、未来社会?
だから、
何なんだ?これは。
社会主義というのは、人間にとってより豊かなすばらしい社会をつくる、これが僕たちの目標」だったはずではなかったのか。
人間社会の、主人公は、誰だ。


【引用】
「第二に、未来社会と言うものは、将来、そういう社会づくりが現実の問題となるときに、その世代の人間が、そのときの歴史的な条件のもとでつくってゆくもので、なにか青写真や設計図があらかじめつくられていて、それにそって社会を組立ててゆけばよい、といったものでは絶対にないということなんだ」。 

【疑義】
どうも、破壊的な「革命」が前提になっているようだ。
問題は、気付いたものから、徐々に解決する方法もある。
壊したくない、既存の大事なものを保存しながら、改善したいときは、なお更だ。
コンクリートや石などの建造物を改良するのと、木造建築物を改良するのでは、やり方が違う。

未来社会と言うものは、そのときの歴史的な条件のもとでつくってゆくもので、なにか青写真や設計図があらかじめつくられていて、それにそって社会を組立ててゆけばよい、といったものでは絶対にない」というが、なぜ、絶対にない、と言い切るのだろうか。

普通に考えれば、出費や、損害などが、少ない手法こそ、理想的なはず。
ところが、痛手を少なくするための、周到な事前の計画や準備を、絶対に否定する。
これは、突発的で、痛手が大きい方がよい、と主張している。
社会を組み立てるために、破壊が必要だ、と言っている。
しわ寄せを食うのは、庶民である国民だ。
まるで、社会がブロックで積み上げられていて、新しいものを作り上げるためには、一旦、全て打ち壊す必要がある、と考えているようだ。
これは、いわゆる暴力革命だ。本当は、社会・破壊・主義だ。
紛れもない、抑えきれない、破壊・願望の表明だ。

これまでの社会は、多くは、試行錯誤を繰り返しながら、不完全ながらも「青写真や設計図」を「あらかじめつくり、それにそって社会を組立てて来た」と言えるのではないだろうか。
むしろ、「青写真や設計図」を作ることが、賢明なやり方だ。
それが民主的で、英知を結集するやり方だ。
国民に支持されない、国民の意欲を削ぐ、稚拙な「青写真や設計図」に問題がある。
いわゆる「科学的社会主義」には、どうやら、最初から、柔軟性がない。
国民には秘密にする。破壊するために、暴力を行使する。
全てをぶち壊す、「革命」しか眼中にない、のだ。

 


【2-1.唯物論(ゆいぶつろん)か、観念論(かんねんろん)か】への疑義

【引用】
エンゲルスさんは、百数十年前に自然科学の発展のなかに唯物論の確証を見たんだけど、現代に生きる僕たちは、そのことを、はるかに壮大な規模で目撃しているんだ」。

【疑義】
日本人の祖先は、今から1万5千年以上前から、縄文文化を開花させていた。
木の実や魚貝を、自然の恵みを、受け身で享受していたのではない。
石器や土器を作り、
自然に働きかけ、栗や稲などの種の改良を行っていた。
知恵と行動力があったのだ。
鉄の器具が開発される前の時代に、鉄より硬い翡翠に奇麗な穴を穿った
唯物論的に見て、考えるだけでなく、自然に働きかけた。実践した。
日本の神話や記紀は、唯物論的な見方や考え方で記述されている。
日本人の哲学は、エンゲルスなどの西洋哲学など問題にならないほどに、先行していた。
規模の壮大さが違う。
日本人は、古来から、唯物論的な見方や思考を、そして実践を、普通にしていた。

日本国民に、唯物論を認めようとしない方々がいることは、残念なことだ。
そんなことでは、科学者や理系人間を、優秀な人材を、敵に回しかねない。
雄大な自然を描きこんだ、芸術作品や文芸を評価しないことに成りかねないからだ。
共産主義者の誤りは、唯物論にはない。
唯物論の使い方にある。
特殊な仮説に唯物論という冠を付けるのだ。
唯物論的な見方や思考は、共産主義者の特権ではない。
彼らは、逆に、唯物論を貶めているのだ。
唯物論的な見方や思考と実践を、日本人は古来から普通に行ってきた。
それは、日本人の先進性であり、誇り、だ。

しかし、唯物論に立脚することが、科学的であることの必須の条件ではない。
観念論からも、科学的な結論に達することは可能だから。

日本人の哲学は、西洋哲学に先行していた。
共産主義者は、所謂「西洋かぶれ」に過ぎないのだ。
西洋のものが、何でも、東洋に比べて勝ると思い込んでいるのだ。
日本人の先人たちこそ、唯物論の先駆者、なのだ。
もっと重要なことは外にある。
共産主義者の言うことに、何でも反対していては、方向を間違ってしまう。
正しいことでも、共産主義者が言うから、反対する、なんてことになる。

 


【2-2.弁証法(べんしょうほう)か、形而上学(けいじじょうがく)か】への疑義

【引用】
「「弁証法」が、世界をありのままにとらえる、とらえ方であるのにたいして、「形而上学」というのは、その反対物、だと思ってもらえれば、わかりやすい」。

【疑義】
エンゲルスさんが「空想から科学へ」の本で説明している」通り、 
第一に、弁証法的な見方では、ものごとを世界の全般的な連関のなかでとらえる。
    形而上的な見方では、ものごとを、個々ばらばらにとらえる。
第二に、弁証法的な見方では、すべてを生成と消滅、運動と変化のなかでとらえる。
    形而上的な見方では、固定した、いちど与えられたらそれきり変わらないものとしてとら
    える。
第三に、弁証法的な見方では、固定的な境界線や「不動の対立」にとらわれない。反対物への転化
    も視野にいれる。
    形而上的な見方では、ものごとを、白は白、黒は黒という絶対的な対立のなかでとらえる。
とするが、
弁証法」は、「世界をありのままにとらえる、とらえ方」ではない。
ありのままにとらえるのは、「唯物論」。
弁証法的な見方をしたから、と言って、ありのままをとらえる、ことにはならない。
「世界をありのままにとらえる」ために、形而上的な見方をすることもある。
自分たちの主張や立場が優れていると言いたいだけだ。

弁証法的な自然観」なら、むしろ、日本人の方が、良く理解している。
何しろ、火山の噴火、地震津波、自然災害との格闘の歴史に、困らないのだから。
日本の共産主義者は、先人たちの歴史を、知らないのだろうか。
弁証法的な見方」も、共産主義者の特権ではない。
ごく自然な、普通の見方を言ってるにすぎない。
天候が変わること、山や大地が揺れ、河川などが氾濫することは誰でも知っている。
動・植物が全く動かず、成長しないと考えている健康な人間など、存在するのだろうか。

 

【2-3.史的唯物論(してきゆいぶつろん)】への疑義

【引用】
「ただ現実世界を実在なものと見るという一般的な唯物論の立場をくりかえしていたのでは、社会や歴史の問題は解決しない。社会については、それを見る「独自の唯物論的な見地」を確立することが大事であることに行きついた」。
史的唯物論は、唯物論のものの見方の社会版」。
史的唯物論は、社会とその歴史をどう見るか」。
「第一に、社会を見るとき、人間がものを生産する経済を土台にして見る」。
「第二に、社会の土台をなす経済の型は、・・・、働く人間と生産手段との関係が、そのいちばん大事な要になる」。
「株やドルを売ったり買ったり、会社をどう経営して儲けるかとか、損をするとかのこと、・・・、大マスコミが言っているのは、・・・、僕たちとは、違う次元の世界のように伝えていることが多い・・・、本来、人間はまず、食べ、飲み、住み、着る、そして、それに必要なものを生産するという行為をしなければならないけど、これ自体も全て経済なんだ。
大マスコミが言っているのは、表面上の一部の点だけを取り上げて、根本的な社会生活のための経済から、僕たちの目をそらそうとしている・・・!
それは、大マスコミが時の権力者の広報の役目をしたり、大企業からの広告料が主な収入源であることからして、国民が知ったり、考えたりすることを、嫌がっている」
「第三なんだけど、経済の型から見て、原始共産制奴隷制封建制・資本主義という四つの型があったと見る」。

【疑義】
正直に、「ただ現実世界を実在なものと見るという一般的な唯物論の立場をくりかえしていたのでは、社会や歴史の問題は解決しない。社会については、それを見る「独自の唯物論的な見地」を確立することが大事であることに行きついたんだ」と、白状している。
彼らは、「唯物論」を捨て、自分たちと同じ、特殊な考えである、「史的唯物論」を受け入れろ、と言っている。
史的唯物論」が、「独自の唯物論的な見地」と認めている。
唯物論でない、独自の見地だと言っている。
つまり、共産主義者は、唯物論の見地から、現実世界を見ても、社会や歴史の問題を解決する糸口を見つけることができなかったのだ。
そこで、破壊主義者である彼らは、その口実を作ろうとした。
それが、「史的唯物論」だ。

「第一に、社会を見るとき、人間がものを生産する経済を土台にして見る」
「第二に、社会の土台をなす経済の型は、・・・、働く人間と生産手段との関係が、そのいちばん大事な要になる」というが、
これだけでは、破壊運動の糸口にはならない。
実体経済は、人間が生存するための基本だ。生活を豊かにするための基盤だ。どんな時代にも不可欠なものだ。

問題は、生産しない経済が除かれていることにある。経済でない関係が除かれている。
現在の資本主義経済を見れば明らかだが、生産する経済でない、金融経済が膨大な量で取引されている。そして、実体経済に影響を及ぼしている。
資本主義時代の経済は、実体経済だけでなく、金融経済にも目を向けて見る必要がある。
土台は、一つではない。

さらに、貨幣の創造にも目を向けなければならない。
貨幣は、民間企業である銀行によって、無から創られている。
お金の創造は、経済ではない。
つまり、民間企業である銀行は、1万円の紙幣という実費数円の紙切れを貸し出すと同時に、実質で1万円分の債権と利息を手に入れることができる。
借金を返せなければ、財産を差し押さえるなどして回収する。
政府に通貨発行権がない国では、政府は銀行に借金する。
そうすれば、銀行という民間企業は、一期に、莫大な金額を手に入れることが可能だ。
これが、資本主義国では、恒常的に、行われている。
これこそ、資本主義が抱える矛盾の最大のものと思われるのだが・・・。

搾取は、実は、生産手段を持つかどうかではなかった。
それは、生産する経済ではなく、生産しない経済にあった。
否、搾取は、主に、経済でない、ところにあった。
搾取なら、生産手段を持っていようが、持っていなかろうが、どちらでも可能だ。
搾取を問題にする共産主義者が、なぜこの生産しない経済に焦点を当てることができないのか。
なぜ、経済でない、略奪的な仕組みを、考慮しなかったのか。
それは、唯物論者でなかった、からだ。
彼らには、王権も貴族も見えなかったのだ。
教皇や法王の姿は、頭上にあったから、視界に入らなかったのだ。
小さな小競り合いは見えても、多くの民と国や領邦を破壊する、
規模の大きな戦争や紛争は、目に入らなかったのだ。

経済でない、略奪は、検討の対象にならなかった。
唯物論の考えに立つことと、世界をありのままに捉えることとは、違う。
世界を客観的に見る必要性を理解することと、客観的に見ることができるのとでは、実質が違う。
彼らは、世界をあるがままに見ることができなかったのだ。
彼らは、意図的に、在るがままに見ようとしなかった。
あるいは、意図的に、何かを隠したかった、のだ。
これは、弁証法的な思考ではない。
彼らは、弁証法的な見方の知識を披露したが、弁証法的ではなかった。
史的唯物論」は、苦し紛れに生み出した、空想的な、観念の産物だ。

「株やドルを売ったり買ったり、会社をどう経営して儲けるかとか、損をするとかのこと、・・・、大マスコミが言っているのは、・・・、僕たちとは、違う次元の世界のように伝えていることが多い・・・、本来、人間はまず、食べ、飲み、住み、着る、そして、それに必要なものを生産するという行為をしなければならないけど、これ自体も全て経済なんだ」。
確かに、実体経済は生活の基本だ。
しかし、自身は、執筆業で金銭に困らないから、人のことなど関係ないというのであろうか。
国民に、自給自足の経済を奨励しているつもりなのだろうか。

例えば、株式は、売買差益だけでなく、配当金や会社を買収したり、企業を乗っ取ることにも、使われている。
そのため、資金調達や経営環境の悪化、労働者の低賃金化や雇用条件の悪化、など様々な問題を引き起こす原因の一つになっている。
全て、お金が、絡んでいる。

「違う次元の世界」を浮遊しているのは、「科学的社会主義」者の方ではないのか。
「表面上の一部の点だけを取り上げて、根本的な社会生活のための経済から、・・・目をそらそうとしている」というが、
金融経済を表面上の一部の点と言って、現実の問題から視点を逸らそうとしているのは、「科学的社会主義」者の方に思える。

資本主義と切っても切れない存在である、多国籍企業、国際金融資本や民間企業である銀行から目を逸らさせ、「国民が知ったり、考えたりすることを、嫌がっている」のは、「科学的社会主義」者だ。
彼らは、お金の仕組みを理解できなかった。あるいは、作為的に隠した。
客観的に存在する世界を、彼らの頭脳は、正しく反映していなかった。
あるいは、正しく理解したが、不都合なので、隠蔽した。
だから編み出した。
マルクスは、ひねり出すために、苦悩したのだ。
彼らは、本当は、空想的な「観念論」者か、
ありのままの世界を、庶民に隠す、謀略的な「唯物論」者だった。


【引用】
「日本は、日本列島という同じ土地のうえで、原始共産制から資本主義まで、マルクスさんがあげた四つの型の社会をすべて、しかもたいへん順序正しく経験してきた、世界でほとんど唯一の社会なんだ」。

【疑義】
「経済の型から見て、原始共産制奴隷制封建制・資本主義という四つの型があったと見る」といって、主観で勝手に、決めている。想定している。
客観的証拠に基づくものではない。
奴隷制として、卑弥呼邪馬台国の事例を持ち出しているが、それは史実の研究が進み、
卑弥呼邪馬台国が特定され、奴隷制が、はっきりと、否定されようとしている。
奴隷制など、生産手段でも、経済でもない。奴隷は労働力でしかない。
日本には、経済の型として、主な労働力として、奴隷を使った歴史はない。
捕虜にさえ、土地を与え、耕作させていた。
農民を奴隷として拘束したことはない。
納税の義務の存在がその証明だ。

日本は、決して、「原始共産制から資本主義まで、マルクスさんがあげた四つの型の社会をすべて、しかもたいへん順序正しく経験してきた、世界でほとんど唯一の社会」ではない。
日本の社会は、マルクスの言う、四つの型、などとは無縁だ。
聖徳太子が作ったとされる、十七条の憲法を読めば、「史的唯物論」が嘘だとわかる。
そこには、民を公平に扱いなさい、と書いてある。
皇室も臣下も、生活ができるのは、民のお陰だと、書いてある。
いわゆる「科学的」社会主義者は、経済を、無理やり、型に嵌めようとしている。
彼らには、日本人の誇りが、どうやら、無いようだ。

社会には、様々な制度がある。
それを運営するのは人間だ。
覇権・金権・独占、の方針と、
自立・共存・共栄、の方針とでは、
社会の運営は、まるで違う。人間の在り方によって、社会は変わる。

どんな人間が運営するか、で、社会の環境は変わる。
商人や会社経営者でさえ、その家訓で、使用人や労働者の扱いが全く違う。
制度だけを見ていては、矛盾も、解決策も見つけることはできない。

いわゆる「科学的社会主義」者には、実のところは、人間が見えていないのだ。
彼らには、王様も、法王や教皇も、貴族も、守銭奴も、銀行家も、金融資本家も、
生産しない関係は、全く、見えないのだ。
なぜなら、略奪や収奪は経済ではないからだ。
略奪や収奪を正当化する仕組みは、経済ではない。
搾取を、経済から説明するのは、最初から、無理があった。

 

【日本の国体と共産主義の違い】

日本書紀には、十七条の憲法が書いてある。
この憲法は、天皇の、皇室の基本的な考えを示したものだ。
それは、仁徳政治を基本に掲げている。

皇室は、建国以来、現在に至るまで、存続している。
長い皇室の歴史を持つ日本は、「世界でほとんど唯一の社会」だ。
天皇は、質素な生活を心掛けた。これは、日本の誇りだ。

歴代の権力者達は、皇室を仰ぎ見て、尊重してきた。
それは、何故か。
皇室は、仁徳政治という、日本の政治の、根本指針を指し示してきたからだ。

聖徳太子は、10人の言葉を聞き分けた、と言われる。
その聖徳太子が、十七条の憲法で、第一番に、なぜ、和をもって貴し、としたのか。
それは、当時の日本には、多民族がひしめいて、いたからだ。

十七条の憲法は、新たに作り出したものではない。
日本人には当然であったことを、
日本人より、むしろ他国からの帰化人に対して、示したものだ。
政治の基本を再確認したものだ。

何故、日本では、皇室が尊重されてきたのか。
それは、建国以来の伝統が、仁徳(神徳・人徳)政治にあったからだ。
皇室が存在できるのは、民のお陰だと考えた。民のことを、第一に考えたからだ。

これが、
いわゆる「科学的社会主義」者への回答だ。

西洋にかぶれる、彼らには、日本と日本人が理解できなかったのだ。
自立・共存・共栄の仁徳政治という、
「原初・共産主義」思想は、日本に生き続け、そして、進化してきた。
日本は、いわゆる「科学的社会主義」という偽物の共産主義でなく、
現実的な共産主義が、発展した、「世界でほとんど唯一の社会」だ。

「原初・共産主義」思想は「本来的」共産主義・思想である。
未来社会」の理想形は、古来より、日本で、実践されてきたのだ。
「破壊的・破滅型」でなく、「建設的・成長型」の社会として。

その「建設的・成長型」の社会が、今、危険に曝されている。
お金が、土地が、日本人の魂が、歴史と伝統が、略奪され、破壊されようとしている。


【結論】
いわゆる「科学的社会主義」は、
実際には、「非」科学的・社会「破壊」主義だ。
彼らは、唯物論弁証法という、空虚な知識を振り回している。
知識を自慢するだけでなく、社会を混乱させている。
問題は、かれらが、唯物論弁証法を、悪用している、ことだ。
いわゆる「科学的社会主義」は、
自分たちの仮説が、「科学的」であると、主張しながら、
社会を破壊するために、不平や不満を利用して、人々に工作活動を行っている。
彼らは、「原初・共産主義」さえも、認識できなかった。

 


番外編。


【引用】
「人間の「社会的存在」が、かれらの「意識」を規定する。
という文章は、史的唯物論の社会観を、なぜ「唯物論」と呼ぶのかの、説明になっている」

【疑義】
冗談ではない。これは「唯物論」ではない。これは、「洗脳」だ。
人間の「社会的存在」は、人間の「意識」を、規定しない。

唯物論」の定義から考えてみよう。
唯物論」は、意識の外に客観的な存在を認めること。客観的な存在を認識できること。
したがって、「唯物論」は、意識の活動である、宗教を否定する、ものではない。
芸術や文芸を否定するものではない。
むしろ、先人達は、周囲の世界をよくとらえ、それを旺盛な意識活動で、雄大な自然を、豊かに表現してきたのだ。
それが、石器に、土器に、勾玉に、稲作に、建造物に、和歌に、神話や記紀に、・・・残された。

唯物論」によれば、外観の存在を正しく認識することができるので、その認識を元に、様々に「意識」という、頭脳を働かせることができる。自然であれ、社会であれ、外界の存在を正しくとらえることができるから、弁証法的に、問題を解決することもできる。
したがって、
社会的存在という、外界の存在によって、人間の意識が規定される、ことはない。

「人間の「社会的存在」が、かれらの「意識」を規定する」というのは、
要するに、馬鹿になれ、愚かになれ、と言っているにすぎない。
思考を停止しろ。意識をするな、と言っている。
自分たちの言うことに従え、と言っているのだ。

洗脳という、社会的な存在(行為)が、他の人間の「意識」を規定する、と言いたいのだ。
洗脳工作、メディアや教育で人間の意識を作り変えることができる、と言っているのだ。
普通は、外界の存在を同じように認識していても、誰もが同じようには考えていない。
例えば、目の前の信号が赤になったとする。
ある人は、立ち止まろうとする。しかし、自動車が来ないから、渡ろうとする人もいる。
意識は、個人個人で違う。意見の相違や感情の差異が有る。
だからこそ、話し合いが必要になる。

彼らは、個性を否定したいのだ。
個人の自由な行動を否定したいのだ。
意見の違う個人や集団を、認めたくないのだ。
戦前の、大政翼賛会のように、したいのだ。
全体主義。軍隊主義。そして、破壊主義。
日本の、軍国主義を煽ったのが、これだ。
底流に、驕り、がある。選民意識、エリート意識、がある。
そして、破壊主義の、激しい、情動がある。

本当に、「人間の「社会的存在」が、かれらの「意識」を規定する」なら、
なにより、「科学的社会主義」という思想、そのものが、成り立たない。
これは、詭弁だ。


【引用】
マルクスさんは、資本主義は、階級と階級の「敵対」関係を特徴とする社会としては、人類史上の「最後の・・・・形態」であり、「この社会構成体でもって、人間社会の前史は終る」という意味深長な言葉で、文章全体を結んでいる。「最後の敵対的形態」につづくのが、階級による階級の搾取のない社会主義共産主義の社会であり、そこから「人類の本史」が始まるのだ、という壮大な未来論が、この一文にこめられている」。

【疑義】
資本主義は、「階級と階級の「敵対」関係を特徴とする社会」ではない。
資本主義に限らず、階級が存在すると仮定しても、階級と階級の「敵対」関係を特徴としない。
「敵対」関係を特徴とするのは、資本家と資本家の「敵対」だ。
国王と国王の敵対だ。貴族と貴族の敵対だ。略奪者と略奪者の敵対だ。
そして、略奪者間の代理戦争だ。
そこには、経済関係はない。言ってみれば、同一階級が敵対する。
階級と階級との間に生まれるのは、格差である。
役割に応じて格差が生まれるのは自然である。
その格差が不合理な場合に、格差の調整が、問題となる。
いわゆる共産主義者たちは、格差によって生まれる、不平不満を、巧みに利用する。
不平不満を、「敵対」関係と煽って、騒ぎ立てる。

肝腎なことは、いわゆる「科学的社会主義」者の会話には、
資本主義社会と切っても切れないはずの、搾取の代表である、民間企業の銀行や国際金融資本家や多国籍企業が登場しないことだ。
いわゆる「科学的社会主義」者は、お金を、無から作り出す銀行や、株を買い占め、大企業を裏で操る国際金融資本家や、市場を独占する多国籍企業について言及しない。
ここに、いわゆる「科学的社会主義」者の本性がある。
身近なものに焦点を当てて、巨大なものには、注意を逸らさせる、のだ。

 

共産主義の性質】

共産主義は、生命体を破壊しようとする。がん病巣のようなもの。
共産主義は、接近するものを、飲み込もうとする。ブラックホールのようなもの。
共産主義は、自然治癒力を無視して、外科手術を強硬しようとする。破壊主義。
共産主義は、個性をなくそうとする。均一主義。
共産主義は、自立・共存・共栄、を否定する。覇権・金権・独占・主義。
共産主義は、言葉とは裏腹に、経済的、政治的、独占の野望を、隠し持っている。
共産主義は、生み出さない。彼らは、否定し、破壊する。
彼らは、唯物論弁証法を、名乗って、それを否定する。
彼らは、エリート主義の、唯我独尊だ。

 

共産主義と略奪の関係】

生命のもとは、一つから複数へと分化し、
様々に違った器官を作り出し、それが一体となって、機能する。
その一体となったモノが、人間だ。
人間そのものが、格差や違いの集合体だ。
集団も、社会や国家も、格差や違いの集合体だ。

人類の歴史は、階級闘争の歴史ではない。
階級と言われるモノの間に、格差や違いはあるが、
格差や違いが生じるのは、むしろ健全で、当然だ。
生産手段によって、富の生産量は、変わったが、
当然には、闘争の原因にはならない。
問題は、格差が著しく不当な場合、合理性をなくす場合だ。
不平不満が闘争に発展する可能性がある。
しかし、主に、闘争の原因になるのは、富の、奪い合いだ。
闘争の原因は、生産手段を持つか、持たないか、ではない。
経済関係にないところで、略奪のために、闘争が発生する。

日本の皇室と国民との間には、略奪の関係が無かった。
だからこそ、民を第一に考え、仁徳政治を根本方針とする、
皇室が存続する日本は、「世界でほとんど唯一の社会」だ。

共産主義者は、世界をありのままに見ることができなかった。
彼らは、唯物論弁証法、という、知識を得たに過ぎない。
それを駆使することはできなかった。
なぜなら、彼らは、頂点に立ちたかった、からだ。
ソ連や中国は自分たちの理想とは違う、と言っても、意味がない。
自分たちが頂点に立っていない以上、違う、と言うに決まっている。

「革命」の要因は、社会制度の矛盾ではない。
格差や違いが生じない社会など存在しない。
どの社会制度にも、政治的な、経済的な、覇権争いがある。
共産主義者は、本心を、隠した。
弱者を救済しようとした、誠実な社会主義者たちを、空想的と言って、貶めた。
いわゆる「科学的社会主義」は、空想的社会主義を、高めた、ものではない。
自分たちを、優れたものと、見せかけた。

欧米の歴史は、略奪の記録だ。
歴史は、領土と利権争いを綴った。
覇権を競った。
決め手は、武力であった。策略であった。
そして、強者は、略奪し、弱者の男系を、根絶やしにしてきた。

今、中国で、略奪が起こっている。
しかし、共産主義者とその協力者たちは、その歴史を隠蔽しようとしている。
領土と利権の争いは、決して、過去のものではない。
まさに今、目の前で、日本に近いところで、展開している。
民族の男系が、何百万人もの生命が、危険に曝されている。
これは、日本への、日本人への、脅威だ。
他人事ではないのだ。

 

共産主義科学的社会主義)と破壊主義は同じもの】

科学的社会主義、すなわち共産主義は、理想主義である。
その理想を実現するために、社会を破壊する。
破壊するために、様々な口実を探す。
あらゆるところに口実の種がある。
不平不満は、そこかしこに、渦巻いている。
こじつけで、いいからだ。
その口実で人々を煽り立てる。
そして、じっと、決起の時を待つ。
決起の時は、戦争、内紛、対立、等々。
そして、破壊行動に出る。

これは、ある種の病巣に類似している。
人間の体を蝕む病だ。がん細胞だ。
まず、弱った部分に繁殖する。
徐々に増殖し、転移し、機能不全を引き起こし、そして、人を死に至らす。
それは、病巣の死でもある。がん細胞の自滅だ。
この病から脱するためには、細胞を蘇らせることだ。健康体になることだ。

しかし、健康体は、あらゆる格差や違いでできている。
様々な役割を担うためには、格差や違いは避けられない。
それは、矛盾に溢れている。
人間も社会も、正常に機能する範囲では、当然に、格差や違いが生じる。
格差や違いは、不当で合理的でないとき、不平や不満が増えるとき、治療の対象になる。
自然に治癒される範囲では問題にならない。
矛盾に満ちた集合体に、一体性を保つこと、それが健康体だ。

共産主義の根幹は、集合体を解体すること。
人も社会もバラバラにする。
あらゆる矛盾、あらゆる格差や違いを解消するためには、
社会を崩壊させるしかない。
個性を奪い、均一にするしかない。
そして、人を抹殺するしかない。
そこには、未来社会など存在しない。
共産主義は、無政府主義ではない。
無人社会主義だ。
人類の滅亡だ。
共産主義者は、死の世界を理想とする。
それは、最終段階とされる、共産主義社会の定義を見れば、明らかだ。

 

【日本を、真実を、史実を、知ろう】

建国以来、日本には国体があった。
それは、天皇を中心とする、国民が一体になる体制だ。
天皇の役割は、国民を一つに纏めることであった。
天皇は、仁徳であることを心掛けた。
民を大事にすることを根本とした。
そこには、支配と被支配の関係はない。
搾取する者と搾取される者の関係はない。
海外の国王や法王、征服者や宗教者達とは違うのだ。

日本の民は、本来、天皇と、気軽に会話する関係にあった。
天皇から気さくに話しかけるのが、常であった。
しかし、民が、自然と、畏れ多いことだと受け止めたのだ。
これは、強制されない、自然な人間関係によって作られた、体制だ。
それが、明治維新によって変えられた。
民は天皇に尽くすものとされた。
天皇を第一に考えろ、と民に強制した。
天皇を近寄りがたいものに変えたのだ。
しかし、皇室は伝統の精神を維持してきた。
国民を大御宝とする、仁徳の精神を保持している。
民を護る為に、外敵と戦うとき、真っ先に戦おうとしたのは、歴代の天皇だ。
それが、徐々に、天皇を護る為に、先頭に立つのは、武将などに替わっていった。
日本では、最高責任者が全責任をとる習慣がある。
古の時代から、敗戦の責任をとったのも天皇と武将たちだ。

史実を在るがままに見よう。
惨害をもたらした、先の日米の戦争は、両国がともに、
共産主義者の破壊願望に煽られた結果、
惹き起されたものであることが、次第に、明らかになってきている。
そこには、中国共産党による謀略もあった。
そして、今、日本は、様々な脅威にさらされている。
教育やメディアによる洗脳、自虐史観により、国民は自信を喪失している。
経世済民ではない、略奪のための、経済学が横行している。
日本の伝統と歴史が、曲げられようとしている。
周辺には、軍事的に圧力をかけてくる国がある。

中国など海外勢による、日本の領土である、土地の買い占めが進行している。
多国籍企業の浸透も加速している。
日本の技術的な要である、中小企業の存在が、危険になっている。
国民を苦しめる、デフレから脱却できていない。
アイヌ問題など、内部紛争の種が、新たに生じている。
食糧や人間の男系の「種」が危険な状態にある。
日本人が、日本国内で、バラバラに、切り離されようとしている。

日本の国体は、天皇を柱とする、一体性だ。
民を第一に考える、一体性だ。
問題を解決するために必要なものは、まずは、人だ。
英知を結集する、人だ。
日本には、護るべき、神徳(仁徳)の国体がある。
その基本原則は、「知らす」ことだ。
「知らす」ことは、天皇の思いや考えを、民に明らかにすることを、意味した。
今、必要な、「知らす」は、日本の国家と国民を護る為の情報を、拡散することだ。
日本人を覚醒するための情報を、「知らす」ことだ。
最近は、良識を装った、フェイクも多くなっている。
できるだけ、正確な情報を知らそう。
周囲に知らそう。一人でも多くに知らそう。
そして、一体になろう。

日本を、より良い、社会にしよう。
日本を、豊かな、国にしよう。
日本を、災害に強い、国土にしよう。
日本を、日本人を大切にする、日本人を第一に考える、国にしよう。
日本を、外敵から守ろう。
歴史と伝統に恥じない、日本の国家と国民になろう。
唯物論哲学も、科学的な試みも、国体も、日本の先人達が先駆者だ。
敗戦によって、失いかけた、日本人の魂を取り戻そう。

今、日本の国内で、聖徳太子の時代と同じような状況が生まれている。
帰化人が、政権その他に、かなり、入り込んでいるからだ。
日本の伝統と歴史を理解しない者たちが、大勢いるのだ。
国民を第一に考える仁徳政治を失くそうとする、動きがある。
しかし、我々に、帰化人を排外する思想はない。

自立・共存・共栄の精神こそ、日本の誇りだ。
協和を目指す、仁徳政治こそ、日本人の誇りだ。
日本の歴史と伝統を保持することこそが、帰化人と協和できる道なのだ。
十七条の憲法を作った、先人達に学ぼう。
未来の社会を作るのは、我々だ。

 


*** まとめ ***

【格差が生じるのは自然なことだ。違いが在るのは当たり前だ。だから自分がある。】
【平等とは、違いを認めること。個性を認めることだ。人間を均一にすること、ではない。】
【万物は、すべて、違いがある。違いがあるからこそ、そのものが存在していることを証明できる。】
【より良い社会ほど、矛盾に満ちている。健康は、矛盾に満ちている。自然も宇宙も矛盾の宝庫だ。】
【格差や違い、矛盾があるから、万物は存在する。生命があるのは、矛盾があるからだ。】
【機能不全を引き起こす、格差や違いは、人間や社会が、自力で治そうとする。】
共産主義者は、国民の不平不満を煽り立て、それを破壊活動に利用する。】
【機能不全は、覇権、金権、独占、の仕組みによって、引き起こされる。そして、覇権・金権・独占は、それ自体を、破滅させる。人体を蝕む、がん細胞のように。】
【ほとんどの国々は、覇権、金権、独占、の仕組みを採ってきた。】
【日本は、自立・共存・共栄、の仕組みを採ってきた。これが、日本の国体だ。】
【日本は、今、覇権、金権、独占、の仕組みによって、国体が脅かされている。】